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2009年5月25日 (月)

ドーン!バーン!キキキーッ!を120%

Top_blue_2最近はテレビがつまらない。ゴールデンの時間帯はひどいもんである。ニュースも、特に民放ではニュースなんだかワイドショーなんだかわからんし、バラエティやドラマも、いやはや、もうなんだか切ない気分になってくる。そのために、昼や夕方にドラマの再放送を録画しといて、後で見直すような具合である。視聴者としてテレビ局にすっかり年寄り扱いされてしまう年齢になってきたということなんであろう。

年齢と言えば、年のせいなのか人の名前を覚えなくなった。以前からそうだと言えばそうだけども、その程度がずいぶんとひどくなってきた。以前はそれでもなんとか思い出そうとしたし、忘れたら忘れたで悪い気がしたもんだけど、そういうこともだんだんなくなってきた。今では平気の平左である。

以前からそうだと言えば、ぼくは昔からドラマの筋立てがなかなか頭に入らない。話の道筋をたどるのが苦手である。よって映画は、話の筋道無用なB級物が大好きである。ドーン、バーン、キキキイーッ! で、その手のものは海外物のほうがなにかと派手で楽しい。テレビ東京系っていうんですか、独立UHF系っていうんですか、あのチャンネルは、再放送ドラマもB級映画もよく放映してくれて、ぼくには大変都合がよろしい。

以前飲んでいて、B級映画が好きという話になった。そしたら相手がやけにその手の映画に詳しくて、「それはすでにC級なのでは・・・」と話題が拡大。ぼくはついていけず、そこではっきりしたのは、海外物でいうなら吹き替え版がある程度のB級物がぼくは好き、ということであった。

感動物の映画なんて言われても、映画で感動することがないわけじゃないけど、それよりも現実のほうがよっぽど面白いではないか。映画で感動するのも、見る者にそれに見合った人生の裏づけがあればこそ。人は二時間ドラマでさえ、泣くときゃ泣くんである。吉本新喜劇でも目が潤むときは潤むんである。話は所詮作りごと。なんなら小説や舞台という形式でもあり。けど、ドーン、バーン、キキキーッ、これこそは映画独自の表現分野じゃなかろうかと思う今日この頃。

それはさておき、海外物と言えば、テレビの深夜放送では海外(といってもアメリカがほとんどだけど)のドラマや映画をよくやっている。で、B級物ばかりでなく、面白そうなのはビデオに録ったりする。

それを後日見ていると、名前がナントカシャーンやらナンチャラリーンなどと横文字ばかりで、まずそれが頭に入らない。そのうえ、出演者はみな外人顔なんで、よっぽど有名な役者でもない限り見分けがあまりつかない。話が推理物だったりすれば、当然のごとく話についていけなくなる。縫い物とか他ごとをしていればなおさらである。

ドンパチ物も、敵味方の関係にひとひねり入っていると、ぼくの中では唐突かつ無意味な爆発や暴走、闘争のシーンばかりになって、あんまり楽しめない。そういう話が最近増えてきた、というより、さらなる読解力低下でドンパチ物にさえ最近ついていけなくなってきた、という感じ。

以前はそういう風になっても、見ているような見てないような感じで見続けていたけれど、今では話が半ばに進んだあたりで、「もうだめだ・・・」と冒頭に戻す。うちは録画機器がハードディスクレコーダーなので、その辺は一発操作である。ボタンを押してピャッと頭出し。一時間物の三十分目だろうが、二時間物の一時間目だろうが、これ以上出演者が混乱したまま見ていてもつまらないから、いさぎよく頭から見直す。さすれば、さすがのぼくも話についていける。再び話半ばにさしかかったとき、ぼくは安心して推理を深め、ドキドキ感も高まり、ようやく話に入っていくことができるのである。

それを別の日に同居人が見るときに、また一緒に見る。そこでぼくはその話を心の底から120%楽しむことができるのである。そうかあ、こういう話だったのかあ。

 

まったくもって今日は年寄りの詮方ない愚痴ではないか。

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