このブログは「ごとーび刊」をうたっているので、5と0がつく日には記事を更新していくことになっているわけだけど、これまでも何度か書いてきたように、夏すぎから諸般の事情で予定通りにいっていない。
別段、諸般の事情のために言いたいことがなくなったわけではない。むしろ、諸般の事情以降、右翼政治家が首相になったりして、ぼくの普段のボヤキはいっそうひどくなっている。わが同居人は「日本こたつ党」の活動をしながら、ぼくのボヤキにつきあってくれている。このブログはぼくのボヤキが基本線のひとつになっているわけだから、書きたいことは山のようにある。
けど、ボヤキもさることながら、ぼくには他にもやりたいことがあるわけで、たとえば今はエフェクター作りにはまっている。楽器をしない人のために言っておくと、エフェクターというのは、エレキギターなんかの電気楽器につないで、音をギャーンとひずませたり、シュワシュワ~とゆらしたりする電気の小箱である。これを足もとに置いておいて、しかるべきときにスイッチをガチャッと踏んで、音に表情をつけるわけだ。
エフェクターにはおんなじようなものがまさに百花繚乱、さまざまあるわけで、聴いている人にほとんど差がわかるわけではないものの、弾いている本人にはいろいろとこだわりがあって、楽器屋に行くたびにあれもこれもほしくなり、知らぬ間に数がどんどん増えていく。他人にはなにがどう違うのかわからんけども、カメラ好きな人があれもこれもとほしくなるのとおんなじようなもんだ。そうした無限の欲望のなかで、何年かまえから、自作エフェクターへの道を歩むようになってしまった。
三十数年間文系で生きてきた人間が、中学生か高一程度にあるかどうかも怪しい知識でもって、電気のこまごまとした世界に手をつっこむわけで、しかも、独学であーでもにゃーこーでもにゃーとやっているもんだから、いったんはじめると、あちらの世界にすっかりハマりこんでしまって、なかなかこちらの世界に帰ってこれない。
で、そのエフェクターの構想が、諸般の事情と前後して、またいろいろと頭に浮かんできていた。そこで、今回つくっているのは、ディストーションのさらなるひずみ量アップと音量アップのためのブースターを二つ組み込んだライブ仕様な「ツインブースター」と、ギターマガジンの製作記事を参考にした「トレモロ」の二つ。書けばこのようにたった二、三行のことだけど、素人が同時進行で二つの物をつくるんで、製作に費やす作業は結構な日数がかかる。
そうしたこともあって、ブログを書くひまがあまりない。このブログの夏休みおよび秋休みをいただいたときに、「出校日のようにスポット出稿します。でも始業式のときには、グレて髪の毛を染めてくるかもしれません」みたいなことを書いたけど、鏡を見て気づいたのは、ぼくには染める髪の毛がなく、ろくにグレることもできないことであった。そのかわりというわけではないけども、エフェクターづくりに気合いが入りすぎで、夏休みの宿題を九月になってもまだやっているような気分である。まあ、どちらにしてもデキのいい生徒ではない。
ということで、このブログも、ムリムリな記事がしばらく続くだろうとは思いますが、ようやくそろりそろりとごとーびで再開していく所存でございます。
そうそう、エフェクターを作りながら、ウチの録画担当秘書官が録っておいた映画『父と暮らせば』を見た。ぼくは小学生の時に見た『ガラスのうさぎ』以降、戦争物は悲しすぎてやりきれなくなるんで、なるべく見ないようにしているんだけども、秘書官が勝手に再生をはじめてしまったもんだから、横にいるぼくも一緒に見ることとあいなった。
見はじめてからしばらくすると作業の手は止まってしまったけれども、この映画は、広島で被爆しながらも生き残った人の葛藤―――生き残ってしまった罪悪感と、生き残ったからには死んだ人の分までしっかり生きていかなければならないという思いとのはざまで苦しむ姿を描いた作品だ。
こうした苦悩は、原爆だけに限らず、通常兵器での戦争でも当然あるわけだし、交通事故や自然災害、親しい人との死に別れ等々、いろんなところで起こりうることだ。けれども、核兵器はそのありようにおいて、これらとは違う、なにか決定的に異質な存在だと思う。一瞬にして何万もの人が即死するなどというのは、言葉ではわかったつもりになっても、その実は、人間の想像をはるかに超えている。しかもそれを人間が人間に対して作為的に行なうという愚挙。
その核兵器の被害がしっかりと刻印された「唯一の被爆国」であるこの日本で、「核武装の論議をしよう」などと言う政治家は、どうしようもなくアホである。まともな感性があるとはとても思えない。考えを変えろといっても、彼らもあの年になって今さら変わるとも思えない。彼らが世界の平和のためにできることは、政治の世界からさっさと足を洗って、本業のヤクザな世界に帰ってもらい、すみのほうでこっそりと生きていただくことである。ぜひそうしていただきたいものである。