働き者の人たち
ぼくは正月に出歩くことがあんまりないんだけど、今年は三日に名駅に寄った時デパートに行った。そんな時期にデパートへ行ったのは初めてだったんだけど、あまりの人出にびっくりした。そういえば、二日にも風邪で寝込んでいた母の食事を買いにショッピングセンターに行ったんだった。その時も、年末よりむしろ人出が多くてびっくらこいた。
だいぶと前から正月から開いている店が増えたと思っていたけど、こんなに客が来ていたのか。なんか今年は不況のあおりとかで、例年に比べて百貨店は売り上げが一割ぐらい落ち込んだそうだけど、それにしてもたくさんいたなあ。
一昔前までは、正月に開いているのは、正月ならではの縁起物関係の店やスキマ産業的にやっているところぐらいなもので、どこも休みと相場が決まっていた。正月に備えて年末の買い物はいつもより多めに買いこむために、店の「年末セール」も年末セールとしての意味があったんだけど、正月から開いているようになってからの年末セールは「売らんかな」のための売り言葉でしかなくなった。
店で働いている人にも「正月」はあるわけで、それを潰させてまで金儲けをしようというのはいかにも伝統の破壊だろう。そういった店で働く人たちの正月は、朝お雑煮を食べること以外普通の日と変わらない。
大店法の規制がはずれたついでにいろんなタガが緩んで以来そういう時期にも営業しやすくなったのは、資本主義による伝統的生活の破壊行為ということだ、ありていに言ってしまえば。外国ではどういう風なのか知らないけど、日本ではこうした時に「伝統」による抵抗力はほとんど機能しない。左翼民族主義者としてぼくは情けなく思う。
確かにこんな国には日の丸がよく似合う。「愛国心」も強制しなきゃ生まれるわけない。ある意味首尾一貫。
とか言いつつ、いっとき書いていた年賀状をやめてしまったぼくが言うのもナニですかな。ぼく自身の「あるべき年末年始の姿」といっても、実際は十歳ぐらいまでに作り上げられもののような気がする。年末におばあちゃんの家に親戚が集まって餅つきをしたりとかいった「正しい年末」も、中学生の時におばあちゃんが死んだ頃までのことだ。街なかを通っておばあちゃんちに行く時、正月休みのデパートを横目で見ながら、母が「松坂屋は他のデパートより正月休みが長い。それが松坂屋が一番ということの証し」なんて言っていたのもそんな頃のこと。そう考えると、「伝統」の意識形成なんてのは子どもの頃の十年ぐらいで出来上がってしまうということなんだろうかね。
それはそれとして、中小は大きいところに引っぱられざるを得ないわけで、住宅地にあるような店は措くとしても、都心部では小さい店も開いているところがぐっと増えた。一月の売り上げの内、正月休みの時期の売り上げがそんなに言うほどのものでないのだったら、働く人たちからの文句でやめる方向に話も進めやすいだろうけど、あれだけ人出があればそれなりに売り上げがあるだろうから、経営側としてはもうやめるにやめられないだろう。
大手の商い人たちはそうと知ってか知らずか、禁じ手に手を出してしまったんだなと思う。麻薬中毒患者みたいなものだ。
| 固定リンク





















ロック好きなら「ボブ・ディランしか聴いてない時期」というのをきっと一度は通るものだ。いわゆる「うまい歌」からは遠く離れた歌い方なのに、なんだこの磁力は! 曲自体も、他人がカバーするのを聴くとめちゃめちゃいい曲だということを改めて思い知り、ほとほと感心する。このアルバムだけで三週間は過ごせる。フォークの神様をロックが包摂していく瞬間をこのアルバムで感じとろう。






























