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2008年10月の記事

2008年10月25日 (土)

眼精疲労ではありませんでした

Top_blue以前、眼鏡のレンズを入れ替えた際に眼鏡屋から、「眼精疲労かもしれませんが、もしかしたら老眼かもしれませんね」と言われたという記事を書いた。

百円ショップに行ってあらためてサンプルの老眼鏡をかけてみると、あれま、非常に具合がいい。手もとの小さい字がクッキリハッキリよく見える。

おやおや、老眼ですかい。

一番低い度数で十分だけど、ぼくもそろそろそういうお年頃なのね。それからというもの、百円ショップに行って老眼鏡をかけては「フムフム、よく見える」と感心していた。それにしても百円ショップはなんでも売っているね。それも感心、感心。

そんなある日のこと。家で爪を切ろうとしたら、爪が軽くぼやけている。確かにその日は、ちょっとていねいに手入れをしようと、いつもよりも近くに手を持ってきていた。普段通りの距離にしたら特段ぼやけることはない。

ほうほう、これはもう眼精疲労なんかではなく、確実に老眼じゃないですかい。よしよし、わかった。

というわけで、このあいだ百円ショップに行った時に老眼鏡を買ってきましたよ。レンズが縦1センチ横3センチぐらいの、いかにもおじいちゃんみたいなやつ。ケース付きで携帯にもばっちり。どうせ百円なんだし、ちゃうちゃう百五円なんだし銭失いというほどのこともあるまい。

最近はあんまりやってないけど、電気工作で抵抗やコンデンサーなんかの細かい部品を見るときにもきっと役立つであろう。新聞とかの細かい字にはまだいらないけど。

老眼鏡のパッケージの裏には度数の目安表が書いてあって、「41~46歳=1.0度、46~50歳=1.5度・・・」とある。おお、ぴったり。昭和四十二年生まれ、数え年で四十二歳の厄年、シニシニかぶりのぼくは、これで痛風、薄毛、高脂血症に加えて老眼の役四つで見事に満貫、中年ツモである。親じゃないから八千点。ヨンニィの四千、二千でよろしくお願いします。あっ、またヨンニィで「シニシニシニ」と三つかぶりました。

手の節と節を合わせて不幸せ、な~む~。

てなことを書いていたら、今日の分の尿酸値を下げる薬を飲むの忘れとったわ。いかんがや。次の役は物忘れだね。

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2008年10月15日 (水)

「御時世」がやってきた

Top_yellow話は夏前に戻る。

ある日お経にまわっていて、毎月の月参りに行くある檀家さんの家の前を通りかかったら家がなくなり更地になっていて、「売り地」と看板が出ていた。この檀家さんは七十代後半の老夫婦。帰って兄に聞くと、家を売り払って娘さんが住むマンションの隣の棟に引っ越したとのこと。まだ夫婦とも元気そのものだけど、娘さんがそろそろ親の今後が心配になってきた、ということらしい。ちょっと遠方になったんで、月参りはやめることになった。

で、夏。

お盆の棚経にはぼくが行った。引越し先は三棟並ぶ立派なマンションの内のひとつ。オートロックでピンポーン。広いエントランスからエレベーターに乗り、あらためて玄関でピンポーン。部屋に上がって仏壇の前に座ると、やにわに旦那さんが、
「おっさま、悪いけどよう、木魚はナシにしてもらえんきゃ?」
と言う。

「近所にうるさい人がおってよう。この前ニイさまに来てもらって仏壇の精入れしたら、そのあとやってきて『木魚がうるさい』言やあすんだわ。だで、これからお経は悪いけど木魚ナシでやってちょうすか」

きた。

今風に書くなら、

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

ですか。今年の流行語大賞は山本高広の「キターーーッ!」だろうけど、お経にもとうとう「御時世」がやってきた。

ずいぶんと前に一度だけ、どこぞの檀家だったかで「おっさま、今日はちょっと仏壇の後ろのふすまのすぐ向こうに病人が寝とるで、今日だけはちょっと木魚を静かに叩いてもらえんか?」と言われたことがあった。その時はもうめちゃめちゃに遠慮がちに木魚を叩いたかナシにしたかは忘れたけど、実際のとこ、中学生でお盆を手伝い始めた頃は木魚を叩かずに読んでいたし、木魚の置いてない檀家のとこ用に持ち歩いている携帯木魚を忘れて仕方なしにナシで読むこともあるんで、木魚がなくちゃいかんなんてことはない。それでお経のありがたみや極楽行きが怪しくなるなんてこともないけど、でもそれはあくまでもイレギュラーの話。

これまで、このマンションよりずっと壁が薄そうな集合住宅の檀家でもこんなことを言われたことはない。けど、ここでぼくがとやかく言うことでもないんで、久しぶりに木魚ナシでお経をあげた。まあ、ちょっとお経の間が悪い。

ちょっと長めの法事ならいざ知らず。早朝や深夜でもない。昼日中の月参りやお盆の十分程度のお経の際の木魚の音さえも「近所迷惑」と思う「モンスター住人」がついに出てきたということだろう。まず間違いなく、文句を言いにきたこの「近所の人」は仏事に出席したことなくオトナになった人であろう。

そうですか、これからはつまり、こういう人たちによって木魚の音はピンクチラシと同じ扱いになっていくというわけですね。世の中、そういう流れのほうに向かっているのですね。ああ、なるほど、そうですか。大切なのは信仰の自由よりも、「木魚の音も許さない静寂な生活環境」なんですね。

最近は病院で死んでも自宅マンションに帰れないことも少なくない。棺おけが入るようにエレベーターを作ってないことがあって、そうしたとこの住人は病院で死ぬと直接斎場に運ばれ、そこで枕経ということになる。気の利いたマンションだと、普段は壁になっている奥の壁を取り外して棺おけが入るようにしてあるとこもある。世間ではどっちのエレベーターが多いのかは知らん。

ここのマンションのエレベーターがどういう作りになっているか知らないけど、この檀家さんがいずれ亡くなってここで枕経をあげることになった際には、さてどうしたものか。木魚を叩くべきか、叩かざるべきか。

大体、この「近所の人」その人が亡くなって自宅に運ばれて枕経をあげることになったらば、その人は顔の上の白い布を取って、お寺さんに「ま、周りに迷惑だで、お、おっさま、木魚はい、いらん・・・、ガクッ」とでもなるんだろうか。そうなりゃこの人、まじで「モンスター住人」ですね。この人は自宅で死亡なんてことだけはぜひともないように気をつけられたし。本人に葬式をやる気がなくても、遺族がどうするかまでは左右できないし、「自宅での枕経だけは絶対ダメ!」と遺言をせいぜいしっかりしておくことである。さしずめそうやって死を生活から遠ざけておけば、モンスター住人はさぞや快適に暮らせるんでしょうなあ・・・。

木魚をピンクチラシ並みに扱われてぼやくピンク坊主gawk。 

この檀家さん、前の家では玄関に工具箱が置いてあって、日曜大工が好きな人である。それが今では、
「まあよう、ここじゃあ気になって釘一本打てん、ノコギリひとつ引けんでかんわ。鍵はかかっとらんけど監獄みてゃーなもんだわ」
だそうである。そう言って、笑顔で取り繕う。

ぼくは返す言葉がなかった。

娘さんが親を心配して近くに呼び寄せた。老夫婦はマンションの息苦しさを知らないで、家を売り払い引越してきた。するとそこは鍵のない監獄であった。けど、住み慣れた家はもうない・・・。

一人暮らしをする老いた親が心配になって、子どもが「おかあさん(おとうさん)、そろそろわたしたちと一緒に暮らそうよ」と言葉をかける。住み慣れた土地から離れ、気楽な一人暮らし(一人暮らしを続ける老人がそうしている理由の第一は「一人暮らしの気楽さ」だそうである)もそろそろ潮時と思わせてしまうこの「優しい言葉」を女性学の上野千鶴子は「悪魔のささやき」と表現した。慧眼である。

テレビで氏の「悪魔のささやき」の話を見て知っていただけに、この檀家さんの話を聞いて、ぼくの胸の内は余計に重く澱んでしまった。檀家さんから事前にこの引越し話を聞いていたとしてもぼくに何ができたわけでなし、なんともやりきれない気分。

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2008年10月 5日 (日)

おさかな育成記

Top_redさて、今日は「おさかな育成記」の話です。

八月の初頭に突然思い立ち、近所の鴨川で魚を掬ってきた。近所の百円ショップでタモが売っていたのもきっかけのひとつだったけど、学生時代にさかなを川で掬ってきて金魚鉢で育てたことがあって、それをふと思い出して、いざ川へ行かん、と相成ったわけである。

掬いに行ったのは結局一度だけではなかったので釣果、ちゃうちゃう、掬果(なんて読もう?)は何回か合わせてのものになるけど、今いるものをざっと勘定すると次のようになる。

カワムツ=約30、ヨシノボリ=約6、エビ(おそらくミナミヌマエビ)=約10(プラス数十匹)、メダカ=約7、コイ=1、サカマキガイ=3。

これをちっちゃい水槽「わたしの楽園プチ」というのとちび金魚鉢とに分けて飼っている。ちび金魚鉢にはメダカ=2、エビ=5、ヨシノボリ=2を入れて、たまにエサと差し水をする以外ほったらかし。これでどこまで持つかわからないけど、ほぼバランスドアクアリウム状態である。この数字は累々の犠牲の上に得られたものである。合掌。でも、多分まだ多すぎる。事前に合掌。

「わたしの楽園プチ」というのは、酸素ブクブク付きのコンパクトな水槽である。一番最初に魚を掬ってきた時、ちび金魚鉢にどばーっとおさかなたちを入れたら、見事にあれよあれよと逝ってしまい、こりゃいかん、とあらためて買ってきた。さすが酸素ブクブク付き、さかなが酸欠で調子をくずすことはなくなった。

ただし、混泳させるには不具合のある魚種がいることがわかった。それはコイとエビ。

Photo_3エビは水際の草のしげみにタモを突っ込んでガサガサ揺すってやると大量に採れる。それをコイと一緒に入れてわかったのは、コイはどうもエビが大好物である。ぼくもエビちゃんはとてもお気に入りであるけれども、 それにしてもコイのエビちゃん好きは過剰である。隙あらばいつでも襲いかかる。エビちゃんピーンチッ! こんなに堂々とエビちゃんに襲いかかれるなんて、うらやましいよ、コイ。

さっきからコイ、コイと書いているが、このコイは最初5センチにも満たない「フナ」だった。それがエビを食べまくり、ぐんぐん大きくなり、「なんか、おかしい」と思ってよく見ると、口元にヒゲが。コイとフナの幼魚の見分けかたは、ほぼ口元のヒゲだけだそうである。フナなら大きくなっても15センチぐらいだからと安心していたのだけど、コイならあなた、大きくなれば一メートル級である。伊東に行くならハトヤ級である。

もう一度口元をよく見てみる。ああ、やっぱりコイだ。

それからも日々コイは悪食を繰り返し、食べ残したエサもしばらくするときれいに食べ尽くして、調子よく成長している。上記の「エビ=約10(プラス数十匹)」のプラス数十匹も、早い話がバケツで別飼いの生餌である。

話は少しそれるけど、最近、「エサをやる」ことを御丁寧にも「エサをあげる」と言う人が増えてきた。植木や花に水をやるのも「水をあげる」などと言う。そう言う人っていうのは、「エサやり」「水やり」を「エサあげ」「水あげ」なんて言うのかね。「○○してやる」と言うのはそんなに品ない言葉なんかね。

テレビや雑誌なんかで、「睡眠障害の治療には朝起きてあげることが重要」とか、「太い音を出すにはアンプでベースのつまみを大きくしてあげよう」なんてのをやけに見聞きする。「起きてあげることが重要」の方にいたっては、誰のための何の治療か意味も変だし、もうなにがなんだか。

さらに話はそれるが、仕事上で直接の取引や関係があるわけでもない人が、店や会社の名前に「さん」をつけるのも、なんか聞いていて気持ち悪い。報道番組やワイドショーでコメンテーターが「ソニーさんが・・・」とか「ローソンさんが・・・」とか、アホかっちゅうの。

バカ丁寧っちゅうのかなんちゅうのか、こういうのは、「わたしはあなたの敵でないですよ~。人にもペットにもお花にもボリュームつまみにも、みんなみんな上も下もないんですよ~」と、他者との摩擦を極力避けるべく、予防線張りまくりの心理の表われなんだろうけど、実に気づかいあるお上品な人が増えてきました。

さてさて、話を戻す。

エビはもともと半透明に近い白色だけども、恐怖にさらされていると色が茶色くなってくるそうだ。仲間が次々と襲撃されるのを横目で見ながら生き残っているエビたちは、もう黒に近いぐらいの茶色になりながら石の陰に隠れてひっそりとしている。

同居人はある時、あまりのコイの襲撃っぷりを見かねてコイを一匹だけバケツに隔離してしまった。それを見てぼくが「懲罰反対っ!反対っ!」とシュプレヒコールをあげてうるさくしたんで、また「わたしの楽園」に戻ることになった。エビは再び「自然淘汰」にさらされているけど、こうなると、「わたしの楽園プチ」は「鯉の楽園グランデ」である。

今やコイは、横幅が20センチにも満たない「わたしの楽園プチ」の約5分の2ほどにまでなっている。同居人でなくても、これではコイにちょっと手狭な気がする。

うむむ・・・。

再来月あたりから我が家の風呂桶はコイに乗っ取られていることになるであろう。さらにその先には我が家でナベを催したいと算段している。ちょうどその頃には今年漬けた梅酒もいい具合になっていることでしょう。いずれ食物連鎖の頂点にぼくが立つ。

Photo_2

水草は金魚鉢を買った時についでに買ったものだけだったけど、水草って川に結構生えてるのね。どう見ても外来種なものばっかりだけど、それを引っこ抜いてきて、小石に糸でくくりつけて底砂に植えてカッコウをつけた。

砂も川底からいただいてきて、フルイにかけて大きさを揃えて底に敷いた。よく見るとガラスの破片が結構な量混ざっている。砂を洗う時には軍手をはめてやらないと危ないですね。鴨川は都市河川の中では比較的きれいだと思うけど、自然というにはやっぱり程遠い。

そうそう、何回か掬いに行っていて、ある時ヌートリアを見かけた。街中のほうで見たという話は聞いていたけど、ぼくが見たのはそこから何キロか下流のあたり。こちらの川岸からあちらへ顔を出してヌーと泳いでいった。もしあれがヌートリアでなければカワウソだけど、フツーに考えればやっぱりあれはヌートリアだよね。外来種が増えているといっても、ちょっとびっくりした。今回掬ってきたおさかなたちも元々の天然物はカワムツとエビぐらいのもんだろうから、今さらなにがどうということないかもしれないけど。ヌートリアかあ。

ネット上の本格的な人たちから見たら、ぼくのやっていることはさかなの虐待に近い。「こんなにちっちゃい水槽に何匹飼っとるんだ」っちゅう話である。でもそれはネットで人と比較してみた話。ぼくの気分にしてみれば、夏の少年のさかなとりの気分である。小学生のとき、友だちと近くの田んぼや用水路に行って、勢いにまかせてザリガニを二百匹ぐらい釣ってきて、その後続々と死んでって腐臭に泣いたことがあるけど、そんなことを思い出す。いろんなものにまとめて合掌。

今、「おさかな育成記」は、その大きさと成長の速さが目立つだけにコイ中心だけど、いずれはこのコイもぼくの胃の中へ。で、この水槽のホントの主役は、風情がかわいいかわいいヨシノボリ、我が家での愛称ハゼドンである。普段は石の陰に隠れていることが多いけど、時々外に出てきてはたそがれている。そのたそがれ具合がなんか人間くさくて「さかな離れ」している。ヨシノボリも何匹か死んでしまったけど、悪食のコイがその死体に口をつけようともしない様子からして、どうも肉身もまずそうだし、ぼくも食べることはなかろう。そもそも食べるにはちっちゃいし。

そうそう、数が多くて一匹一匹のキャラ立ちが弱いカワムツたち。これはいい具合に育ったら塩焼きでいただきたいところである。

おさかなちゃんたちがうまいこと成長して、いずれぼくが食物連鎖の頂点に立ち、水槽の中が今よりも寂しくなってきたら、水槽の上段と中段はメダカ担当、水底はハゼドンがなごましてくれることになると思う。その時には、生き残ったエビもエビちゃんみたいに色白に戻って、安心して暮らしてね。

2_2 エビちゃん、かわいいわあheart04

  

  

  

  

てなことを下書きした翌日、水槽を見るとどうもコイはエビのみならず、メダカやちびカワムツまで食っているらしいことが判明。夜の間に数が減っとる!

さとちゃん、大怒り! メダカはまだしも、カワムツまで食うとは! おれのおやつを取るな!

すぐさまコイを「鯉の楽園グランデ」から取り出して、以前冷凍物をもらった時の発泡スチロールの箱に強制隔離したった。そこで水草にからまりながらおとなしく泥水すすっとけっ!

なんか、「おさかな育成期」というよりは「おさかな養殖記」という感じですね。

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