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2009年3月の記事

2009年3月25日 (水)

餅屋はどこに

Top_yellow白雪姫や浦島太郎なんかの童話の絵本が入った、くるくる回る棚が本屋のレジ脇によくありますね。そういう棚には、まだまだちっちゃい子どもが親に読んでもらうような本がたくさん入っている。「初めて出会う本」とでも言うんですか、そういうのは。

ぼくの初めて出会った絵本は、確か、松谷みよ子の『いないないばあ』と『あなたはだあれ』だったと思う。おかあちゃん!

この前、本屋でそんな棚を何の気なしに見ていたら、 『コンビニエンスストアでおかいもの』(ポプラ社)という本を見つけた。Photoこれは、絵の代わりに写真を使った本。セブンイレブンが全面協力らしく、とあるセブンイレブンが舞台。「おしごとえほん」シリーズということで、「おみせにおにぎりがならぶまで」と最後にチョー簡単に解説をしてはいるけど、要は、漫画で書かれた小学生ぐらいの女の子と幼稚園ぐらいの男の子が、「いろんなものがいっぱいあるねえ」とびっくりしながらお買い物をするという話である。

「そうかあ、おれは駄菓子屋だったけど、今は買い物を覚えるのはコンビニでかあ。そうかそうか、そりゃそうだわなあ。にしても、なんか寂しい話だなあ」、そんなことを考えながら、コンビニで店員が子どもに向かって、「いらっしゃいませ。ありがとうございました」と声をかける、あの異様な風景を思い出していた。うむうむ、これは時代の証言として購入しておこう。三百五十円になります。千円からでよろしいでしょうか。

それにしても、この本を親はどういう気持ちで子どもに読み聞かせるのだろう。良質な絵本で定評のあるポプラ社も、思い切った賭けに出たものである。「初めてのお使い系ほのぼの」を主眼としてないと言えなくもないけど、これ、かなりきてます。もしなにか他意があるなら、相当したたかな戦略である。

思い返せば、ぼくが子どもの頃は、ちっちゃい個人商店が近所でも健在であった。自分で買うような物でも、鉛筆は文房具屋、アイスクリームはお菓子屋、電池は電気屋、学校指定の体操服は洋品屋、砥石は金物屋、花火はおもちゃ屋とそれぞれに店があった。けど今ではそういう店はことごとく閉じてしまい、コンビニとショッピングセンター、ホームセンター、百円ショップでほとんどまかなえてしまう。というか、そこでなくてはまかなえない。

子どもの時にはお店屋さんごっこをしたもんだが、花屋だとか、果物屋だとか八百屋、魚屋、本屋、ケーキ屋・・・、それぞれが好き勝手に店を開き、葉っぱやら石ころをお金にして、どの店も商売繁盛だったものである。

そんなことを思い出して、ふと思う。今の子がお店屋さんごっこをするとなると、どうなるの? 

「リアルお店屋さんごっこ」なら、肉が好きな子どもはスーパーの精肉コーナーの担当を希望するのであろうか。大工道具に興味を持つ子どもはホームセンターの大工道具コーナー担当になるのであろうか。いやいや、お店屋さんごっこという以上、レジこそが売り買いの現場なのだから、レジ係が人気なのかもしれぬ。

ハンバーガーが好きな子どもは、
「わたしマクドナルド」
「じゃあ、ぼくロッテリア」
「ああ、取られたあ。じゃあドムドムでいいわ」
などと、店の種類別ではなく、会社別で選ぶのであろうか。

じゃあ、おれはねえ、吉野家やる。誰か、なか卯やって。

今は個人商店をやろうと思っても、なかなかやれそうにもない。花が好きだから花屋さんをやろうかと思ったら、どっか大きな園芸店に就職するのがまっとうな道であって、いきなり花屋を開くなんて相当酔狂な人であろう。今さら町の電気屋さんを始めたい人なんてほとんどおりますまい。「よっしゃ、わし帽子屋やる。屋号は伽羅!」と言っても、「やめとけ」と身内に止められるのが関の山である。「家具屋でも始めますか」と言って、本気で受け止められることなんて、まずはなかろうもん。果物屋も魚屋も薬屋も楽器屋も眼鏡屋も時計屋も煙草屋も靴屋も鞄屋も本屋も酒屋も饅頭屋も豆腐屋も米屋も瀬戸物屋も、もうなんでもかんで然り。わずかに飲食店がやれるぐらいのものだろう。

ことわざで「餅は餅屋」って言うけど、おーい餅屋はどこなんだ?

先日、ユニクロで有名なファーストリテイリングがナントカと言うブランドで九百九十円のジーパンを売り出す、とニュースになった。ダイエーや他の店もそれに対抗して安い商品を揃えるだとかいう話である。あれだけ大々的にニュースをやってくれれば、どれだけの宣伝効果があったことだろう。今や普段着も多くは資本のある店で買うことになっている。メーカーについては車だとか電気製品など昔から大きいところが中心だったが、今ではまるっきり小売まで大資本中心で動いている。そういえばこの前、ファーストリテイリングのシャッチョウさんは米経済誌フォーブスの長者番付で資産六十億ドル世界第七十六位だと新聞に載っていたなあ。すっごいなあ。

今それなりに商売を始められるのは、それなりの資本を持った者(法人)に限られている模様。夢のない話だよねえ、なんか。生業でなにか商いをしようと考えたら、テナント借りてやるか、企業化まで考えないかんのかね。どうにもシンプルな生き方がしにくくてかなわん。

自営業と言えばかたい響きだけども、そういう店が家の近所にちょこちょこっとあって、町は人間味を持つ。であればこそ、子どもも安心してお店屋さんごっこができるというもんだ。

そりゃあぼくだって頭の先から足の先までユニクロで揃えられる。百円ショップもしばしば利用する。「こんなことボヤくならそんな店で買わなきゃいい」と、不買運動みたいな潔癖なことは言わない。実際に品揃えがいいし。

決してぼくの身はきれいではない。今の便利な世の中にどっぷりと肩まで浸かった身だ。それでもぼくは、こういう社会の仕組みって、とても変だと思う。個人で店がやれないなんて、こんな世の中狂ってます。

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2009年3月15日 (日)

年賀状

Top_yellow時季がずいぶんとはずれているけれど、今日は年賀状のことを書く。

ぼくは年賀状というものを小学校の時に書いて以来、ずっと書いてなかったんだけど、十年ほど前に同居人と暮らすようになって、毎年、年末になると同居人がせかせか書いているのを見ていたら、「おれもいっちょうやってみるかあ」なんて気分になって、何年間か続けたんだけど、結局めんどくさくなって二、三年前にまたやめてしまった。

小学校一年生の時、冬休み開けの始業式の日、担任の先生が自分に送ってきたクラスの子の年賀状を、教室の後ろに張り出した。送らなかった子もいたろうに、あれはどういうつもりだったんだろうかと、大人になって考えてみるによくわからないんだけど、もしかしたら、何十枚も返事を書くのが面倒なもんだから、そうやって張り出すことで、「みんなありがとうね」ということだったのかもしれない。もしかしたら年末の最後の授業で、「年賀状を書こう」なんていうのがあったのかもしれない。

そのへんの経緯は今さらもういいとして、ぼくは自分の年賀状が、他の友だちの「あけましておめでとうございます ことしもよろしくおねがいします」的な定型シンプル文面と違って、普通の手紙のような文面になっていて、なんか少し恥ずかしかったことを覚えている。その時は、常識的な年賀状の型なんてまだ知らなかったし、親も教えてくれなかったもんだから、「あけましておめでとうございます」の後には普通に先生へ手紙を書いたわけである。多く書くぶん字は小さくなって、他と並べて見ると、良く言えば子どもらしくない大人びた感じ、悪く言えば「勢いないね、この子」である。変といえば変。個性的といえばほめ言葉にもなろうか。

その頃からぼくは「常識無用、非常識上等!」の人間だった、というよりは、ただそれを知らなかっただけで、そのことを親も知ってか知らずかほったらかし。それが今のぼくにどう影響しているのかはわからないけれど、「一言多い」というのだけは、その頃から変わりのないところではあろう。

年賀状は虚礼だとかナントカと評判の悪いことを言われたりすることもあるけれど、ぼくはそこまで悪くは思わない。暑中見舞い、寒中見舞いともども、あってもいい季節の習慣だと思う。以前兄に聞いた話で、学生時代とても世話になった恩師の老教授は、
「年賀状が届かなくなったら、俺は死んだと思ってくれ」
とよく言っていたそうで、ああ、年賀状にはそんな使い方もあるのか、と感心したものである。どうせ年賀状を続けるなら、そんな年になるまで書いていたいと思ったものだけど、結局、自分でなくて、父が死んだ年の喪中葉書がめんどくさくなってやめてしまった。

同居人を見ていると、去年も十二月の三十日になって、どの図柄をダウンロードしようかと三時間も四時間もネットを見ているもんだから、
「あのさあ、そうやって探しとる時間に手書きでやっとったら、もう終わっとるんちゃうの?」
ってなもんである。まだおせちも作らんといかんのに、なにをアホほど時間をかけとるんだろうか、とろにゃーか、と思ってしまうわけである。印刷モノの年賀状なんて、もらっても、十秒見るかどうかのもんなのに、
「なあなあ、どっちの絵柄がいい?」
とか聞かれてもなあ。そんなんどっちゃでもいいわ。もらったほうも、お前の選んだ絵柄なんて、次の人の年賀状見とるときには、すっかり忘れとるわ。

同居人のそういう姿を見ていると、確かに、文面使いまわし系印刷モノ年賀状は、作成の努力及び経費と送付効果とをあわせ考えるに、虚礼と言ってもあながち間違いではないなあ、と思ってしまうのである。ご苦労なことです。

ぼくが何年か前まで書いていた年賀状は、十何通ぐらいだから印刷する手間のほうが面倒だし、そもそも、もらっても味気ないと思っている印刷モノにする気もなし、古式ゆかしく筆で「あけましておめでとうございます」と大書きして、ほんでもって近況報告を書いて、ちゃっちゃっちゃーのちゃーでおしまいであった。気が向けば自分の似顔絵のひとつでも書いたか知らんが、そんなことはもう忘れた。いずれにせよ、小学校一年生の時のように文章をしたためるならいざ知らず、読まれても十五秒もかからないようなものに、そんなに手間ひまをかける気にならない。

そうそう。写真つきの年賀状、あれはいらんなあ。特に子どもつき家族写真。その中でも特に子どもだけの写真のやつ。この記事を読む人の中にそういうのを送っている人がいるかもしれないけど、気を悪くされたなら、まあこの際です、一度気を悪くしていただきたい。

家族ぐるみのつき合いがあるなら、それはそれでいいんだけど、そうでもないのに、家族全員連名の家族写真つき年賀状をもらっても、「ふむふむ」というだけで、だからなんなんだ、という話である。子どもだけの写真のにいたっては「???」である。親バカというよりはバカ…、いかんいかん。

考えるに、その人にとって家族のことこそは人に伝えたいとても大切なことであって、その安寧な姿こそ一番伝えたい近況報告なんであろう、と。個人と個人のやりとりであるはずの年賀状にさえ家族を登場させるのは、その人の精神的、人格的安定は家族の安定による、ということを示しているのであって、すなわち家族写真つき年賀状は差出人何某氏のマイホーム主義の見事な表現である、と、まあ概略このようなことを思うわけである。

マイホーム主義のなにがいかんのだ、と言われれば、「家制度の現代的変容じゃないのかね」と言うだけ言って、あとは触らぬ神にたたりなし、これ以上の議論を差し控えたいと思うのであるが、でも実際のところ、何年かに一度の年賀状の整理の時、写真つき年賀状というのは、とても処分しにくいわけである(ずっと取っておく人もいるだろうけど)。マイホーム主義な心理を概略考えさせられた上に、処分しにくいとなれば、これはちょっと、気軽な年始のめでたいやり取りを越えている気がするわけである。写真つきのヤツめ、年賀状の分際で、どこまでおれに心理的圧迫をかけるか。

どうせなら、核家族などというチンケな集まりでなく、親きょうだいに爺さん婆さん、いとこにはとこ、一族郎党すべてを収めた写真を全員連名で送ったらどうであろうか。相当に強烈な印象を相手に与えるはずである。毎年楽しみになるはずである、「あの人が今年はおらんなあ、逝ったか」とかね。

とはいいつつ、ぼくが年賀状を送るのをやめてから、ぼくに送られてくるのもぐっと減ったのだから、まあそんなにぐちゃぐちゃと粘着質になることもないのである。大体からして、今日の家族写真つき年賀状の話って、一般論でもあるけれど、ぼくに送られてきたものも当然に含むわけだから、それはすなわち、該当年賀状をぼくに送っていただいた友人にケンカを売ったも同然の所業である。とても失礼な話である。うーむ、これは虚礼以下のことをしてしまった。

Photo_2 友よ、ぼくの一言多いことを・・・・・・、

 

 

 

本当にすまないと思う。

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2009年3月 5日 (木)

かぶりものといえば伽羅

Top_redふと気づけば、帽子作りがマイブームである。去年の暮れぐらいからいくつか作った。

なにか新しいオリジナルなのを作り出して、とかそんなんではなく、型紙付きの本を買ってきて、それをもとによいしょよいしょと作っている。布切れも、穴が開いたり小さくなったりして着なくなった服をつぶしたり、これまでのお細工物の残り切れを使っている。あまり金をかけない、これが信条である、いつものごとく。

Photo まあ、これまでもなんかあれば縫い物はしているし、今回も帽子ばかりでなく、勢いに乗じて手提げかばんや小物入れも作っているけど、帽子はこれまで挑戦したことがなくて、で、やってみたら案外ちょろいもんだとわかって、言葉を覚えた子どもがしゃべりまくりだすように、必要以上に帽子をいくつも作っているわけである。

そういえば、帽子を作ろうと思い立った頃、百均の店に行ったらズラッと帽子が並んでいて、それを見たときはかなり萎えたけど、あれはなに? 帽子の材料を手芸屋で揃えれば百円は越えようものを、労働賃金とか輸送費とかもあるのに、まったくどうなっているのかね。

Photo_3さて、帽子を作ると聞けば、なんかとても特別な技術がいると思うだろうけど、いざ作ってみると、型紙さえあれば、縫いの作業自体に特段難しいことはない。簡単なかばんや袋物なら型紙もいらないけれど、さすがに帽子では型紙がないと相当にややこしいはず。最初は型紙通り作って、それからオリジナルなものを作ってみたければ作ればよろしい。そのへんは楽器の習得と同じである。まずはコピー。

Photo_4使う布切れは、帽子一つ分で長袖のシャツの両袖分ぐらい。同じだけの裏地分の布切れもいるけど、まあいずれにせよ大した量ではない。なんとなれば裏地を表地と同じ布にしてしまえば、長袖のシャツ一枚分弱で、ほほほいのほいである。裏地にも気を使って作ればリバーシブル仕様にもなる。小学校の体育の赤白帽みたいなもんである。 

同居人がつかみ取りで買ってきた着物を布地として供出してくれた。紫地の縦縞模様でとてもいい。性が抜けているんで、着物としては用をなさないけど、芯地を張れば帽子には十分な強度と判断。これで、同居人用に深めの帽子と、ぼくの鳥打帽を作った。

柄が柄なだけに、できあがってみると十分に強烈な一品。であるがゆえに、二人が揃ってこの帽子をかぶると、最近見かけんくなったペアルックのアホアホカップルよりも、もっと強烈に怪しいアベックに見えてしまうであろう。

Photo_5

帽子をかぶって二人並んで鏡を見ながら、
「これはきついなあ。ええか、おれがこれをかぶる時は、おまえはそれをかぶったらいかん!」
「わたしもこんなん嫌じゃい!」
てな具合である。

待ち合わせをした時に、なんかの拍子でお互い知らずにこれをかぶってきたとしたら、ハタから見れば、仲のいいアホカップルがなにか言い合いをしていると見られよう。
「な、な、なんと! それかぶってきたんかいな」
伽羅「な、な、なんじゃ! やいの、やいの!」
「やいの、やいの!」
「やいの、やいの! なんでもええで、はよ脱げ。キャラかぶって見られるわ」

キャラかぶる?

ということで、わたくし、これから自作帽子のブランドを「伽羅」とすることにしました。タグもいずれ作りましょう。かぶりものといえば、伽羅。よろしく!

 

と、そんなこんなはさておき、この期に及んで、いまだにぼくはミシンを買ってない。どんなのを買ったらいいかわからないの。安いのを買えばパワー不足、機能不足に泣き、安物買いのなんとやらを嘆きそうだし、高いのを買えば買ったで、でかいぞ、重いぞ、狭い家には邪魔だぞ、と愚痴を吐きつつ、「熱しやすく冷めやすい症」患者所有の持ち腐れた宝になりそうだし、あーん、どれ買えばいいんだあ、と優柔不断爆発。

というわけで、今もってぼくのお裁縫は手縫いでぬいぬいである。ミシンがないからといって、帽子作りを恐れることなし。キャップ帽のツバ部分を硬い芯ごと縫うのが手縫いでは相当きつかろう、というぐらいのもの。マジ縫えんのかどうかまだやってないからわからないけど、ツバは厚地の芯地にすれば、既製品のようにガッチリとはいかずとも、使用に十分耐えうることを他の帽子で確認済みだから、よしである。硬いツバのキャップだけがキャップじゃないやい。

確かに、ミシンがあれば、「簡単なものなら30分でできる!」という帽子の本のうたい文句もウソじゃなかろう。でもそれって相当手だれのミシン使いだと思う。そこまでミシンに慣れるまでにぼくは帽子作りに飽きている、と断言しましょう。ぼくはこれからものんびり並み縫いでなみなみ行くのだ。

縫い目をなるべく隠すように縫うのが手縫いの基本であるからして、出来上がってしまえばわからないものの、縫い目はまだまだ粗く、ベテランの人に遠く及ばない。ミシンでは縫い目も出し放題だけど、それをうまいこと隠すにはどういう手順で縫っていけばいいか、なんてことを考えながら作っていると、工夫ぶっていて偉そうじゃないか、と軽く悦に入れたりする。

まあ、ものづくりにおいてはなんでも同じだけど、縫い物でも「縫う」というメインの作業以上に気を使うべきは、そこに至るまでのしっかりした型紙作りや、布の切り出し、待ち針や仕付けなどなどの下準備である。

仕付けは待ち針や仕付け糸の代わりに、クリップで仮止めすると便利。文房具箱にあったちびちびクリップを使って、しかるべきところにしかるべくはさんでみたら、待ち針や仕付け糸よりも微調整がしやすくて、とても具合がいい。なんせはさんでいくだけなんで、お裁縫初心者にもおすすめである。それ用のクリップが手芸屋さんに売っているけど、洗濯バサミでもいいし、一度手近な物を使ってやってみてみて。

あと、大事なのは仕上げ。仕上げと言っても、アイロンを使ってシワを取ったり折り目をつけたりするだけなんだけど、ぼくのようなせっかち人間は、最後の玉止めをすると、「やったあー、できたあー」と舞い上がって、「ほれっ、ほれっ、できたっ、できたっ」と同居人に自慢してしまうわけであるが、でも、冷静になってよく見ると、なんか今ひとつしっくり来ないところがあったりするもんである。翌日に改めて見たときなんかに、そういうところがとても気になりだすもんなんである。そこで、アイロンを使ってシワを取り、折り目をちゃんとすると、あれまっ、ぐっとよくなるんですねえ。

簡単なこととはいえ、仕上げをなめてはいかん。「できたあーっ」と思った喜びをお茶でも飲みながら味わったら、早速仕上げにかかるべし。それから人に自慢しても遅くはない。

 

さて、女性客がほとんどの手芸屋さんにヒゲ面の中年が行くというのは、正直言って結構勇気がいる。ぼくのことなんか誰も気にしてなかろうに、自意識過剰、他の客の視線を勝手に自分に突き刺してしまうのである。それに、ロール状になっている1メーターいくらの布を買おうにも、これはこの布をレジに持っていくものなのか、店員に声をかけてしかるべき長さを申告するものなのか、買い方もよくわからんし、なんせ緊張ドキドキである。

この前も、他の客が布を買うところを見ようと、ギロ目で様子をうかがっていたんだけど、結局その日はそういう場面に出会えずじまい。でも、見本のために3センチ程度切ってもらっているお客さんがいた。その店では五種類までだそうだけど、そんなことできるのか。知らんかった。布の買い方も見本のことも、店のどこにも書いてあらへんし、うひゃあ、シロートのぼくなんか、ぼくなんか・・・。

この「店に行って緊張ドキドキ」は、以前、エフェクター作りに凝って電子パーツ屋に行き出した頃以来である。三十を過ぎたワケ知り風なおっさんが、実はよくも知らず、店員に「型番○○のトランジスターありますか」と聞くときのドキドキ感。他の客はみんな電気に通じていそうな中で、なかなかの緊張感である。

電子パーツは型番が数字とアルファベットで分類されていることが多いんだけど、「l」が「いち」なのか「エル」なのかわからないで店員に在庫を確認するのは相当な勇気がいるということ、賢明なる読者のみなさまにはきっとわかっていただけることだろうと思います。「FET」という部品を、あちゃらの業界では「フェット」と呼ぶのか「エフイーティー」と呼ぶのか、はたまたそのどちらでもいいのかもわからない状態で、カウンターの後ろにある部品棚から出してもらって買い求めるのはなかなかの緊張を強いられるものだということ、賢明なる読者のみなさまにはきっとわかっていただけることだろうと思います(今もなんて読むものなのか知らん)。

一度、作りたい機材の材料表に見たことのない部品があった。電子部品屋では総合店以外、ここはトランジスター、ここはコンデンサーと、店舗ごとに扱う部品の種類が違っていたりするんだけど、その部品はこの店にあるだろうと思って、
「これ、どういうものかぼくもよくわからないんですけど、ここに置いてありますか」
と、聞いてみたら、店員からいきなり、
「何アンペアの?」
と聞き返されたもんだから、
(えっ、種類あったの?)
とドギマギしていたら、
「だからあ、何アンペアぐらいの電流が流れるぐらいのところにそれ使うの?」
と言われ、
「???・・・。あの、あの・・・、勉強し直してからまた来ます」
と、屈辱を味わわされた三十六歳の秋。

今回のお裁縫ブームでは、まだそんな逃げ出したくなるようなことはないものの、手芸屋さんをウロウロしていると、やっぱり少しドキドキする。もうこんなことは電子パーツ屋で終わりにしたいと思った三十六歳の秋の誓いはいずこへ。とはいえ、手芸関係は電気関係よりもずっとわかりやすい。なんせやっていることが、うまくできるかどうかはともかく、説明をされればなるほどそういうことかと、目に見えることばかりである。

 

去年の秋ぐらいに書いたパイプの話。すぐ飽きるかと思ったけど、今でも家で吸っている。好みの煙草葉を探すのがちょっとした楽しみになっていたりする。色々とあるダンヒルのは大概おいしい。ちょっと高いけど。50グラム900円~1000円程度の標準価格のものなら、マックバレンのバージニアNo.1、ミクスチャーブレンド、ゴールデンブレンド、ボルクムリーフのジェニュイン、ガレリアのフォックス&ハウンドあたりが素直でおいしいと思います。

で、今夜もパイプを咥えながら、よいしょ、よいしょと、手縫いのぬいぬい作業である。

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