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2009年6月の記事

2009年6月25日 (木)

おこげ神話

Top_yellowお釜で御飯を炊くと、あの底のほうにできるおこげがおいしいんだよなあ、とは年長者から時々聞く話。あの香ばしさがなんともいえないのだなあ、と懐かしげに言う人は少なくない。

ぼくが子どもの頃には、電気炊飯器はもうすでに普通のものだったから、おこげをあまり食べたことがなかった。焼きおにぎりにすれば周囲は言わばおこげなわけだけど、醤油がまぶしてあれば純粋なおこげとはちょっと違う。

 

ときに。うちでは何年か前から、御飯をお釜で炊いている。

最初、ものは試しと思って、フタ付きの普通のホーローの鍋で炊いてみたら、これが電気炊飯器で炊くより1.3倍増し(ぼく基準)でおいしくなった。おいしい御飯を求めてブランド米なぞにウツツを抜かしているぐらいだったら、鍋で炊く技術を身につけたほうのがよっぽど賢い話なのではないか、ぼくはそう思った。米の良し悪しは炊きたてのときよりも、冷や御飯になってからがぜん違いが出るから、もちろんいい米はいいんだけどね。

鍋で炊くといっても、そう難しいことではない。お米三合に水四合、もしくはお米の1.3倍の割合で水加減する。水の多少は、出来上がりに固めか柔らかめかの違いが出るだけで、大きな間違いというほどのことはないから、そう神経質になることもない。それをフタ付きの鍋に入れ、沸騰するまで中強火ないしは強火にかける。湯がふきこぼれ出したら弱火ないしは中弱火にして、五、六、七、八分ぐらい。フタをちらりとずらして、湯がなくなって御飯の表面が出るほどになっているのを確認したら、火を止めて、あとは「赤子泣いてもフタとるな」、十分ほど蒸らして出来上がり。火にかけているのは十分程度、炊き上がりまで二十分程度で、電気炊飯器より早くできるのもよろしい。

火加減が難しい薪で炊いていた時代でも昔の人はうまく炊いていたんだし、かなり適当なキャンプの飯盒でも炊けるぐらいだから、火加減、水加減にことさら神経質になることはない。今では火加減が自由自在のガスコンロがあるのである。ガス器具という文明の利器をおいしい御飯のためにみすみす使わないのはもったいない。煮物を作れる腕があれば、必ず鍋で御飯は炊ける。

「土鍋で炊く御飯はうまい」と噂で聞くんで、やってみたけど、普通の鍋で炊くのとそう変わりなかった。それで、しばらく普通の鍋で炊いていたんだけど、同居人が「鍋で炊くのが普通のことになってきたし」と、当時勤めていた会社から、商品の試供品として倉庫の片隅に置き忘れられてあった六合炊きのお釜を、こっそり持って帰ってきた。さっそくそれで炊いてみたら、こちらは土鍋と違って、1.4倍増しのうまさ(電気炊飯器比/ぼく基準)であった。でかしたぞ、コソドロ同居人。

それ以来、うちの電気釜は保温用として働くだけで、御飯を炊くことがほとんどなくなった。

お釜で炊いていると言うと、「おっ、なかなかのこだわり派だな」と思われることがあるけど、電気炊飯器と鍋の差のほうが、鍋とお釜の差よりもでかいから、お釜を持っていないみなさんも、今日からすぐに「こだわり派」になれますよ。

 

ちょうどそんなことをし始めた頃、NHKの『プロジェクトX』で見たのが、電気釜の開発秘話だった。そこで印象に残っているのが、普通の白飯はうまく炊けても、炊き込み御飯がなかなかうまくいかないというくだりだった。醤油なんかの調味料が入っているから、ちょっとした加減で底のほうが焦げついてしまうのである。

お釜や鍋で炊くとよくわかるが、普通の火加減で炊き込み御飯を炊くと確実に焦げつく。普通の白飯の場合、火加減が多少ルーズでも失敗ということはないんだけど、炊き込みご飯はそのあたりが結構シビア。電気釜の開発の際にそこをクリアして、商品の売りにしたら、とたんに、炊き込み御飯に苦労していた主婦層から支持を受け始めたんだそうである(と、そんな話だったはず)。

電気釜はスイッチひとつで炊きあがるんで、確かに便利だ。当時の主婦がそっちに流れたのは理由があってのこと。主婦の大変な仕事量から考えれば、多少味が落ちるからといっても、手軽な電気釜の当然の勝利であったろうと思う。今みたいに、ちょっとした味の違いで騒ぐグルメの時代でもなかったわけだし。

 

さて、鍋やお釜で普通の白飯を炊くとき、火を止める最後のほうで、やや長めに炊き続けると、底のほうにあの懐かしのおこげができる。

おこげは確かに香ばしい。

けど、はっきり言って、「なんともいえない香ばしさ」などと懐かしさをもって言うほどのものではないと思うのである、ぼくは。もちろん失敗では全然ないけれど、おこげなしの、全部がきれいな白い御飯のほうが「うまく炊けた」と思う、ぼくは。

お釜で炊くのが日常化している身からすると、おこげを懐かしむのは、まさに、ただ単に昔を懐かしんでいるだけ、のような気がする。特にこういうことを言うのは男のほうが多い、ような気がする。つまりは、人に作ってもらうばかりで、御飯をお釜で炊いたこともなかったような人たち。そんなに懐かしいのなら、とやかく言ってないで、さっさと自分で鍋で炊いておこげ作ればいいのに、と聞くたびに思う。

そして、おこげを食べて、さらに炊きあがった御飯のちょっとした味の違いに大騒ぎして、こうして自慢げにブログに書けばいいのである。

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2009年6月15日 (月)

ハンモックの日

Top_blue_2よく飲みに行くお店のお客さんで、ぼくもよく知っているおじさん三人が日帰りツアーに行ってきたという。これからもいろいろと企画する予定だそうな。そこで、わたくしめもおじさんと言われるに充分の年齢を重ねているので、今後はぜひその会に参加を!と願い出た。すると、今度はなんでも、ハンモックを吊るのにいい場所を見つけたらしく、弁当およびハンモック持参で昼寝をしにいくとのこと。わおー、素敵! 行く行く行く行くーっ!

 

学生の頃の話。ぼくが一回生の時、軽音楽部の先輩K川さんは学祭の実行委員として、クラブから出向していた。学祭といえば、いろんなサークルや仲間が出す出店がつきものだけど、その中に学祭の実行委員が仕切る店もあった。ぼくが祭りの人ごみの中をブラブラしていたら、
「おい、さとみ!」
と声をかけられた。
「はい? あっ、K川さん」
ちょうどその出店でK川さんが店番をしていて、
「なんか買うてけ」
と言う。そこでは近所の作業所で作ったものを売っているそうで、いろいろと商品が並んでいる。
「え、え、え、金ないしなあ」
と、やんわり断りをいれようとしたら、
「なんや? おまえ、飲みしろはあんのに、ここのもんは買われへん言うんか? おっおっおっ?」
「いや、あの、あの・・・、買わないとは言うてません・・・」
「物はいいもんばっかりや。欲しいもんがなんかあるやろう。買うていき!」
先輩風が秒速百メートルでビュービューと吹き荒れる中、
「じゃあ、あの、あの、このハンモック、ください」
ということになったわけである。そんな高いもんじゃなかったはず。千五百円とか二千円とかそんなんじゃなかったかなあ。

実際ハンモックなぞを買っても家で吊るすことはない。まずもって柱がもたない。立派な家だったらいけるかもしれないけど、一般的にいって室内ではやめておくほうが賢明でありましょう。野外で木と木の間に吊るすといっても、そうそう理想的な生えかたをしている都合よさげな木立ちは少ない。ぼくはそもそもインドア派である。そういう所を好きこのんで探してまで吊るそうと思うわけでもない。ムーミン谷のスナフキンを思って、なんとなく買ったまでのことである。

 

それがここにきて、「ハンモック吊りにいい場所を見つけた」と言われれば、おお、これで二十年越しに買い物が生きることになる。行かぬ手はありますまい。

ハンモックの会決行の日、天気は快晴で、まさにハンモック日和。おじさん三人プラスぼく及びわが同居人の、今日の仲間しめて五人が、会の主催者O智さんの案内で公園の森に着くと、なるほどなるほど、五メートルほどの間隔で木々が生えている。

このぐらいの木の間隔がいいんですね。なるほどなるほど。

木がまた、ちょうどいいところで幹が二股に分かれて伸びていて、そこに紐をかければ、高すぎず低すぎず。なるほどなるほど。

着くなり、まずは乾杯。持ってきた弁当をしばらくつまんでから、いざハンモック吊りを開始。O智さんが持って来たハンモックの紐が細くて、試し乗りしたら切れて落ちたりして、わいのわいの、やいのやいの、なんやかやと吊るしていたら、飲み屋の若夫婦も遅れてやってきた。

ハンモックの上で横になると、おー、こりゃあいい。六月の初旬、日差しがきつかったら焼けそうと思っていたけど、木がたくさん生えているんで、木漏れ日がちょうどいい。

風もこれまた、ちょうどよろしい。

酒飲んで昼寝して、ツマミ食べて昼寝して・・・、と、うーん、マジ最高っすよO智さん! ぼくの初めてのハンモック、「ホテルに初めて泊まったら、そこはヒルトンだった」みたいなもんですよ、これは。

この日の風と違って、先輩風が吹きすさぶ中で買ったハンモック。あの時もしハンモックを買ってなかったら、今回のハンモックの話を聞いても乗らなかったかもしれない。そして、今日のこの心地よい風。なんかいろんなことがいっぺんに着地したような、とてもいい日になりました。

ここで一首。

「この風がいいね」と君が言ったから
  六月六日はハンモック記念日。

字余り。失礼しました。

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2009年6月 5日 (金)

マスクの人たち

Top_blueゴールデンウイークの頃から始まった豚インフルエンザ騒ぎは一体なんだったのか。またしても政府が危機をあおりマスコミがそれに乗っかるという、いつもの風景が繰り返された。

様々な行事が中止・延期となり、日本で第一号の感染者が出たとされる神戸では(その人が本当に一人目の感染者か怪しいらしいが)、商店街や地下街の人通りが絶えてしまい、店が自主的に休業してしまうほど。病気の恐ろしさよりもずっと怖いのは、行政やマスコミという権力の強大さであることを実感させられた。

舛添厚労大臣がここぞとばかりに嬉し恥ずかし必死な形相で感染予防を訴えた後に、麻生首相が政府広報で「冷静な対応をお願いします」と、総選挙が近くなければきっとやらなかったであろうコマーシャルをやる。ニュースやワイドショーは二週間も経った頃に「少し過熱報道にすぎたかも」などと殊勝なことを言い始めたが、何をいまさら、見事なまでのマッチポンプである。

彼らのやっていることは「危機管理」などではなく、健康ファシズムを背景にした、子どもじみた「危機管理ごっこ」でしかない。

今回なんとも不気味だったのは、マスク姿が街中にあふれかえったこと。マスクをつければ人相が隠れ、表情がよくわからなくなる。白色ばっかりで全然おしゃれじゃないし。全国的に見ればそれほどでもなかったようだけど、関西では一時当たり前の姿となった。「感染者」が偶然関西に多かったからそうだっただけで、条件さえ合えばどの地方でもマスク姿があふれかえっただろうことは想像に難くない。

豚インフルエンザが騒がれ出してすぐにも、マスクの効果は非常に限定的と言われたにもかかわらず、同時に最新の不織布のマスクはいかに飛沫が飛ばないか、テレビで黒を背景にくしゃみする姿を映し出し、営業効果はばっちり。霊験あらたかな御守りとしてどこも売り切れになり、おかしな宗教の信者よろしくマスク姿がゾロゾロ、ワサワサと湧いて出てきた。

全体主義というのは、「全体」がついてこなければ成立しない。今次、危機管理ごっこに煽られて行事を取り止め、マスクを買い求め、マスクをつけた人たちというのは、その意味で残念ながら権力の思惑通り全体主義に乗っかった人たちである。横並び意識、同調圧力が強い日本では、自身が全体主義に乗っかっている自覚を持ちにくいのは確かだけれども、しかしまた、こうした人たちが今回全体主義を下支えしたのも確かなこと。

同居人もまた、通勤時にマスクをつけるよう職場から言われ、それを実行し、それでぼくから「ふーん、そうか、きみもまた全体主義を支持したのかね。危機管理ごっことつき合えるんだぁ。そうかね、そうかね」と、ねちねち糾弾を受けるハメとなり、ぼくはぼくで気分がドンヨリ滅入ってしまった。

第一号の感染者となった高校生の校長は何をとち狂ったのか、記者会見で涙を目に浮かべていた。会見直前に生徒から涙ながら「ご迷惑おかけしてすみません」と連絡があったからなんだそうだが、校長が一緒になって泣くなんて、おいおいおい。違うんとちゃうか? 「ああいう大人にだけはならないでおこう」と当該高校の生徒たちが学んでくれたら、せめてもの救いなんだけど。

 

こんな国、ほんとにやだと思う。

 

社会保障費が増大する中で、「消費税増税やむなし」の意見が今醸成されようとしている。が、消費税はどうあっても貧乏人のほうが負担が大きい不公平な税制だ。いずれ消費税増税の議論が本格化した時、「マスクの人たち」は消費税の不公平さを忘れて「増税もしかたがない」と言ってしまうんだろう。

四月の北朝鮮の「飛翔体」騒ぎの時、地対空ミサイルが実戦配備され、また今、自衛隊は「盗賊鎮定」のため遠くソマリアに派兵されている。こうした既成事実が積み重なる中、現実に戦争の危機が迫ってきたら、「マスクの人たち」は再び危機管理ごっこに乗せられ、日本に憲法九条があることもすっかり忘れて「武力行使はしかたがない」と言ってしまうんだろう。

全体主義を防ぐにはまず、危機管理ごっこをせせら笑う力を民の側が持つことだ。

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