カテゴリー「このブログについて」の14件の記事

2008年2月25日 (月)

ごび刊

Top_blueごとーび更新はしんどい。

ブログを始めるに際して、更新していく日を決めなくてはぼくのようなぐうたらはすぐやめてしまうだろうなあと思って、こんなゴミみたいなブログには「ゴミの日」刊がぴったりととりあえず決めたんだけど、いかにもゴミの日刊は間隔が短い。そこでごとーび刊にしてみたんだけど、それもだんだんしんどくなってきた。

じゃあ週刊? いやまだ短いな。じゃあ月刊? そりゃ長すぎか。記事に期待がかかりすぎる。更新の間隔を長くしても、一記事への力の入れ具合を変える気はない。じゃあ、気が向いたら刊? だからそれだったらすぐ終わる、と。「継続は力なり」と言うなり。

じゃあ十日ごとの更新ならどうか。5と0がつくごとーびでなくて、0のつく日、つまり「とーび刊」。おし、これならいけそうだ。十日ごとでは間延びするかもしれんけど、そう思ったらまた変えればよろしい。

そういえば、手塚治虫はどこかで「人間の最大の発明は締め切りだ」と言っていた(ような気がする)。氏の場合、あれだけ描きまくりながらそれでもなお話のネタは常に叩き売りするぐらいあると言っていたから、締め切りがなければいつまでたっても話をまとめられなかったんだろうなあ。同じ作品でも発表誌が違うとちょっと話を変えたりしていたらしいし。天才は次元が違う。

ということで、次回から「とーび刊」で記事の更新をしていきたいと思います。今日は25日なんで、次の更新日は30日。次回から『徒ら草』はとーび刊になります。とーび以外も気が向いたら記事を書きますが。そんな風でよろしくお願いいたします。

 

あーーー。今月は2月ではないか。なんたること、永遠に30日がやってこない!

ということで、3月5日を次の更新日にしようと思います。以降、5のつく日、すなわち5日、15日、25日に更新していきます。せっかくとーび刊と決めたのにさっそく「ごび刊」に変更です。幸先わるう。幻のとーび刊。

「ごび刊」ってなんか響きが「ゴミ刊」に似ているなあ。やはりゴミのようなブログであったか、このブログは。

 

とまあそんなこんなで、今後ともよろしくお願いします。

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2007年12月25日 (火)

冬休み

Top_blue最近はどうも年末年始がピリッとしない。いつの頃からか年末大売出しもギリギリまで、お正月セールも年明け早々からやっているわけで、年末そのもの、年始そのものがもうそっちのけな感じ。こうなると、年末のせわしなさ、正月のめでたさとは一体なんのためのせわしなさ、めでたさであるのであろうかと思ってしまう。

それにしても、こういう伝統的な暮らしの破壊に対して右翼は腹を立てんのかね。正月も休まぬデパートやスーパーに街宣車を横づけせんでもいいのかね。拝金主義にまみれた経営者どもの犠牲で正月から働く人たちが正月を家族とろくに祝えぬとは、陛下もきっと泣いておられるぞっ! とか。

って、本当はこういうことに文句を言うのは組合の役割なんだけどね。労働者とその家族に正月を返せーっ! えいえい、おー! けど、そんなシュプレヒコールはとんと耳にしない。

これまで日本のまっとうな民族主義を守ってきたのは実際は左翼だったわけで、右翼や保守支配層にまともな民族主義を期待したところで百害あって一利ありの差し引きざっと九十九害。だけど、なんや最近は組合の足を引っ張って溜飲を下げていたりするのが庶民自身だったりする御時世である。嘆かわしい話である。

公務員(とその組合)叩きもいい加減にしておかないと、自らの首を絞めていくことになるのがわかってないんだろうなあと思う。国鉄がだめだったのは国労のせい、教育が悪いのは日教組のせい、社保庁がむちゃくちゃなのも組合との労働協約のせい、とかとか、そんなデタラメな言説が陰口でならいざ知らず、昼日中に堂々と表の政治や報道の真ん中で通用しているなんて、すごいと思います。恥ずかしいと思います。おそらく日本は「先進国」の中でも為政者にとってかなりやりやすい国だと思います。

まあ、そんなこんなはさておき、当ブログ『徒ら草』は当世の流れも気にせず、古式ゆかしく年末年始にたっぷり休みます。

最近は頭がよどんできたのか、書きたいことが頭の中でうまいことまとまらんようになってきて、三行も書くと、あれれ、なに書こうとしたんだっけ?と、トンチンカンチン一休さんである。下書きにもなってないメモ書きみたいな断片があっちゃこっちゃにとっちらかっている。

ふむふむ、ちょうどいい頃に冬休み到来である。というわけで、正月十日からの再開ということにします。ひと休み、ひと休み。

 

それにしても一年が早い。たぶんすぐにお盆がやってくる。

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2007年9月30日 (日)

日付変更辺

Top_yellow 日の変わり目は朝にある。これが身体性をともなった時間感覚というものである。午前零時をもって日が変わるというのは近代以降の規則性、均一性を重視した時間観念に基づく定義にしか過ぎない。

大晦日にピッ、ピッ、ピッ、ピーンのカウントダウンで「あけましておめでとうございます。おめでとう。おめでとう」なんてのも、時計がなけりゃめでたさを感じられぬなんとも頼りないめでたさというものである。そういうことは「Y2K問題」を煽られていた西暦2000年だけでいいのである。それ以外は「Y10K問題」や「Y100K問題」が懸念される約八千年先、約九万八千年先まで、初日の出を見てから「おめでとうございます」でよろしいのである。

よって、身体性を常に忘れることなく近代を弁証法的に乗り超えんとする当ブログ『ごとーび刊 徒ら草』では「4日→5日」「9日→10日」・・・と日付が変わった瞬間ではなくて、朝方五時か六時かそこら辺りに更新しているんですよ。点や線のように日付変更があるわけではないので「日付変更辺」。このブログの日付変更辺は夜明け辺りにありと思っといてください。

とかいいながら、ぼくは一月二日に「今日は何日?」と聞くような男なので、もっと大枠のところでいろいろ気をつけなくてはならぬわけですけど。

そういえば、年の変わり目の時報を電話の117で聞くのもついぞやっていないけれども、あれは子どもが年に一度堂々と夜更かしできる喜びの中でやることである。こういうことをしながら「正月はめでたい」と思う心を教育されていくわけである。この時報は直前になって117をダイヤルしても(ふっるう)話し中になっていたりするから、確実に聞きたい人はちょっと前から確保しておこう。三分十円の投資をケチってはならぬ。といって欲ばって十分も十五分も前に確保しておくと、いざその時になって受話器に耳を当てると強制的に切られていたりすることがあるので注意していただきたい。って今でもそうなんかなあ。よう知らん。

ところで、もうひとつの日常的更新コーナーの「編集中記」はごとーび更新とは限らず、深夜だろうが夜だろうが夜中だろうが朝だろうが早朝だろうが明け方だろうが夕方だろうが夕焼けだろうがカエルが鳴こうが更新したいときにしているし、更新しないときには二週間も三週間もしない。話題はあっという間に過ぎ去ったかと思うと、停滞する。

思うに、ぼくは「ごとーび刊」などと日にちを決めて本文記事を定期的に更新するなどという実に思い上がったことをしているわけであるけれども、「編集中記」はブログ内のいちコーナーというよりは、いわばブログ内ブログ、むしろこちらのほうこそが真のブログらしいブログといえるのではあるまいか、などという気がしているのである。最近ではそちらでライブの告知まで始めているし、思い立ったときに思ったことを時間も締め切りも気にせず不定期に書きつけている。でもぼかあ、そんなものはどんどん上書きモードで消していってしまうのだ。

今日は、ごとーび刊がどうの更新がどうのとうるさく書いているけれども、それはごとーびで書いていくのがちょっとしんどいのではないかという気になり始めているからである。このブログを始めたとき、「こんなゴミみたいなブログには火曜、金曜更新の『ゴミの日刊』がお似合いなのだ」とやってみたら、そのあまりの急テンポに自分でもついていけず、いつの間にやらごとーび刊。それもだんだんきついかなあ、せめて週刊にしようかなあと思っていたりする。

「じゃあ勝手にそうすれば? どっちでもいいし。っちゅうかどうでもいいし」というのが百万人読者のみなさまの感想であろうけれども、でも思い返せば今日の記事を書き始めたのは、日付変更は夜明けにあるのではないか、ということを書きたかっただけなのに、いつの間にやらこんなことをぼやいてしまっているよ。あははは。

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2007年7月30日 (月)

しばらく夏休み

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さて、もうすぐお盆がやってくる。お盆がくるとぼくはふだんのグウタラ暮らしから足を洗って如法に生きる。如法に生きているあいだはブログなんてやくざなこととはしばらくおさらばである。

というわけで、ひと月ばかり『徒ら草』をお休みします。

昨年の夏はお盆直前に親父が急逝してハチャメチャなお盆になったわけだけど、そんなことはもうなしにしたいところである。

 

父の死んだ年令に自分を重ね合わせると、ぼくの人生もあと三十五年ばかり。親の年令まで生きられるかどうかなんてなんの根拠もない話だけれど、そんな想定をしてしまうのも、ああ、ぼくも人の子なんだね。母親はおかげさまでピンシャンとしているんでそっちに重ね合わせてもいいんだろうけど、まあどっちゃにせよいつまで生きられるかなんて根も葉もない勝手な思い込みにしかすぎない。

寺では毎月寺報を出しているわけだが、『アカ坊主、上等!』と題して、赤く生きてきた父の追悼文をそこに書いて以降、ブログというやくざなところよりかはもう少し公的な責任を持つ寺報でも、これまで以上に遠慮なく言いたいことを書くようになってしまった。このことが父が死んでからのぼくの一番の変化だろうか。なんかふっきれた。

 

物言わぬは腹ふくるる思い。みなさんもいろんな場面でそんな思いをしながら日々を過ごしているんでしょうが、ぼくはこれまで以上に言いたいことは言うよう努めてまいる所存でございます。それで人に後ろ指を指されようが貧乏になろうがそれがなんだというんでしょう。

七十年なら一瞬の夢さ
やりたくねえことやってるひまはねえ

なんてことをマーシーはブルーハーツで歌っていたけど、まあそういうこと。ここで文章にするのもめんどくさいほど言いたいことはある。あとからあとから言いたいことはどんどんと出てくる。

かといって、それを全部吐き出したところで、そもそもぼくのようなゴマメがなにをどう言ったところで、なにがどうなるというわけでないのも百も承知。「アホに言ってもわかりっこないし」とか思いながら難しい話はもうやめにして、相手に合わせてどうでもいい与太話に興じたり黙っていることもしばしば。

なれども、それでもどこかでなにかを言わぬと気がすまぬのは、とどのつまりが物言わぬは腹ふくるる思いの不快さがそうさせているのかもしれない。

 

腹ふくるる思いを抱え込みながら生きていかなければならない悲惨さか、そんな思いを抱え込みながらでも生き続けていくことができる図太さか、そもそもそんな思いを持っていないのか、人のことまでよくわからないけれど、ぼくの場合あと三十数年、言いたいことを言っていてもなんとかやっていけそうな気がする。根も葉もない話ではあるけれど。言論の自由万歳である。民主主義万歳である。

 

まあそんな感じで、秋からのブログ再開以降もよろしくお願いいたします。

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2006年12月10日 (日)

長いの ふつうの 短いの

Top_yellowパソコンが本に勝てないことのひとつに、パッと見て一度にページ全体が見わたせないことがある。たとえば雑誌だったら、ページを開いて「この記事はざっと2ページだな」とかがわかる。

ぼくのブログの記事は、画面に全体がおさまることもあるけど、どこまでスクロールしていってもいっこうに終わらない文章のこともある。体裁は同じなのに、長さがてんでバラバラなんで、読み終わる頃になって、ようやく全体の長さがわかるようなこともしばしばだ。書いているほうはわかっているから、「ここが今日の山場」なんてことを思って書いているけれど、終わりの見えない読み手にしてみれば、今は文章のどのあたりを読んでいるか、読み終わるまでわからない。

二時間ぐらいの映画を見ているつもりでいたら、「なにぃ、この映画どえらい長いのかね」なんてことが、だいぶたってからわかってきて、映画の盛り上がりとこっちの気持ちとがなかなかシンクロしなかった、なんてことないですか。ぼくはあります。最後の頃には、最初なんの話で始まっていたのかなんて、とんと覚えていない。

エレベーターに閉じこめられたとして、いつまでも出られないかもしれないと思って過ごす時間は、結局それが一時間だったとしても、それは「たった一時間」では決してなく、むしろ「永遠」に近い。

お寺でも、檀家さんとしゃべっていると、「法事にはなんべんも出とるでまあええけど、わっけゃあ頃はいつ終わるかわからんかったもんで、終わることばあっか考えとったわ。正座して足がいてゃあし」なんてことを聞く。ほりゃほうだ。いくらありがてゃあお経でも、いつ終わるかわからんようなら、ありがてゃあもへったくれもねゃあわね(名古屋弁のより正確な表記にこだわってみました)。

Udaudaだいたいからして、ぼくは実生活では口数が少ないくせに、文章ではおしゃべりなもんだから、あーでもねゃーこーでもねゃーと書きつらねて、いつまでたっても文章が終わらない。左横の欄でちょこちょこっと書いている「編集中記」なぞは、ぼくにとって、書き足すたびに上書きして消してしまうような、ひとにとってはどうでもいい内輪ウケ話みたいなもので、そんなことを日々書いてブログをしている人もいるわけだけど、どうせ書くのに、ぼくにはそれだけではものたりない。

そこで、全世界五百万人の読者のみなさまにとって、ぼくの記事を読むことが「閉じこめられたエレベーター」とならぬよう、そんな不具合をなくすために考えました。いつも記事の冒頭にかわいいぼくの似顔絵をつけているけれど、それを長さで色分けするというすばらしいアイデア。今後は以下のようにしてみます。

Top_blue  短い文章。

Top_yellow_1 ふつうの文章。

Top_red 長い文章。

長いとかふつうとか短いとか、なにをもって決めるのか。えー、それはですねえ、まあつまりは、あのう、適当といってしまえばそれまでなんだけど、なんていうのかなあ、まあようするに、今日のこのぐらいのがふつうということでどうでしょう。これの七割がた以下で短いの、画面二、三面分を超えるぐらいで長いの、そんな感じね。

終わりまでの長さがわからんほうがワクワクしていいなんていう、気あいをいれた映画の見かたのようなこともありましょうけど、二時間サスペンスは、時計を見ながら「山場はまだまだ」と話の合間をぬって家事をする。ぼくは、二時間サスペンスでも泣ける男、どちらかというと二時間サスペンス派だし、そもそもからしてこのブログが大作映画のようなものでないことはみなさま御承知のとおり。より気軽に読んでもらうためのいち方策です。けど、飽きたり、メンドくさくなったらやめます。と、逃げ道も忘れない男。そこんとこ、どうぞよろしく。

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2006年12月 5日 (火)

ヅラにしました

Topmini_31 当ブログの題『徒ら草』の読みを、「いたずらぐさ」から「いたづらぐさ」に変えた。今さらながらに古語辞典を見てみたら、「徒ら」は「いたづら=いとうつら(最空)が語源か。役に立たないさま。なんのかいもないさま。無益」だそうで、これにしたがうならイタヅラのほうがよい。

現代かな表記では、もちろんこれまでどおりの「いたずら」で正しいんだけど、このズとヅ、ジとヂは結構ゆれがある。基本的にズとジで書くわけだけども、たとえば「お小遣い=おこづかい」「鼻血=はなぢ」などと、ツとチがにごる言葉はヅとヂで書くことも少なくないと思いきや、「地震」は「じしん」であるし、「新妻」「稲妻」はそれぞれ「にいづま」「いなずま」と、原則があるようなないようなことになっている。

日本語の表記は大変難しい。この「難しい」も、口では「むつかしい」とも言うから、それのにごりでワープロで「むづかしい」と打っても「難しい」とは変換されない。「難しい」は「むつかしい/むずかしい」であって「むづかしい」ではない。ややこやしい。

さて、日本語のムヅカシイ表記には、これという決定的な原則が立てられているわけでもなく、どんな原則を立てても、きっと例外は出てくる。言葉は生きものみたいなものだからしかたのないことでもある。そして、この例外もよくみてみると「慣用」であったり、慣れの部分が強くて、良くいえば柔軟、悪くいえば趣味的なものだ。複合語なんかの場合、「語源にあたれば」などと言い出したら、その言葉の語源を知らなければ表記できないことになって、それはそれで無用な知識偏重話になる。かといって、チとツからの変化も含めて、なんでもかんでもジとズにすればいいというものでもない。

『徒ら草』は、随筆の古典『徒然草』に、冒頭の意味での「徒ら」と「悪戯」とをかけて作ったもの。はたして、かなの表記が趣味的なことであるとするなら、現代語の「悪戯」は「いたずら」でもう慣れてしまっているからいいものの、「徒ら」のほうはせっかくの古めかしい表現なわけなんだから、このブログの『徒ら草』の読みを、「いたずらぐさ」から古式ゆかしく「いたづらぐさ」に、「ズラ」から「ヅラ」へと書き直そうと思った次第。けっして、ぼくが抜け毛に悩んで「ヅラ」にしたという話ではありませんよ。

今日の話はそれだけのことなんだけども、ちなみに、ぼくはこの「徒ら草」という言葉をワープロで打つときは、いちいち「いたずらぐさ」と打つのも面倒なんで、「とらくさ」と打って変換している。おいおい。ここまでくるともう、「なんだかなあ」と、かとうあいにでなく阿藤快につっこまれそうな話になってくるのである。

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2006年11月25日 (土)

あれもしたい これもしたい

Topmini_29 このブログは「ごとーび刊」をうたっているので、5と0がつく日には記事を更新していくことになっているわけだけど、これまでも何度か書いてきたように、夏すぎから諸般の事情で予定通りにいっていない。

別段、諸般の事情のために言いたいことがなくなったわけではない。むしろ、諸般の事情以降、右翼政治家が首相になったりして、ぼくの普段のボヤキはいっそうひどくなっている。わが同居人は「日本こたつ党」の活動をしながら、ぼくのボヤキにつきあってくれている。このブログはぼくのボヤキが基本線のひとつになっているわけだから、書きたいことは山のようにある。

けど、ボヤキもさることながら、ぼくには他にもやりたいことがあるわけで、たとえば今はエフェクター作りにはまっている。楽器をしない人のために言っておくと、エフェクターというのは、エレキギターなんかの電気楽器につないで、音をギャーンとひずませたり、シュワシュワ~とゆらしたりする電気の小箱である。これを足もとに置いておいて、しかるべきときにスイッチをガチャッと踏んで、音に表情をつけるわけだ。

エフェクターにはおんなじようなものがまさに百花繚乱、さまざまあるわけで、聴いている人にほとんど差がわかるわけではないものの、弾いている本人にはいろいろとこだわりがあって、楽器屋に行くたびにあれもこれもほしくなり、知らぬ間に数がどんどん増えていく。他人にはなにがどう違うのかわからんけども、カメラ好きな人があれもこれもとほしくなるのとおんなじようなもんだ。そうした無限の欲望のなかで、何年かまえから、自作エフェクターへの道を歩むようになってしまった。

三十数年間文系で生きてきた人間が、中学生か高一程度にあるかどうかも怪しい知識でもって、電気のこまごまとした世界に手をつっこむわけで、しかも、独学であーでもにゃーこーでもにゃーとやっているもんだから、いったんはじめると、あちらの世界にすっかりハマりこんでしまって、なかなかこちらの世界に帰ってこれない。

で、そのエフェクターの構想が、諸般の事情と前後して、またいろいろと頭に浮かんできていた。そこで、今回つくっているのは、ディストーションのさらなるひずみ量アップと音量アップのためのブースターを二つ組み込んだライブ仕様な「ツインブースター」と、ギターマガジンの製作記事を参考にした「トレモロ」の二つ。書けばこのようにたった二、三行のことだけど、素人が同時進行で二つの物をつくるんで、製作に費やす作業は結構な日数がかかる。

そうしたこともあって、ブログを書くひまがあまりない。このブログの夏休みおよび秋休みをいただいたときに、「出校日のようにスポット出稿します。でも始業式のときには、グレて髪の毛を染めてくるかもしれません」みたいなことを書いたけど、鏡を見て気づいたのは、ぼくには染める髪の毛がなく、ろくにグレることもできないことであった。そのかわりというわけではないけども、エフェクターづくりに気合いが入りすぎで、夏休みの宿題を九月になってもまだやっているような気分である。まあ、どちらにしてもデキのいい生徒ではない。

ということで、このブログも、ムリムリな記事がしばらく続くだろうとは思いますが、ようやくそろりそろりとごとーびで再開していく所存でございます。

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そうそう、エフェクターを作りながら、ウチの録画担当秘書官が録っておいた映画『父と暮らせば』を見た。ぼくは小学生の時に見た『ガラスのうさぎ』以降、戦争物は悲しすぎてやりきれなくなるんで、なるべく見ないようにしているんだけども、秘書官が勝手に再生をはじめてしまったもんだから、横にいるぼくも一緒に見ることとあいなった。

見はじめてからしばらくすると作業の手は止まってしまったけれども、この映画は、広島で被爆しながらも生き残った人の葛藤―――生き残ってしまった罪悪感と、生き残ったからには死んだ人の分までしっかり生きていかなければならないという思いとのはざまで苦しむ姿を描いた作品だ。

こうした苦悩は、原爆だけに限らず、通常兵器での戦争でも当然あるわけだし、交通事故や自然災害、親しい人との死に別れ等々、いろんなところで起こりうることだ。けれども、核兵器はそのありようにおいて、これらとは違う、なにか決定的に異質な存在だと思う。一瞬にして何万もの人が即死するなどというのは、言葉ではわかったつもりになっても、その実は、人間の想像をはるかに超えている。しかもそれを人間が人間に対して作為的に行なうという愚挙。

その核兵器の被害がしっかりと刻印された「唯一の被爆国」であるこの日本で、「核武装の論議をしよう」などと言う政治家は、どうしようもなくアホである。まともな感性があるとはとても思えない。考えを変えろといっても、彼らもあの年になって今さら変わるとも思えない。彼らが世界の平和のためにできることは、政治の世界からさっさと足を洗って、本業のヤクザな世界に帰ってもらい、すみのほうでこっそりと生きていただくことである。ぜひそうしていただきたいものである。

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2006年9月23日 (土)

さらに秋休みをいただきます

Topmini_22 さて、実家に帰って、親父の表葬(本葬)をしてきた。

「葬式はいらん」と言っていた人間の葬儀とはとても言えぬほどの、それはそれは立派な葬儀になってしまった。同居人にも京都から参列いただいたが、「あんなに坊さんを見たの初めてやわ」と言っていた。ハハハ、あんな人数のお坊さんをウチの寺で見たのは、拙僧も初めてだよ。住職が死ぬと、こうか。こうなのか・・・。

葬儀の前に、親父の部屋を掃除したんだけど、出るわ出るわ、書類の山。片づけの苦手な父だったから大半はゴミなわけなんだけど、その中に必要(そう)なものが混ざったりしているんで、一応すべてにざっと目を通さなくてはならない。

その際、書いたと聞いていた親父の遺言を見つけた。生前、「葬儀はいらん。身内以外に知らせることもない。風の便りでお参りに来てくれた人には、書いておいた『遺言』をコピーして本堂に置いといて、それを持ってってもらえばいい」なんてことを言っていたわけで、この遺言は「ごあいさつ」と題されて、ワープロでB4用紙にぎっしりと書いてある。こういうのが、その他大勢の書類の中から出てくるんで、油断がならない。

もちろん、片づけるのは書類だけではないから、もう、「うわ~っ」な気分である。ひとまず葬儀前に片づけ終えたのが、そうさのう、全体の四分の一といったあたりでしょうか。それで十日はかかっているんで、ひと通り終わるのはいつの頃になるんでしょうか。四分の一というのも、「多分そうだろうなあ。そうだったらいいのになあ」なわけで、終わってみるまでは、もうわからんちん。

ウチの寺では、B4用紙を半分折りにしたB5判四ページだての寺報を、二十年以上前から毎月出して、檀家さんなんかに配っている。父は教員もしていたから、月参りに行ってもゆっくり話をする時間があまりなく、それで檀家向けに思いつくところを書き始めたのが、この寺報の始まり。当初は父一人で書いていたけど、しばらくして母が一ページ受け持ち、何年か前からは兄が一ページ書き、最近は兄嫁やぼくも時々書くようになっていた。かくのごとく手分けしながら、せっせと、仏教ネタ、時事ネタで四ページ分のマス目を埋めているわけなんだけど、とうとう今月号は、兄と母とぼくから住職への追悼号とあいなった。

で、この追悼号の寺報と「ごあいさつ」とを葬儀の参列者に配ることにした。さらに、「ごあいさつ」には葬式をしない旨が書いてあるんで、葬儀をやることになった言い訳文「『ごあいさつ』解題」をA4用紙にびっしり書いて、「ごあいさつ」の裏にコピーした。

「『ごあいさつ』解題」は、葬儀の二、三日前にぼくが書いたわけなんだけど、書き終わって、ぼくはワープロの前で一人ふと思ったわけです。「こんな立派な追悼文を書かれて、親父はほんとに幸せな人生を・・・」などという殊勝なことではもちろんなく、「どれだけ読み物がある葬式なんじゃ」と。それぞれの文章の内容がどうこうではなく、文字ばっかりの文章が、ざっとB4用紙のおもてうらにたっぷり二枚分でっせ。遺族のみならず、死んだ本人までもが出てきて、とても「おしゃべり」な葬儀になってしまい、ぼかあ、なんだかおかしくなってしまったよ。きっと、参列していただいた人も、おなかいっぱいになったことだろうと思います。

「暑い、暑い」と言っていたら、いつの間にやら、境内にはもう彼岸花が咲いていた。

Higanbana  

月末に京都で用事があるんで、いったん帰ってきたわけなんだけど、それが終わったらまた名古屋です。掃除です。あと推定四分の三です。「ごとーび刊ブログ」は、もうしばらくの間は無理です。この際、秋休みをいただきます。片づけが終わるまで、夏休みの出校日のようにスポットで書きます。「始業式」の日には、グレてしまって、髪の毛を染めて登校してくるかもしれません。

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2006年8月26日 (土)

夏休みを延長します

Topmini_21お盆の一連の行事も終わって、一息ついたところでブログも再開、といきたいところだけど、そうもいかなくなった。

というのも、お盆参りの直前の八月六日にウチの親父が亡くなった。日程的にどうしようもなく、身内だけで密葬を済ませた。のはいいんだけど、そのままで済ますわけにもいかず、日を改めて九月に表葬(本葬)をすることになった。

本人は生前、「葬式はいらん」などと言っていた。まあ、それはそれでよしとしよう。けど、葬式をやらないのは、死んでから三ヶ月ばかりは弔問客がだらだらと来て、かえって遺族が迷惑である。こじんまりとではあるけどやることはやる、なんて話をしていた。なのに、よりにもよって、お盆にからんで死んだばっかりに、密葬は確かにこじんまりとしたものではあったけども、棚経に行った先々で「住職が先日亡くなりました。本葬はいついつです」とふれて回ることになったわけで、表葬のほうはもうどうなることかわからない。お盆の最中にもう一軒、檀家さんの葬儀も重なったものだから、「(住職が亡くなって)悲しいことですね」と檀家に言われても、「悲しむヒマもありません」と答えていたのは、本当に本当のことなのである。ただでさえしんどいお盆も、檀家さんとの話が長引いて、三倍増しに疲れることとあいなった。

まったく、寺の住職を長年やってきたのに、この時期に死ぬとはなんたることか。といいつつも、この春過ぎから療養をかねて入院をしていたわけなんだけど、自分がお参りに行くわけでもないのに、おそらく体にしみこんだお盆の季節の緊張感で、血のめぐりがいつにも増してよくなり、それで脳の血管が持たずに、あっけない幕切れになったのかな、とも思う。八月六日、広島への原爆投下の日に亡くなり、九日、長崎の原爆の日に荼毘にふされたのも、教員を退職後、寺に専念するかと思いきや、「俺はこれから平和運動をするで」と言って、兄に法務のことを任せることが多くなった人間らしいといえば、らしい。

というわけで、九月もひと月ばかりブログを書く暇がない。小泉の靖国参拝や加藤紘一宅への放火などなど、書くネタにはまったく困らない状況だけども、『徒ら草』の夏休みを九月いっぱいまで延長します。

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2006年8月 5日 (土)

お盆です

Topmini_19 今年の夏は暑い。というより、いつも夏は暑い。暑いの嫌い。

と、そんなこんなで今年もお盆の季節がやってくる。なんの因果か、お寺に生れ落ち、小学六年生から父について檀家をまわり、中学二年生から一人立ちして以降、お盆というのは忙しいのである。

何年か前からは、檀家まわりも父は戦力外、兄と二人だけでやるようになったんで、ウチでは、前倒しして八日からお盆のお経にまわっている。十三、十四、十五日の三日間のメインのお盆期間中よりも、前倒し分のほうが五日間と長くなっている。しめて八日間。とほほ。

この季節、檀家の人と永遠回帰のように繰り返される会話。「まあひゃあお盆の季節だねえ。暑いのに大変だねえ」「ほんと、お盆が秋だったら、檀家さんの所をお参りするのも、もっと楽なんですけどねえ」。二百や三百ではきかぬほど繰り返されているでありましょうこの会話、まだまだ今後も繰り返されることと思います。

お盆のときのお経は棚経(タナギョウ)という。これは、精霊棚(ショウリョウダナ)というのを組んで、そこに仏壇から出した位牌を並べて、ご先祖様をお迎えする。その前でお経を読むから棚経というわけです。こういうのは地域でも違うし、もっといえば家々によってやり方は違うから、これという決まりがあるようでないようで、そうはいっても決まりがあるようでないようで、とかいいつつやっぱり決まりはあるようでないようで・・・なわけで、ウチの檀家の場合も普段の仏壇のままのことも多いし、精霊棚を組んでまでおまつりする檀家さんは減ってきているから、あんまりこだわることもないんだけど、棚経という呼び名だけはしっかりと残っているわけです。要は気持ちの問題です。と、今日の仏教豆知識でした。・・・んっ?そもそもこの呼び方は全国的なものなんかいな?

当寺では、お盆のあとにもう一つ、施餓鬼会(セガキエ)という大きな行事がある。お寺に檀家さんが集まって、ご先祖さまから餓鬼道に落ちた者までを供養します。共生極楽成仏道(グショウゴクラクジョウブツドウと読みます)。

そんなこんなで、お盆というのは、他のお寺でもそうだろうけど、他の時期より忙しい。施餓鬼が終わると、「あー、一年が終わったあ」という感じで、年度の切れ目も感覚的には八月と九月にある。考えて見れば、「盆と正月がいっしょにやってきたような○○」という言い回しの、お盆のほうをお寺は担っているわけだから、年末のおそば屋さんとおんなじようなもの。忙しくて当たり前。

ということで、このブログもしばし休憩。八月の最終ごとーび、三十日をめどに復帰いたしたいと思います。夏バテで疲れきっていても、九月最初のごとーび、五日には帰ってきたいと思います。それまでは夏休み。

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2006年5月15日 (月)

朝帰りとコメント

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このところ朝帰りが多い。ちょいワルおやじなどという言葉があるが、いい年してなんだかすっかり不良である。

ぼくはペタペタの偏平足だったのだが、三、四年前に膝の手術をして以来、足の裏に土踏まずができてきた。どこの筋がどうつながって膝と土踏まずとが関係しているのかわからないが、まずはめでたい。それまではちょっと歩くとすぐ足が痛くなったものだが、最近は土踏まずの加減か、すこぶる調子よく歩ける。

Kamogawaそこで昨晩は(正確には「今朝は」)、四時半に街なかの店を出て、鴨川沿いをてくてくと歩いて家まで帰ってきた。一時間とちょっと。

以前なら、これだけ歩けばきっと足のどこかが痛くなったものだが、どこも痛くならない。酔いも覚めてきて、こりゃいい感じ。タクシー代も浮くし、クセになりそうだ。

不良といってもそこらのコンビニの前によどんでいる若造とはちょっと違うのだよ。健康に気を使い、財布にも気を使う、痛風持ちのちょいワルなんである。

とかなんとかいいつつ、「今日は歩けんくなるまで飲むもんっ!」と、いつものようにメートルが上がってしまったら、すべては元の木阿弥だけどね。

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ところで話はガラリと変わるけど、最近はちょこまかと京都と名古屋との行ったり来たりが多い(名古屋にいる友達諸君、連絡をしていないからといってツレナい奴と思わんといてね。名古屋では結構忙しかったりするのだ)。

で、名古屋にいる時は、パソコンを見ることがほとんどない。記事自体は事前の設定で更新していけるんだけど、記事についたコメントは、さすがにブログを見ずしては対応できない。

というわけで、いきなりですが、しばらく「コメント」を閉じます。

「パソコンを見る、見ない」とかいうことでなく、最近はコメントがつかないし、「もういいか、コメント欄」というのがホントの理由だったりするわけなんだけども、まあそういうことです。

なにかおっしゃりたいことがおありでしたら、このブログの左上の「プロフィール」の「メール送信」からお願いします。あと、直接会った時にでも感想を聞かせてください。その際は、ぼくが「ほめられて伸びるタイプ」であることをお忘れなきよう頼みます。

今後とも、『ごとーび刊ブログ 徒ら草』をよろしくお願いいたします。

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2006年4月20日 (木)

ごとーび

Top_27このブログを始めた時、「気が向いたら記事を書く」というのもいいけど、掲載のテンポをある程度決めたほうが自分のサボりぐせの歯止めになるだろうし、読者の利便にも資するだろうということで、「最低週二回、火・金のゴミの日には必ず記事を掲載」と勝手に決めていた。

んだけど、年間ざっと百本。うーん、これは無理ね、と、しばらくして、五日にいっぺんの「五十日(ゴトオビ)」、つまり5と0がつく日に掲載していくことに勝手にあらためた。ならば、月六本、年間七十二本、「ゴミの日掲載」に比べて四分の三になる。五日も待てない時事的な記事も随時掲載していくから、もう少し多くなるけど、でもまあ、無理と思うまでこれでやっていくことにしたのである。そして、そうすることにしてから二、三ヶ月。まだいけそう。

本記事ではないが、右隣の『ロック万歳』のコーナー。こちらは本記事よりももしかしたら気合いの入った文章なんではないかと本人は思うわけなのであるが、こちらは五十日に限らず気が向いたらポコポコと掲載している。でも、これはいずれ本文記事にまとめるかして、「下まで長~い表示」を考え直さにゃなるまいのう。

ところで、「ゴトオビ」の漢字表記。パッと思いつく「五十日」では「ごじゅうにち」だし、なんかしっくりこない。もしかしたら他の書きかたがあるのかも、と調べてみたら、辞書には素直に「五十日」とあった。なーんだ、ふーん、そうか。

でも、「このブログは五十日ごとに記事を更新します」と読み仮名なしで書いたら、「『ごじゅうにち』ごとの更新だなんて、まあなんてのんびりなブログなんでしょ」と普通は誤解されるよね。

で、ネットをいろいろと検索してみたら、「五等日」と書いているものが結構あった。なるほど。当て字だとしても「五等日」のほうが、意味からいって気が利いている。

でも、これでは読み仮名が「ごとうび」。長母音の「お」と「う」がごっちゃ。辞書では調べられません。うーん、でもこれは長母音を発音どーり長音符「ー」で書くよーに表記法を改めれば、こんな混乱はないんだよなー。ごとーび。言文一致の日はまだとーいとゆーことか・・・。

Gotohbi

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2006年1月23日 (月)

「コメント」を設定します

Top_11以前やっていたブログでは大概の「コメント」「トラックバック」は良心的であったけども、世間の嫌煙問題を扱ったいくつかの記事に「なんじゃこれ?」というものがついたことがある。「たばこモノ」にだけそういうのがついたというのは興味深かったけど、まあそれはそれとして、そういうものは、なかば機械的につけてまわったものやその他の記事を全く見ずに書いたとしか思えないようなワケわからないようなもので、そういうのははっきりいって気分が悪かった。かといって、ただ削除するのもなんだったので、そういうものの対応は一緒にブログをやっていた相方に任せておいた。そんなこんなが経験としてあったのでこのブログを始める際には「コメント」「トラックバック」は設定していなかった。

「ブログ」というのは2005年の流行語大賞に選ばれたというものの、メディアとしては一般的にはまだナジミが薄いものだと思う。だからここで「コメント」「トラックバック」と言ってもどういうことなのかよくわからない人も多いのではないかと思う。「コメント」のほうはまだいいとして、特に「トラックバック」などというのは、なんでこの仕組みがブログに基本的な機能として仕組まれているのか、新聞の株価面の存在と同様、僕にとってはその意味合いがいまだによくわからない。

他のブログを見たり「掲示板」を眺めていて思うに、こうしたネットという場での「発言」は一般の活字メディアのものより良くも悪くも「軽い」ものが多い気がするから同様に論じることはできないけれど、ブログでの「コメント」とは一般の活字メディアで言うなら「読者の声」などの投書欄に当たるものだろう。いろいろと出版されている新聞や雑誌の質を見るには、書いてある記事もさることながら、読者欄を見るとよくわかるという。つまり、いい出版物というのはいい読者に支えられている、ということだ。これはネットでもそう違った話ではないのではなかろうかと思う。

さて、今回から「コメント」を受け付けるようにした。僕に返ってくるこのブログついての反応というのは、これまでは直接の知り合いと実際に会った折やメールなどでの会話のみであったけども、まあ、書くほうの僕がヒトゴコチついてきたといおうか、賢明なる読者諸氏に忌憚ない意見を気軽にコメントしてもらえるようにした。それが記事にフィードバックできれば僕のブログ人生はさらに充実したものになると期待している。

Homesugi_1ただし! 僕はほめられて伸びるタイプである。頭をナデナデされ、ヨシヨシされて大きくなってきた。そのおかげで頭頂部が薄くなってきたほどである。記事に対する「反論」を拒否するつもりはさらさらないけれども、そこのとこに気を使っていただければ幸いです。

ブログの中には日に何千何万ものアクセスがあるような、そこらのショボけた雑誌よりよっぽど読者をかかえたブログもあるらしいが、しかしながらブログの多くは同人誌やミニコミ程度のものだろう。このブログもその例に漏れているわけではないから、ナンジャカンジャと小難しいことを考えることもないだろうけど、楽しんでやっているブログで嫌な思いをするのもツマラナイからこうして先手を打ってウダウダ書いてみました。よろしくお願いします。

 

追記 ('06年5月15日記)

コメント欄は一時休止します。
http://chiken.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_08e9.html

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2005年12月12日 (月)

ブログ再開

Satomi2_6 「ブログ」が流行語大賞に選ばれた2005年、年の初めから夏ごろまで友達と二人で「交換日記スタイル」でブログをやっていた。やっている時にはそんなことになると思ってはいなかったものの、「ブログ」が流行語大賞に選ばれたのをテレビで見て、「時代の真ん中、フォ~!」と感無量であった。ところが、諸般の事情により一千万人読者に惜しまれながらもそのブログをやめることになって以降、「もう一度ブログの再開を!」と読者の方々からメールがのべ十万通ほど来た。すべてに目を通して熟考した結果、ここにブログを再開することにした。

当時はブログの設定などほとんどのことは相方がやって、僕は記事を書くことに専念できたが、今回からはすべてを自分でやっていくことにした。しかしITモノにはとんとウトいのでどこまでできるか自信がない。が、やれるだけはやってみるので、あたたかい目で見守っていただければありがたい。

ところで、慣れないながらもインターネットであちこちのサイトを見ていると、こちらの世界ではどうやら「匿名」が当たり前のようだ。しかし、他の人はどうあれ、僕自身がそうすることにはどうにもなじめない。すべてを「情報公開」するつもりはもちろんないが、名を名乗る程度のことならかまわない。以前のブログをやめたのは相方のほうに「実名」カラミで懸念が出てきたことが大きな理由だったので、当ブログで「実名」によるナニガシカの懸念が出てくるなら閉鎖も考えなくてはならないが、まあ、そこはそれ、まだ起きぬ不安に縛られるより、「意見表明は実名で」というネットの外では当然のやり方(テレビやラジオへのネタ投稿とかならいざ知らず)でいきたいと思う。

「コメント」「トラックバック」については、ブログのオープンさに背を向けたような形ではあるけど、当座は受け付けない設定にする。今後は様子を見もってどうするか考えていくが、今後コメント欄を設定した場合、当ブログへの「コメント」に投稿してくれる人に「実名」を条件にするつもりはないので、その際はどうぞ自由にしてください。

まあ、なにはともあれ気楽に読んでください。

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