餅屋はどこに
白雪姫や浦島太郎なんかの童話の絵本が入った、くるくる回る棚が本屋のレジ脇によくありますね。そういう棚には、まだまだちっちゃい子どもが親に読んでもらうような本がたくさん入っている。「初めて出会う本」とでも言うんですか、そういうのは。
ぼくの初めて出会った絵本は、確か、松谷みよ子の『いないないばあ』と『あなたはだあれ』だったと思う。おかあちゃん!
この前、本屋でそんな棚を何の気なしに見ていたら、 『コンビニエンスストアでおかいもの』(ポプラ社)という本を見つけた。
これは、絵の代わりに写真を使った本。セブンイレブンが全面協力らしく、とあるセブンイレブンが舞台。「おしごとえほん」シリーズということで、「おみせにおにぎりがならぶまで」と最後にチョー簡単に解説をしてはいるけど、要は、漫画で書かれた小学生ぐらいの女の子と幼稚園ぐらいの男の子が、「いろんなものがいっぱいあるねえ」とびっくりしながらお買い物をするという話である。
「そうかあ、おれは駄菓子屋だったけど、今は買い物を覚えるのはコンビニでかあ。そうかそうか、そりゃそうだわなあ。にしても、なんか寂しい話だなあ」、そんなことを考えながら、コンビニで店員が子どもに向かって、「いらっしゃいませ。ありがとうございました」と声をかける、あの異様な風景を思い出していた。うむうむ、これは時代の証言として購入しておこう。三百五十円になります。千円からでよろしいでしょうか。
それにしても、この本を親はどういう気持ちで子どもに読み聞かせるのだろう。良質な絵本で定評のあるポプラ社も、思い切った賭けに出たものである。「初めてのお使い系ほのぼの」を主眼としてないと言えなくもないけど、これ、かなりきてます。もしなにか他意があるなら、相当したたかな戦略である。
思い返せば、ぼくが子どもの頃は、ちっちゃい個人商店が近所でも健在であった。自分で買うような物でも、鉛筆は文房具屋、アイスクリームはお菓子屋、電池は電気屋、学校指定の体操服は洋品屋、砥石は金物屋、花火はおもちゃ屋とそれぞれに店があった。けど今ではそういう店はことごとく閉じてしまい、コンビニとショッピングセンター、ホームセンター、百円ショップでほとんどまかなえてしまう。というか、そこでなくてはまかなえない。
子どもの時にはお店屋さんごっこをしたもんだが、花屋だとか、果物屋だとか八百屋、魚屋、本屋、ケーキ屋・・・、それぞれが好き勝手に店を開き、葉っぱやら石ころをお金にして、どの店も商売繁盛だったものである。
そんなことを思い出して、ふと思う。今の子がお店屋さんごっこをするとなると、どうなるの?
「リアルお店屋さんごっこ」なら、肉が好きな子どもはスーパーの精肉コーナーの担当を希望するのであろうか。大工道具に興味を持つ子どもはホームセンターの大工道具コーナー担当になるのであろうか。いやいや、お店屋さんごっこという以上、レジこそが売り買いの現場なのだから、レジ係が人気なのかもしれぬ。
ハンバーガーが好きな子どもは、
「わたしマクドナルド」
「じゃあ、ぼくロッテリア」
「ああ、取られたあ。じゃあドムドムでいいわ」
などと、店の種類別ではなく、会社別で選ぶのであろうか。
じゃあ、おれはねえ、吉野家やる。誰か、なか卯やって。
今は個人商店をやろうと思っても、なかなかやれそうにもない。花が好きだから花屋さんをやろうかと思ったら、どっか大きな園芸店に就職するのがまっとうな道であって、いきなり花屋を開くなんて相当酔狂な人であろう。今さら町の電気屋さんを始めたい人なんてほとんどおりますまい。「よっしゃ、わし帽子屋やる。屋号は伽羅!」と言っても、「やめとけ」と身内に止められるのが関の山である。「家具屋でも始めますか」と言って、本気で受け止められることなんて、まずはなかろうもん。果物屋も魚屋も薬屋も楽器屋も眼鏡屋も時計屋も煙草屋も靴屋も鞄屋も本屋も酒屋も饅頭屋も豆腐屋も米屋も瀬戸物屋も、もうなんでもかんで然り。わずかに飲食店がやれるぐらいのものだろう。
ことわざで「餅は餅屋」って言うけど、おーい餅屋はどこなんだ?
先日、ユニクロで有名なファーストリテイリングがナントカと言うブランドで九百九十円のジーパンを売り出す、とニュースになった。ダイエーや他の店もそれに対抗して安い商品を揃えるだとかいう話である。あれだけ大々的にニュースをやってくれれば、どれだけの宣伝効果があったことだろう。今や普段着も多くは資本のある店で買うことになっている。メーカーについては車だとか電気製品など昔から大きいところが中心だったが、今ではまるっきり小売まで大資本中心で動いている。そういえばこの前、ファーストリテイリングのシャッチョウさんは米経済誌フォーブスの長者番付で資産六十億ドル世界第七十六位だと新聞に載っていたなあ。すっごいなあ。
今それなりに商売を始められるのは、それなりの資本を持った者(法人)に限られている模様。夢のない話だよねえ、なんか。生業でなにか商いをしようと考えたら、テナント借りてやるか、企業化まで考えないかんのかね。どうにもシンプルな生き方がしにくくてかなわん。
自営業と言えばかたい響きだけども、そういう店が家の近所にちょこちょこっとあって、町は人間味を持つ。であればこそ、子どもも安心してお店屋さんごっこができるというもんだ。
そりゃあぼくだって頭の先から足の先までユニクロで揃えられる。百円ショップもしばしば利用する。「こんなことボヤくならそんな店で買わなきゃいい」と、不買運動みたいな潔癖なことは言わない。実際に品揃えがいいし。
決してぼくの身はきれいではない。今の便利な世の中にどっぷりと肩まで浸かった身だ。それでもぼくは、こういう社会の仕組みって、とても変だと思う。個人で店がやれないなんて、こんな世の中狂ってます。
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友よ、ぼくの一言多いことを・・・・・・、
まあ、これまでもなんかあれば縫い物はしているし、今回も帽子ばかりでなく、勢いに乗じて手提げかばんや小物入れも作っているけど、帽子はこれまで挑戦したことがなくて、で、やってみたら案外ちょろいもんだとわかって、言葉を覚えた子どもがしゃべりまくりだすように、必要以上に帽子をいくつも作っているわけである。
さて、帽子を作ると聞けば、なんかとても特別な技術がいると思うだろうけど、いざ作ってみると、型紙さえあれば、縫いの作業自体に特段難しいことはない。簡単なかばんや袋物なら型紙もいらないけれど、さすがに帽子では型紙がないと相当にややこしいはず。最初は型紙通り作って、それからオリジナルなものを作ってみたければ作ればよろしい。そのへんは楽器の習得と同じである。まずはコピー。
使う布切れは、帽子一つ分で長袖のシャツの両袖分ぐらい。同じだけの裏地分の布切れもいるけど、まあいずれにせよ大した量ではない。なんとなれば裏地を表地と同じ布にしてしまえば、長袖のシャツ一枚分弱で、ほほほいのほいである。裏地にも気を使って作ればリバーシブル仕様にもなる。小学校の体育の赤白帽みたいなもんである。
「な、な、なんじゃ! やいの、やいの!」

















ロック好きなら「ボブ・ディランしか聴いてない時期」というのをきっと一度は通るものだ。いわゆる「うまい歌」からは遠く離れた歌い方なのに、なんだこの磁力は! 曲自体も、他人がカバーするのを聴くとめちゃめちゃいい曲だということを改めて思い知り、ほとほと感心する。このアルバムだけで三週間は過ごせる。フォークの神様をロックが包摂していく瞬間をこのアルバムで感じとろう。






























