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2008年12月の記事

2008年12月25日 (木)

まだ言うか

Top_blue連日不況のニュースである。寒い空の下へ無職者が放り出されている。なのに、この期に及んで、「自己責任」を言う人がまだいたりして、なんとも、一層暗い気分にさせてくれる。「効率」「能力」とかその手の価値観は、部分的な幸せを生むことはあっても、社会全体の幸せには程遠いということをわからない人が、まだ少なくないと見える。

社会の仕組みというものは、誰かが不幸せにならないようにすることが肝だ。たとえその誰かが「無能」であろうとも、その人を不幸のままに放置してはいけない。人が困った局面に突き当たったら、社会全体で手助けをするのは当然のこと。失業や病気の原因に、たとえその人の「能力の低さ」があるとしてもだ。そういった人も含めての「世の中」だということに目をつぶっていても、しかたがない。ましてや、今の状況の原因の多くは「その人のせい」というよりは、「世の中のせい」が担っている。

たったこれだけのことを言うだけで、「行き過ぎた平等」「そんなの社会主義だ」などと言い出す人がいる。社会主義がなにかもよく知らずそんな言葉を吐く人には、かつての「行き過ぎた平等」の時代のほうが、今よりずっと、日本の経済力が強かったことを思い出すことはできないのだろう。利他の精神がないか、都合のいい記憶力の持ち主か。「疎外意識の疎外」というのは、問題の原因じゃなくて結果なんだなあ、やっぱり。

自己責任という言葉を聞くたびに、人は他人のことをどこまで思いやれるのか、人は利他の精神にどこまで耐えられるのかと思う。他がなければ己が生きていくことなどできない社会的存在の人間が他人を忘れた時、そこに自分を含めた社会全体の不幸が訪れる。「わが身の不幸」を戦争で一気に解決する道を政治が提示したなら、喜んでそこに乗っかる人たちが大勢出てくることも、このまま行けばそう遠い話ではない。

ハケンギリ。これはもうしかたないことでしょう。だって、今まさにこの不況のために、コヨウチョウセイのために、ハケンロウドウをここまで拡大してきたのだから。今切らずしていつ切るか。

こんなことを許す法律を作った議員を選んできたのは、まがうかたない、ぼくたち有権者である。こうなるのは十年も前からわかりきっていたこと。それを放っておいただけのこと。それが今火を噴いているだけのこと。

「新自由主義」などという裸の資本主義は、金のためなら、これこうして寒空の下といえども人を放り出す。わが身の目先の生活のために、人を不幸にし、その人生に「自己責任」という言葉を吐きつける。

仕事も家も失い、「神も仏もあったもんか」とつぶやきながら、年の瀬も正月もなく過ごす人たちは多いことだろう。そんな人たちを生み出しているのは、彼らの「無能」ではない、ぼくたちの無知と無関心だ。こんな国には日の丸が実によく似合う。

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利他の精神とつながる政治をいつまでたっても作り上げられないのはぼくたちであり、それは同時にぼくたち全体の不幸でもある。

さびしい話だ。

 

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次回の記事の予定は1月15日。

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2008年12月15日 (月)

ひとごと

Top_blue「ひとごと」という言葉、文字表記でよく見かけるのは「他人事」。「人」にはそもそも「他人」という意味も含まれているから、あえて「他人」にすることもないけど、素直に書いた「人事」では「じんじ」と同じになる。それを避けるためのまあこれはひとつの工夫ですね。

この表記に引きずられて、最近「たにんごと」と言う人が増えてきた。この「たにんごと」というのはかなりの人が口にするけど、この言葉が辞書に載るようになったのは最近になってのことだと思う。よく知らねえけど。

「他人事」のノリで、「よそ」を「他所」と書くと、麻生総理でなくても読めない人は少なくないと思う。なんせ漢字はハンザツだしね。よく知らねえけど。

「ひとつき」「ふたつき」を書くときにもちょっと悩む。「一月」「二月」では「いちがつ」「にがつ」と同じ。ぼくは「ひと月」「ふた月」と書くようにしている。

この原則でいくと「みつき」は「み月」だけど、「み月」はちょっと変だなあ。「三月」では「さんがつ」だし、「三ヶ月」に書き換えるかあ。けど、じゃあ「十月十日=とつきとおか」はどないする? 「おなかの中に赤ちゃんがいるのは十ヶ月と十日間」とか書くと、味気ないぞ。

「ひとり」「ふたり」を、算用数字を使って「1人」「2人」と書くのを見かけることがあるけど、これは時にとても違和感があることがある。「10人10色」「10年1日」などと書けば、これはもうすでに新たな文学表現である。

ムツカシイなあ。ムヅカシイ、ムズカシイ。特に和語が絡むと、聞く分には全然おかしくないのに、文字表記になるとややこしくなることが少なくない。

ぼくも「たにんごと」という言葉はすっかり聞き慣れてしまったけど、「他人」の意味で使う「ひと」にことごとく「他人」の字を当てるのには、ちょっと抵抗がある。「他人」と書いて「ひと」と読ませるのは、そもそも無理があろう。それよりも「人」には「他人」の意味があることをよく踏まえて、フシュウしていくべきだろうと思う。ちゃうちゃう、トウシュウ、トウシュウ。あれれ、言葉選び合っとる???

ということで、ぼくは「ひとごと」を書くとき、「人ごと」と書くことにしている。ような気がする。「ひと事」では、「ひと=一」と一瞬「一事」と混乱して、読むのがつっかえる。ような気がする。「人ごと」と「他人事」ではえらい遠く離れた表記だけど、同じ言葉なのですね。ムヅカシイ、ムズカシイ。

言葉は生きていますね。よく知らねえけど。

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2008年12月 5日 (金)

パイプをプカプカ

Top_yellow最近またパイプに凝っている。

最初、パイプを始めたのは学生の時。部屋で横になって、くわえたばこでテレビを観ていると、いちいち灰を落とすのがめんどくさい。なんか灰の出ないたばこはないもんやろか。そうそう、パイプは灰を落とす必要ないがね、と気づいたわけである。ぼくが新しいことを始める動機は、いつも大体こんな感じである。

早速コーンパイプを買ってきて吸ってみると、なかなか具合がよろしい。灰を押さえるタンパーは、鉛筆のお尻に画鋲を刺して代用して、うん、いかにもぐうたら貧乏学生っぽくて調和的である。

十年ぐらい前には、キセルにも凝ったりした。その頃は紙巻きたばこをほとんど吸わず、キセルばかりだったんだけど、人前で吸っていると、一服するたびにいちいち「めずらしいですねえ」なんて会話になって、一服して休もうっちゅうのにかえって気疲れするんで、外で吸うのはやめてしまった。

パイプは、ちょっと一服というよりもゆっくり時間をかけて吸うんで、外で吸うことはほとんどない。それに、灰を落とさなくてもいい代わりに、キセルと同様、吸うのにちょっとした手間とコツがいるから、少しめんどくさい。それが道具を使った喫煙の楽しみといえば楽しみなんだけど、普段使いになるほどの「パイプ党」というわけでは全然ない。

普段は紙巻きを吸っているけれども、時々気が向くとパイプを吸っている程度のことで、今回もふと思い出して、キセルやらパイプやらたばこグッズが入っている手作り火鉢の引き出しから引っ張り出してきて、プカプカやっているわけである。最初のコーンパイプはデタラメな扱いですぐにだめになってしまって、今は、兄のヨーロッパ旅行のお土産と、同居人にナントカプレゼントでもらった二つを愛用している。

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パイプは紙巻きよりも香りが豊かで、ちょっと高級品っぽい。葉っぱにお酒やバニラなんかで香りづけをしてあるタイプが多くて、ふわっと甘い匂いが広がる。でもぼくにはちょっと甘さがきつい。なるべくそういうのでないのがいいんだけど、たくさん銘柄があって、店に行っても何がなんやらようわからん。素直に店の人に聞けばいいんだろうけど、次に買いに来たときにアーダコーダと話が弾むのもめんどくさいんで、適当にエイヤッと買うと、まあ大概甘い。

ところがいまやネットの時代。調べてみると、パイプ好きの人たちが好き勝手に品評会をしてくれているし、こだわりのたばこ屋さんも味の簡単な紹介をしてくれている。すると、どうやら甘い香りづけをしてあるのはアメリカタイプだそうで、あまり香りづけをしてないのがイギリスタイプで、その中間がヨーロッパタイプなんだそうな。って、こんなことは前に読んだ本にも書いてあったっけかな。

というわけで、イギリスタイプのを買ってきた。その名もダンヒルのなんとかの945。そちらの世界では定番物らしい。

すぱーっ。ぷかーっ。

ふふーん、あるがね、あるがね、こういう素直なたばこの味。あと、ヨーロッパタイプのマック・バレンのヴァージニアNo1。これはヴァージニア葉のストレートな味わいが売りなんだとか。何がどうだとどうなのかよく知らないけど、これもぼく好みの味わい。いわゆる香りづけのやつならキャプテン・ブラックっちゅうのがよろしい。これはアメリカタイプなんだそうだが、葉っぱのしっとり感がいかにもパイプっぽくてよろしいじゃないですか。

キセルはほんの一服、ニ服という感じで、時間の区切りに実に具合がよろしい。一方、パイプは時間をかけて楽しむ。パイプのボウルがほんのりあったかくなるぐらいで吸っていると、一時間ぐらいは経っている。どっかのサイトにうまいこと書いてあったけど、「火を消してしまわない程度にゆっくりとふかす」のがコツ。すると、たばこ本来の香りが口の中に広がっておいしい。

火が消えないようにせかせか急いで吸うと、煙が辛くなるわ、舌を傷めるわで、これは大変によろしくない。火を消さないように吸うのが結構難しくて、何度も火をつけ直し、つけ直ししながら吸うのが、まあ普通でしょう。いつも一時間かけなければいけないこともないわけで、放っておいて立ち消えたものにまた火をつければいいだけのこと。それで特段味が落ちるわけでない。

ぼくはいまだに上手に吸いこなせていないけれど、こういうのを覚えていく過程全体が、いかにもおっとなーな感じでよろしい。これまたどこかの本に書いてあったけど、「パイプは小さな焚き火」。空気の流れを考えながら火をうまいこと操るのは、確かに焚き火とおんなじ。焚き火が上手な人って、大人だとぼく思います。

そういえば大学の時に哲学講読で、パイプをふかしながらマックス・シェーラーの講義をする先生がおったなあ。思い返せば、当時すでに教室内は「禁煙」だったはずだけど、とやかく言う野暮天はいなかったですなあ。あの先生もいまや大学から放逐されてしまったんだろうかなあ。だとするなら残念だなあ、とっても。

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パイプたばこは高級品というイメージがあるけど、勘定してみるとそんなに高くない。たばこ葉一パック九百円ぐらいが標準的な値段で、ざっと紙巻きの三箱分(ダンヒルのナントカ945はちょっと高くて千三百円)。セブンスター(三百円)を一日二箱ぐらいのぼくが、もしパイプだけを吸うとして、一パックで多分三日ぐらいもつ。実際にはセブンスターを一日に一箱、パイプが一週間で一パックぐらいのペース。イメージと違って、パイプはかなりのお値打ちなのがわかっていただけたでしょうか。

最近はたばこが高くなってきて、ちょっとお小遣いがもったいないかなあ、なんて思うんなら、ちょっとパイプを吸ってみてはいかがでしょう。初期投資も数千円のパイプと数百円のタンパーぐらいのもの。コーンパイプならもっと安い。鉛筆のお尻に画鋲を刺せばさらに安い(が、貧乏くさい)。

パイプたばこには紙巻きよりもいろんな味があって、いつもと違った時間を楽しめる。しかもお値打ち。ほっておく手はない。普段紙巻きはやらなくても、パイプを時々吸うという人もいるみたい。たばこを吸っても怒られない大人にせっかくなったんなら、ちょっと手を伸ばして、パイプをたしなんでみるのもよろしいんじゃないでしょうか。

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