カテゴリー「よしなしごと」の124件の記事

2009年11月 5日 (木)

茶を喫する

Top_blue_2 以前見かけたお茶屋さんのシャッターにこんな言葉が書いてあった。

のどが渇いたら水を飲め。
心が渇いたらお茶を飲め。

ぼくはいつも心が渇いているからか、お茶をよく飲む。あらゆる飲み物の中で一番おいしいのは、煎茶ではないかと思っている。世間ではご飯離れと同じように緑茶離れも進んでいるのかもしれないが、みなさん、ちゃんと急須でおいしいお茶を入れて飲んでますか。ペットボトルのお茶や夏場の麦茶なんかは「のどが渇いたら」の範疇だから、心が渇いたらちゃんとしたお茶を飲みたいもんである。

緑茶ばかりでなく、コーヒーや紅茶もよく飲む。紅茶はティーバッグだと手軽だけど、ティーポットで入れるような良質の紅茶葉は、やはりティーバッグ物よりも上等な味わいである。

コーヒーもドリップで入れるととてもおいしい。普段はちゃんと入れているけど、「もうメンドくさくてなにもかもがイヤ」なんて時、インスタントなら、味は劣るけどお湯を注いで「はい出来上がり」で、それはそれでよろしい。

学生時代のとある週末、食う物もタバコも切れた。財布を見たら小銭しかない。近所のスーパーに行って、なけなしの金でコーヒー豆とタバコを買ってきたぼくは、当時とてもニヒルでダンディに生きていたものである。

アジアのどこぞの国で大地震があって世界各国から支援が集まった時、山奥に入ったとある支援団体が支援物資としてインスタントコーヒーも持って行ったんだそうな。初めてインスタントコーヒーを飲んだ現地の人たちは、最初、「なんだ、この黒くて苦いお湯は」となじめなかったそうだが、ひと月後支援団体が帰る時には、「あの黒いお湯の元をもっと置いていってくれないか」と頼み込んだんだそうな。やばいねえ、カフェイン中毒。

最近しばらく買ってなかったけど、久しぶりに抹茶を買ってきた。以前、叔母の形見で野だてセットをもらった時はまさにマイブームでよく飲んでいたものだったけど、普通の緑茶とは違った濃厚な味わいは癖になる。コーヒーにも負けないインパクトの強さがあってよろしい。濃い目で一服すれば、デミタスコーヒーなぞモノの数ではない。

して、抹茶をたててみるに、家で飲むだけのことだから「結構なお点前で」なぞとシャッチョコバったことは一切不要。茶碗に抹茶とお湯を入れ、茶筅でシャカシャカやるだけのこと。急須で入れる緑茶やドリップで入れるコーヒーに比べても、コツというほどのものもなく、実に簡単なものである。インスタントコーヒーやティーバッグに次ぐ簡単さである。なのに、抹茶の場合、インスタントでもなく手抜きでもない本物の抹茶である。

うむ、抹茶はえらい。

さあさあ、テレビで国会中継を見ていたら心が渇いてきたし、抹茶でもたてますか。

|

2009年7月 5日 (日)

不痒蚊

Top_blue同居人は虫が嫌いである。確かに大量の虫が湧いている姿を見かけると、あんまり気持ちいいもんではないね。

セミもだめで、ぼくがセミのメスを捕まえて、扇風機代わりに静かに涼んでいると半径三メートルより向こうへ離れていく。

そんな同居人もゴキブリを家で見つけると、虫嫌いはどこへやら、スリッパをつかんで、親の仇を見つけたかのような振る舞いをする。頼りになります。

ぼくはその点、虫は普通に好きであり、嫌いである。不快害虫と言われるのは嫌いだし、夏休みの昆虫採集で子どもがとっ捕まえてくるようなのは普通に好きである。不快害虫が嫌いといっても普通に嫌いなだけだけど、そんな中でも、蚊だけはどうにも許せない。

刺されても痒くならなければいいものを、刺された後のかい、かい、かい、かい、かい、かい、かい、かゆーい、があるばっかりに、見つけると徹底的に排除の姿勢で挑んでしまう。刺されても痒くならなければ、血を吸う虫なんて今では都会の日常的な場面であまりないから、かえって血を吸う姿を愛でてやってもいいかもしれないのに。

「プーン」。部屋で見つけたとたん臨戦態勢。部屋には物がいっぱいあるから殺虫剤をまくようなことまではしないけど、相手の血(それはつまり自分の血だったりするんだが)を見るまでは許さない。

寝入りっぱなに耳元で「プ~ン」とやられようものなら、にわかに目が覚め、退治したあともなかなか寝付けず、もうっ! 次の一日が寝不足である。許せん!

実家の寺では木も多いし、さらにお墓に必須アイテムの花立てがある限り、そこでボウフラが湧き、蚊がいなくなることはほぼ絶望的である。玄関の外でお客さんと三分もしゃべっていると、複数箇所刺されるのはごく普通。許せん!

夏に境内の大掃除が終わって、勘定したら二十数か所刺されていたこともある。虫除けスプレーも大量発汗や水撒きの水を浴びて流れてしまって、部分的にしか効かない。かい、かい、かい、かい、かい、かゆーい。許せーん! 体じゅうウナを塗りたくって、布団に入ってもヒヤヒヤーンと寝られたもんじゃなし、かといって、かゆみ止めなしではもっと寝れんし。許せーん! 絶対許せーん!

ぼくはよく夢想するのであるが、ぼくがもし蚊の大統領だったら、我が蚊の国の全国民に「血を吸っても痒くならない手術(不痒手術)」を施すよう、法案提出するであろう。もちろん手術費用は無料である。この法案が蚊の国の議会で可決、成立、施行されれば、蚊取り線香などという毒ガス兵器を開発、使用する人間と険悪な関係に陥ることなく、今よりもずっと平和に暮らすことができるはずである。朕が蚊の国の啓蒙専制君主であったなら話はもっと早いのだが、今後の蚊の国の安定的成長のためにも、ぜひ国民に応援していただきたいところである。

蚊が刺すと痒くなるのは、相手に刺されていることを気づかれないよう麻酔注射をして、その成分が後々に痒くさせるんだそうだけど、あんなちっぽけなもんに刺されても痛くないっちゅうの(多分)。痒くなきゃ殊更に排除されんでもすむっちゅうの。

もちろん刺す相手は人間ばかりでないから、人の少ない農村、山間部や、子どもがヘルメットをかぶって自転車に乗っているような田舎には痒い蚊がいてもよろしい。しかし、政令指定都市など都市部に住む蚊については不痒手術が施されるべきである。

おお、そうだ、今流行りの遺伝子操作で、刺しても痒くならない蚊(不痒蚊)を作って、それをバーッとばらまいたらええんだ。そうだ、それがいい。今、植林業界では花粉症対策で、花粉の出ない杉を植樹し始めていると聞く。国家百年の大計である。ノーマルな遺伝子の痒い蚊は農村、山間部及びヘルメット的田舎で保存されておればよろしい。

蚊への不痒手術、もしくは遺伝子操作による不痒蚊の普及が達成されれば、蚊と人間との間に共存共栄の平和な暮らしが訪れるはずである。いかが蚊。

あー、かい、かい、かい、かい、かい、かい、かい、かい~の。

|

2009年6月25日 (木)

おこげ神話

Top_yellowお釜で御飯を炊くと、あの底のほうにできるおこげがおいしいんだよなあ、とは年長者から時々聞く話。あの香ばしさがなんともいえないのだなあ、と懐かしげに言う人は少なくない。

ぼくが子どもの頃には、電気炊飯器はもうすでに普通のものだったから、おこげをあまり食べたことがなかった。焼きおにぎりにすれば周囲は言わばおこげなわけだけど、醤油がまぶしてあれば純粋なおこげとはちょっと違う。

 

ときに。うちでは何年か前から、御飯をお釜で炊いている。

最初、ものは試しと思って、フタ付きの普通のホーローの鍋で炊いてみたら、これが電気炊飯器で炊くより1.3倍増し(ぼく基準)でおいしくなった。おいしい御飯を求めてブランド米なぞにウツツを抜かしているぐらいだったら、鍋で炊く技術を身につけたほうのがよっぽど賢い話なのではないか、ぼくはそう思った。米の良し悪しは炊きたてのときよりも、冷や御飯になってからがぜん違いが出るから、もちろんいい米はいいんだけどね。

鍋で炊くといっても、そう難しいことではない。お米三合に水四合、もしくはお米の1.3倍の割合で水加減する。水の多少は、出来上がりに固めか柔らかめかの違いが出るだけで、大きな間違いというほどのことはないから、そう神経質になることもない。それをフタ付きの鍋に入れ、沸騰するまで中強火ないしは強火にかける。湯がふきこぼれ出したら弱火ないしは中弱火にして、五、六、七、八分ぐらい。フタをちらりとずらして、湯がなくなって御飯の表面が出るほどになっているのを確認したら、火を止めて、あとは「赤子泣いてもフタとるな」、十分ほど蒸らして出来上がり。火にかけているのは十分程度、炊き上がりまで二十分程度で、電気炊飯器より早くできるのもよろしい。

火加減が難しい薪で炊いていた時代でも昔の人はうまく炊いていたんだし、かなり適当なキャンプの飯盒でも炊けるぐらいだから、火加減、水加減にことさら神経質になることはない。今では火加減が自由自在のガスコンロがあるのである。ガス器具という文明の利器をおいしい御飯のためにみすみす使わないのはもったいない。煮物を作れる腕があれば、必ず鍋で御飯は炊ける。

「土鍋で炊く御飯はうまい」と噂で聞くんで、やってみたけど、普通の鍋で炊くのとそう変わりなかった。それで、しばらく普通の鍋で炊いていたんだけど、同居人が「鍋で炊くのが普通のことになってきたし」と、当時勤めていた会社から、商品の試供品として倉庫の片隅に置き忘れられてあった六合炊きのお釜を、こっそり持って帰ってきた。さっそくそれで炊いてみたら、こちらは土鍋と違って、1.4倍増しのうまさ(電気炊飯器比/ぼく基準)であった。でかしたぞ、コソドロ同居人。

それ以来、うちの電気釜は保温用として働くだけで、御飯を炊くことがほとんどなくなった。

お釜で炊いていると言うと、「おっ、なかなかのこだわり派だな」と思われることがあるけど、電気炊飯器と鍋の差のほうが、鍋とお釜の差よりもでかいから、お釜を持っていないみなさんも、今日からすぐに「こだわり派」になれますよ。

 

ちょうどそんなことをし始めた頃、NHKの『プロジェクトX』で見たのが、電気釜の開発秘話だった。そこで印象に残っているのが、普通の白飯はうまく炊けても、炊き込み御飯がなかなかうまくいかないというくだりだった。醤油なんかの調味料が入っているから、ちょっとした加減で底のほうが焦げついてしまうのである。

お釜や鍋で炊くとよくわかるが、普通の火加減で炊き込み御飯を炊くと確実に焦げつく。普通の白飯の場合、火加減が多少ルーズでも失敗ということはないんだけど、炊き込みご飯はそのあたりが結構シビア。電気釜の開発の際にそこをクリアして、商品の売りにしたら、とたんに、炊き込み御飯に苦労していた主婦層から支持を受け始めたんだそうである(と、そんな話だったはず)。

電気釜はスイッチひとつで炊きあがるんで、確かに便利だ。当時の主婦がそっちに流れたのは理由があってのこと。主婦の大変な仕事量から考えれば、多少味が落ちるからといっても、手軽な電気釜の当然の勝利であったろうと思う。今みたいに、ちょっとした味の違いで騒ぐグルメの時代でもなかったわけだし。

 

さて、鍋やお釜で普通の白飯を炊くとき、火を止める最後のほうで、やや長めに炊き続けると、底のほうにあの懐かしのおこげができる。

おこげは確かに香ばしい。

けど、はっきり言って、「なんともいえない香ばしさ」などと懐かしさをもって言うほどのものではないと思うのである、ぼくは。もちろん失敗では全然ないけれど、おこげなしの、全部がきれいな白い御飯のほうが「うまく炊けた」と思う、ぼくは。

お釜で炊くのが日常化している身からすると、おこげを懐かしむのは、まさに、ただ単に昔を懐かしんでいるだけ、のような気がする。特にこういうことを言うのは男のほうが多い、ような気がする。つまりは、人に作ってもらうばかりで、御飯をお釜で炊いたこともなかったような人たち。そんなに懐かしいのなら、とやかく言ってないで、さっさと自分で鍋で炊いておこげ作ればいいのに、と聞くたびに思う。

そして、おこげを食べて、さらに炊きあがった御飯のちょっとした味の違いに大騒ぎして、こうして自慢げにブログに書けばいいのである。

|

2009年6月15日 (月)

ハンモックの日

Top_blue_2よく飲みに行くお店のお客さんで、ぼくもよく知っているおじさん三人が日帰りツアーに行ってきたという。これからもいろいろと企画する予定だそうな。そこで、わたくしめもおじさんと言われるに充分の年齢を重ねているので、今後はぜひその会に参加を!と願い出た。すると、今度はなんでも、ハンモックを吊るのにいい場所を見つけたらしく、弁当およびハンモック持参で昼寝をしにいくとのこと。わおー、素敵! 行く行く行く行くーっ!

 

学生の頃の話。ぼくが一回生の時、軽音楽部の先輩K川さんは学祭の実行委員として、クラブから出向していた。学祭といえば、いろんなサークルや仲間が出す出店がつきものだけど、その中に学祭の実行委員が仕切る店もあった。ぼくが祭りの人ごみの中をブラブラしていたら、
「おい、さとみ!」
と声をかけられた。
「はい? あっ、K川さん」
ちょうどその出店でK川さんが店番をしていて、
「なんか買うてけ」
と言う。そこでは近所の作業所で作ったものを売っているそうで、いろいろと商品が並んでいる。
「え、え、え、金ないしなあ」
と、やんわり断りをいれようとしたら、
「なんや? おまえ、飲みしろはあんのに、ここのもんは買われへん言うんか? おっおっおっ?」
「いや、あの、あの・・・、買わないとは言うてません・・・」
「物はいいもんばっかりや。欲しいもんがなんかあるやろう。買うていき!」
先輩風が秒速百メートルでビュービューと吹き荒れる中、
「じゃあ、あの、あの、このハンモック、ください」
ということになったわけである。そんな高いもんじゃなかったはず。千五百円とか二千円とかそんなんじゃなかったかなあ。

実際ハンモックなぞを買っても家で吊るすことはない。まずもって柱がもたない。立派な家だったらいけるかもしれないけど、一般的にいって室内ではやめておくほうが賢明でありましょう。野外で木と木の間に吊るすといっても、そうそう理想的な生えかたをしている都合よさげな木立ちは少ない。ぼくはそもそもインドア派である。そういう所を好きこのんで探してまで吊るそうと思うわけでもない。ムーミン谷のスナフキンを思って、なんとなく買ったまでのことである。

 

それがここにきて、「ハンモック吊りにいい場所を見つけた」と言われれば、おお、これで二十年越しに買い物が生きることになる。行かぬ手はありますまい。

ハンモックの会決行の日、天気は快晴で、まさにハンモック日和。おじさん三人プラスぼく及びわが同居人の、今日の仲間しめて五人が、会の主催者O智さんの案内で公園の森に着くと、なるほどなるほど、五メートルほどの間隔で木々が生えている。

このぐらいの木の間隔がいいんですね。なるほどなるほど。

木がまた、ちょうどいいところで幹が二股に分かれて伸びていて、そこに紐をかければ、高すぎず低すぎず。なるほどなるほど。

着くなり、まずは乾杯。持ってきた弁当をしばらくつまんでから、いざハンモック吊りを開始。O智さんが持って来たハンモックの紐が細くて、試し乗りしたら切れて落ちたりして、わいのわいの、やいのやいの、なんやかやと吊るしていたら、飲み屋の若夫婦も遅れてやってきた。

ハンモックの上で横になると、おー、こりゃあいい。六月の初旬、日差しがきつかったら焼けそうと思っていたけど、木がたくさん生えているんで、木漏れ日がちょうどいい。

風もこれまた、ちょうどよろしい。

酒飲んで昼寝して、ツマミ食べて昼寝して・・・、と、うーん、マジ最高っすよO智さん! ぼくの初めてのハンモック、「ホテルに初めて泊まったら、そこはヒルトンだった」みたいなもんですよ、これは。

この日の風と違って、先輩風が吹きすさぶ中で買ったハンモック。あの時もしハンモックを買ってなかったら、今回のハンモックの話を聞いても乗らなかったかもしれない。そして、今日のこの心地よい風。なんかいろんなことがいっぺんに着地したような、とてもいい日になりました。

ここで一首。

「この風がいいね」と君が言ったから
  六月六日はハンモック記念日。

字余り。失礼しました。

|

2009年5月25日 (月)

ドーン!バーン!キキキーッ!を120%

Top_blue_2最近はテレビがつまらない。ゴールデンの時間帯はひどいもんである。ニュースも、特に民放ではニュースなんだかワイドショーなんだかわからんし、バラエティやドラマも、いやはや、もうなんだか切ない気分になってくる。そのために、昼や夕方にドラマの再放送を録画しといて、後で見直すような具合である。視聴者としてテレビ局にすっかり年寄り扱いされてしまう年齢になってきたということなんであろう。

年齢と言えば、年のせいなのか人の名前を覚えなくなった。以前からそうだと言えばそうだけども、その程度がずいぶんとひどくなってきた。以前はそれでもなんとか思い出そうとしたし、忘れたら忘れたで悪い気がしたもんだけど、そういうこともだんだんなくなってきた。今では平気の平左である。

以前からそうだと言えば、ぼくは昔からドラマの筋立てがなかなか頭に入らない。話の道筋をたどるのが苦手である。よって映画は、話の筋道無用なB級物が大好きである。ドーン、バーン、キキキイーッ! で、その手のものは海外物のほうがなにかと派手で楽しい。テレビ東京系っていうんですか、独立UHF系っていうんですか、あのチャンネルは、再放送ドラマもB級映画もよく放映してくれて、ぼくには大変都合がよろしい。

以前飲んでいて、B級映画が好きという話になった。そしたら相手がやけにその手の映画に詳しくて、「それはすでにC級なのでは・・・」と話題が拡大。ぼくはついていけず、そこではっきりしたのは、海外物でいうなら吹き替え版がある程度のB級物がぼくは好き、ということであった。

感動物の映画なんて言われても、映画で感動することがないわけじゃないけど、それよりも現実のほうがよっぽど面白いではないか。映画で感動するのも、見る者にそれに見合った人生の裏づけがあればこそ。人は二時間ドラマでさえ、泣くときゃ泣くんである。吉本新喜劇でも目が潤むときは潤むんである。話は所詮作りごと。なんなら小説や舞台という形式でもあり。けど、ドーン、バーン、キキキーッ、これこそは映画独自の表現分野じゃなかろうかと思う今日この頃。

それはさておき、海外物と言えば、テレビの深夜放送では海外(といってもアメリカがほとんどだけど)のドラマや映画をよくやっている。で、B級物ばかりでなく、面白そうなのはビデオに録ったりする。

それを後日見ていると、名前がナントカシャーンやらナンチャラリーンなどと横文字ばかりで、まずそれが頭に入らない。そのうえ、出演者はみな外人顔なんで、よっぽど有名な役者でもない限り見分けがあまりつかない。話が推理物だったりすれば、当然のごとく話についていけなくなる。縫い物とか他ごとをしていればなおさらである。

ドンパチ物も、敵味方の関係にひとひねり入っていると、ぼくの中では唐突かつ無意味な爆発や暴走、闘争のシーンばかりになって、あんまり楽しめない。そういう話が最近増えてきた、というより、さらなる読解力低下でドンパチ物にさえ最近ついていけなくなってきた、という感じ。

以前はそういう風になっても、見ているような見てないような感じで見続けていたけれど、今では話が半ばに進んだあたりで、「もうだめだ・・・」と冒頭に戻す。うちは録画機器がハードディスクレコーダーなので、その辺は一発操作である。ボタンを押してピャッと頭出し。一時間物の三十分目だろうが、二時間物の一時間目だろうが、これ以上出演者が混乱したまま見ていてもつまらないから、いさぎよく頭から見直す。さすれば、さすがのぼくも話についていける。再び話半ばにさしかかったとき、ぼくは安心して推理を深め、ドキドキ感も高まり、ようやく話に入っていくことができるのである。

それを別の日に同居人が見るときに、また一緒に見る。そこでぼくはその話を心の底から120%楽しむことができるのである。そうかあ、こういう話だったのかあ。

 

まったくもって今日は年寄りの詮方ない愚痴ではないか。

|

2009年5月15日 (金)

高級眼鏡拭き

Top_blue最近の眼鏡拭きはすぐれている。取れにくい皮脂汚れもさっとひと拭きである。布についた汚れも石けんで洗えば落ちるから、何度も使えて大変によろしい。眼鏡を使う人は買った時だけじゃなく、調整の時なんかにもサービスでもらったりして、何枚か持っているんじゃないんかなあ。

眼鏡拭きばかりでなく、楽器拭きもその手の高級なやつが増えてきた。こっちは眼鏡拭きに比べてかなりでかい。新品のうちは、ギターの錆びかけた弦をキュッキュッとやるのはもったいなくて(どうかすると弦で布が擦り切れる)、ギター用普段使い雑巾一歩手前ボロ切れで汚れを取る。貧乏性。

他にも洗車用とか掃除用とか、いろんな分野で高級ふきふきは活躍の場を広げていることだろうから、眼鏡や楽器に縁のない人でもどっかかんかで使っているんじゃないでしょうか。

ぼくは職業柄通夜、葬儀に出席することが多いけれども、そういうとこに行くともらう「粗供養」と称するやつ。弔事の簡易引き出物とでも言いましょうか。もらうほうが粗供養と言うのも失礼ですし、回りくどい言いかたになって恐縮ですが、ああいうのはハンカチやらお茶なんかが多いけれど、最近は眼鏡拭きをもらうことがたまにある。そんなわけでぼくは普段使うのに必要な以上に眼鏡拭きを持っている。

眼鏡には必要じゃないからといって楽器用にまわすと、やっぱりちっちゃくてちょっと使いにくい。ふーむふーむ、どうしたもんかと思案六法。

まだ肌も若かりし二十代の頃、化粧品業界に勤める友だちに顔肌診断をしてもらったことがある。

「残念です、最悪系の乾燥肌の油肌です」

ほうほう。確かに。マクドのナプキンで顔のあぶらとりをすると、一枚丸ごとが油紙になる。浅香あき恵なみの油田状態である。お風呂でも一度洗いではなんかすっきりしないし、風呂上りに古い角質層が白く残る。かといって徹底的に二度洗いすると風呂上りがパッサパサ。女の人ならここでパシャパシャとなんやお化粧品で手入れをするようであるが、日本男児たるものそんなメンドーなことしたくないやい。

そこで、皮脂汚れもさっとひと拭きをキーワードにハタと思いついて、お風呂で洗顔のときに眼鏡拭きを使ってみた。石けんをつけてやさしく顔面を洗ってみると、あらまあいいんじゃありませんの、奥様ぁ。拭き心地にいい具合の粘りがあって、いい感じに角質層も取れて、そのうえ洗い上がりもしっとりよー。それに奥さん、あたくし剃髪→丸坊主→剃髪→丸坊主のくり返しですでしょ? それで頭もついでにゴシゴシやってみましたのよ。そしたらあ、頭皮もばっちりでしたわあ。毛は濃くなりませんけどねえ、おほほほほっ。

とまあ、非常に具合がよろしい。以降、我が家のお風呂にはゴシゴシタオルとともに眼鏡拭きが常備となったわけである。顔面はきつくこするとさすがに後でヒリヒリしてくるから、そっとやらんといけませんが、まあみなさんも余った眼鏡拭きがあったら一度やってみてはいかがでしょうか。

 

って、もしかしたらこういうの洗顔用に売っていたりするんであろうか。まあ、あっても全然おかしくない。鹿革だかセーム革のを深夜のテレビショッピングで見たことあるような気もしてきた。まあ、よいよい。

|

2009年5月 5日 (火)

朝の散歩

Top_blue自分が住んでいる家というのは日常の中に埋没してしまって、「風景としての自分の家」という感覚は失われてしまう。

あそこにコンビニがあって、そこに風呂屋があって、ここが誰それさんの家で、ここが隣の家で・・・、と、家のまわりの風景は、ふだんはっきり意識することがなくとも、頭の中になんとなくあるものだ。けど家の前まで来ると、そこからはもう風景ではない。引っ越してきた当初には自分の家にも感じていた「風景としてのこの家、ここにあるこの家」というものがいつの間にかなくなり、そこにあるのは、風景と切り離された自分の家。

ぼくの実家はお寺だから普通の家にくらべて風景として強い印象を残しているはずだ。よその寺を見ればぼく自身がそう見えているんだから、そういうものだと思う。それでも、そこで生まれ育ったぼくにはふだんそうした自覚がまったくない。

最近はあまりしなくなったが、十年くらい前までは、徹夜をした朝方に時々散歩にいった。そういうときはたいがい昼夜逆転中なんで、飲んだあとの朝帰りとは違って目はパッチリである。人も車も少なくて、ふだんと違う気分でのんびりと散歩ができる。

実家にいた頃のある日、そんな散歩に出かけた。近所の川の堤防までぷ~らぷらと歩いていって、朝の風をひとしきり浴びて、それから帰途についた。いつものように神社の前を通り、そこの角を曲がって、寺の前に帰り着いた時、「あらら、なにこれ?」。ぼくは初めて、自分の家が寺だということを「発見」した。「ここにお寺がある。自分が生まれ育ってよく知っていると思っていたこの町内のここには、そうかあ、お寺があったんだあ!」と、まるでよその寺を見るような目で自分の寺を見てしまった。

似たようなことは学生時代にもあった。

大学入学とともに京都でひとり暮らしを始めたとき、あこがれの京都に来たというおのぼりさん気分もあって、「いずれ自転車で嵐山まで渡月橋を見にいってやる!」と考えていた。とある秋の日、夜中の三時だったか四時だったか。まだ暗い中、車の少ない大通りを十二段変速機つきの中古自転車でぶっ飛ばして嵐山にむかった。念願かなって夜明けまえの渡月橋の姿を見ながら、「うんうん、満足満足」とひとしきり京都気分を満喫した。

そして下宿に戻ってきたのが朝の六時ごろ。ガチャガチャと鍵をあけて部屋にはいった瞬間、「あれっ、あれれ? ああ、おれは京都でひとり暮らしをしている! うーん、なんて狭い部屋なんだ・・・」と、狭い六畳ワンルームにひとりで暮らしていることに「初めて気づいた」のである。

そんな経験はこの二回しかないけど、これはきっと、ふだんとは違う朝方の風景のつづきのまま自分の家を見ることで、自分の家への視線に他者の視点が入ってきた、ということなんだろう。その時は、まるで安倍公房かカフカの小説の主人公になったような気がしたものだ。

そういえば、押入れの中から部屋を見るといつもの部屋が他人の部屋のように見えると聞いたことがあるなあ。今度押入れを整理して自分の部屋を覗き見してみようっと。

|

2009年3月15日 (日)

年賀状

Top_yellow時季がずいぶんとはずれているけれど、今日は年賀状のことを書く。

ぼくは年賀状というものを小学校の時に書いて以来、ずっと書いてなかったんだけど、十年ほど前に同居人と暮らすようになって、毎年、年末になると同居人がせかせか書いているのを見ていたら、「おれもいっちょうやってみるかあ」なんて気分になって、何年間か続けたんだけど、結局めんどくさくなって二、三年前にまたやめてしまった。

小学校一年生の時、冬休み開けの始業式の日、担任の先生が自分に送ってきたクラスの子の年賀状を、教室の後ろに張り出した。送らなかった子もいたろうに、あれはどういうつもりだったんだろうかと、大人になって考えてみるによくわからないんだけど、もしかしたら、何十枚も返事を書くのが面倒なもんだから、そうやって張り出すことで、「みんなありがとうね」ということだったのかもしれない。もしかしたら年末の最後の授業で、「年賀状を書こう」なんていうのがあったのかもしれない。

そのへんの経緯は今さらもういいとして、ぼくは自分の年賀状が、他の友だちの「あけましておめでとうございます ことしもよろしくおねがいします」的な定型シンプル文面と違って、普通の手紙のような文面になっていて、なんか少し恥ずかしかったことを覚えている。その時は、常識的な年賀状の型なんてまだ知らなかったし、親も教えてくれなかったもんだから、「あけましておめでとうございます」の後には普通に先生へ手紙を書いたわけである。多く書くぶん字は小さくなって、他と並べて見ると、良く言えば子どもらしくない大人びた感じ、悪く言えば「勢いないね、この子」である。変といえば変。個性的といえばほめ言葉にもなろうか。

その頃からぼくは「常識無用、非常識上等!」の人間だった、というよりは、ただそれを知らなかっただけで、そのことを親も知ってか知らずかほったらかし。それが今のぼくにどう影響しているのかはわからないけれど、「一言多い」というのだけは、その頃から変わりのないところではあろう。

年賀状は虚礼だとかナントカと評判の悪いことを言われたりすることもあるけれど、ぼくはそこまで悪くは思わない。暑中見舞い、寒中見舞いともども、あってもいい季節の習慣だと思う。以前兄に聞いた話で、学生時代とても世話になった恩師の老教授は、
「年賀状が届かなくなったら、俺は死んだと思ってくれ」
とよく言っていたそうで、ああ、年賀状にはそんな使い方もあるのか、と感心したものである。どうせ年賀状を続けるなら、そんな年になるまで書いていたいと思ったものだけど、結局、自分でなくて、父が死んだ年の喪中葉書がめんどくさくなってやめてしまった。

同居人を見ていると、去年も十二月の三十日になって、どの図柄をダウンロードしようかと三時間も四時間もネットを見ているもんだから、
「あのさあ、そうやって探しとる時間に手書きでやっとったら、もう終わっとるんちゃうの?」
ってなもんである。まだおせちも作らんといかんのに、なにをアホほど時間をかけとるんだろうか、とろにゃーか、と思ってしまうわけである。印刷モノの年賀状なんて、もらっても、十秒見るかどうかのもんなのに、
「なあなあ、どっちの絵柄がいい?」
とか聞かれてもなあ。そんなんどっちゃでもいいわ。もらったほうも、お前の選んだ絵柄なんて、次の人の年賀状見とるときには、すっかり忘れとるわ。

同居人のそういう姿を見ていると、確かに、文面使いまわし系印刷モノ年賀状は、作成の努力及び経費と送付効果とをあわせ考えるに、虚礼と言ってもあながち間違いではないなあ、と思ってしまうのである。ご苦労なことです。

ぼくが何年か前まで書いていた年賀状は、十何通ぐらいだから印刷する手間のほうが面倒だし、そもそも、もらっても味気ないと思っている印刷モノにする気もなし、古式ゆかしく筆で「あけましておめでとうございます」と大書きして、ほんでもって近況報告を書いて、ちゃっちゃっちゃーのちゃーでおしまいであった。気が向けば自分の似顔絵のひとつでも書いたか知らんが、そんなことはもう忘れた。いずれにせよ、小学校一年生の時のように文章をしたためるならいざ知らず、読まれても十五秒もかからないようなものに、そんなに手間ひまをかける気にならない。

そうそう。写真つきの年賀状、あれはいらんなあ。特に子どもつき家族写真。その中でも特に子どもだけの写真のやつ。この記事を読む人の中にそういうのを送っている人がいるかもしれないけど、気を悪くされたなら、まあこの際です、一度気を悪くしていただきたい。

家族ぐるみのつき合いがあるなら、それはそれでいいんだけど、そうでもないのに、家族全員連名の家族写真つき年賀状をもらっても、「ふむふむ」というだけで、だからなんなんだ、という話である。子どもだけの写真のにいたっては「???」である。親バカというよりはバカ…、いかんいかん。

考えるに、その人にとって家族のことこそは人に伝えたいとても大切なことであって、その安寧な姿こそ一番伝えたい近況報告なんであろう、と。個人と個人のやりとりであるはずの年賀状にさえ家族を登場させるのは、その人の精神的、人格的安定は家族の安定による、ということを示しているのであって、すなわち家族写真つき年賀状は差出人何某氏のマイホーム主義の見事な表現である、と、まあ概略このようなことを思うわけである。

マイホーム主義のなにがいかんのだ、と言われれば、「家制度の現代的変容じゃないのかね」と言うだけ言って、あとは触らぬ神にたたりなし、これ以上の議論を差し控えたいと思うのであるが、でも実際のところ、何年かに一度の年賀状の整理の時、写真つき年賀状というのは、とても処分しにくいわけである(ずっと取っておく人もいるだろうけど)。マイホーム主義な心理を概略考えさせられた上に、処分しにくいとなれば、これはちょっと、気軽な年始のめでたいやり取りを越えている気がするわけである。写真つきのヤツめ、年賀状の分際で、どこまでおれに心理的圧迫をかけるか。

どうせなら、核家族などというチンケな集まりでなく、親きょうだいに爺さん婆さん、いとこにはとこ、一族郎党すべてを収めた写真を全員連名で送ったらどうであろうか。相当に強烈な印象を相手に与えるはずである。毎年楽しみになるはずである、「あの人が今年はおらんなあ、逝ったか」とかね。

とはいいつつ、ぼくが年賀状を送るのをやめてから、ぼくに送られてくるのもぐっと減ったのだから、まあそんなにぐちゃぐちゃと粘着質になることもないのである。大体からして、今日の家族写真つき年賀状の話って、一般論でもあるけれど、ぼくに送られてきたものも当然に含むわけだから、それはすなわち、該当年賀状をぼくに送っていただいた友人にケンカを売ったも同然の所業である。とても失礼な話である。うーむ、これは虚礼以下のことをしてしまった。

Photo_2 友よ、ぼくの一言多いことを・・・・・・、

 

 

 

本当にすまないと思う。

|

2009年3月 5日 (木)

かぶりものといえば伽羅

Top_redふと気づけば、帽子作りがマイブームである。去年の暮れぐらいからいくつか作った。

なにか新しいオリジナルなのを作り出して、とかそんなんではなく、型紙付きの本を買ってきて、それをもとによいしょよいしょと作っている。布切れも、穴が開いたり小さくなったりして着なくなった服をつぶしたり、これまでのお細工物の残り切れを使っている。あまり金をかけない、これが信条である、いつものごとく。

Photo まあ、これまでもなんかあれば縫い物はしているし、今回も帽子ばかりでなく、勢いに乗じて手提げかばんや小物入れも作っているけど、帽子はこれまで挑戦したことがなくて、で、やってみたら案外ちょろいもんだとわかって、言葉を覚えた子どもがしゃべりまくりだすように、必要以上に帽子をいくつも作っているわけである。

そういえば、帽子を作ろうと思い立った頃、百均の店に行ったらズラッと帽子が並んでいて、それを見たときはかなり萎えたけど、あれはなに? 帽子の材料を手芸屋で揃えれば百円は越えようものを、労働賃金とか輸送費とかもあるのに、まったくどうなっているのかね。

Photo_3さて、帽子を作ると聞けば、なんかとても特別な技術がいると思うだろうけど、いざ作ってみると、型紙さえあれば、縫いの作業自体に特段難しいことはない。簡単なかばんや袋物なら型紙もいらないけれど、さすがに帽子では型紙がないと相当にややこしいはず。最初は型紙通り作って、それからオリジナルなものを作ってみたければ作ればよろしい。そのへんは楽器の習得と同じである。まずはコピー。

Photo_4使う布切れは、帽子一つ分で長袖のシャツの両袖分ぐらい。同じだけの裏地分の布切れもいるけど、まあいずれにせよ大した量ではない。なんとなれば裏地を表地と同じ布にしてしまえば、長袖のシャツ一枚分弱で、ほほほいのほいである。裏地にも気を使って作ればリバーシブル仕様にもなる。小学校の体育の赤白帽みたいなもんである。 

同居人がつかみ取りで買ってきた着物を布地として供出してくれた。紫地の縦縞模様でとてもいい。性が抜けているんで、着物としては用をなさないけど、芯地を張れば帽子には十分な強度と判断。これで、同居人用に深めの帽子と、ぼくの鳥打帽を作った。

柄が柄なだけに、できあがってみると十分に強烈な一品。であるがゆえに、二人が揃ってこの帽子をかぶると、最近見かけんくなったペアルックのアホアホカップルよりも、もっと強烈に怪しいアベックに見えてしまうであろう。

Photo_5

帽子をかぶって二人並んで鏡を見ながら、
「これはきついなあ。ええか、おれがこれをかぶる時は、おまえはそれをかぶったらいかん!」
「わたしもこんなん嫌じゃい!」
てな具合である。

待ち合わせをした時に、なんかの拍子でお互い知らずにこれをかぶってきたとしたら、ハタから見れば、仲のいいアホカップルがなにか言い合いをしていると見られよう。
「な、な、なんと! それかぶってきたんかいな」
伽羅「な、な、なんじゃ! やいの、やいの!」
「やいの、やいの!」
「やいの、やいの! なんでもええで、はよ脱げ。キャラかぶって見られるわ」

キャラかぶる?

ということで、わたくし、これから自作帽子のブランドを「伽羅」とすることにしました。タグもいずれ作りましょう。かぶりものといえば、伽羅。よろしく!

 

と、そんなこんなはさておき、この期に及んで、いまだにぼくはミシンを買ってない。どんなのを買ったらいいかわからないの。安いのを買えばパワー不足、機能不足に泣き、安物買いのなんとやらを嘆きそうだし、高いのを買えば買ったで、でかいぞ、重いぞ、狭い家には邪魔だぞ、と愚痴を吐きつつ、「熱しやすく冷めやすい症」患者所有の持ち腐れた宝になりそうだし、あーん、どれ買えばいいんだあ、と優柔不断爆発。

というわけで、今もってぼくのお裁縫は手縫いでぬいぬいである。ミシンがないからといって、帽子作りを恐れることなし。キャップ帽のツバ部分を硬い芯ごと縫うのが手縫いでは相当きつかろう、というぐらいのもの。マジ縫えんのかどうかまだやってないからわからないけど、ツバは厚地の芯地にすれば、既製品のようにガッチリとはいかずとも、使用に十分耐えうることを他の帽子で確認済みだから、よしである。硬いツバのキャップだけがキャップじゃないやい。

確かに、ミシンがあれば、「簡単なものなら30分でできる!」という帽子の本のうたい文句もウソじゃなかろう。でもそれって相当手だれのミシン使いだと思う。そこまでミシンに慣れるまでにぼくは帽子作りに飽きている、と断言しましょう。ぼくはこれからものんびり並み縫いでなみなみ行くのだ。

縫い目をなるべく隠すように縫うのが手縫いの基本であるからして、出来上がってしまえばわからないものの、縫い目はまだまだ粗く、ベテランの人に遠く及ばない。ミシンでは縫い目も出し放題だけど、それをうまいこと隠すにはどういう手順で縫っていけばいいか、なんてことを考えながら作っていると、工夫ぶっていて偉そうじゃないか、と軽く悦に入れたりする。

まあ、ものづくりにおいてはなんでも同じだけど、縫い物でも「縫う」というメインの作業以上に気を使うべきは、そこに至るまでのしっかりした型紙作りや、布の切り出し、待ち針や仕付けなどなどの下準備である。

仕付けは待ち針や仕付け糸の代わりに、クリップで仮止めすると便利。文房具箱にあったちびちびクリップを使って、しかるべきところにしかるべくはさんでみたら、待ち針や仕付け糸よりも微調整がしやすくて、とても具合がいい。なんせはさんでいくだけなんで、お裁縫初心者にもおすすめである。それ用のクリップが手芸屋さんに売っているけど、洗濯バサミでもいいし、一度手近な物を使ってやってみてみて。

あと、大事なのは仕上げ。仕上げと言っても、アイロンを使ってシワを取ったり折り目をつけたりするだけなんだけど、ぼくのようなせっかち人間は、最後の玉止めをすると、「やったあー、できたあー」と舞い上がって、「ほれっ、ほれっ、できたっ、できたっ」と同居人に自慢してしまうわけであるが、でも、冷静になってよく見ると、なんか今ひとつしっくり来ないところがあったりするもんである。翌日に改めて見たときなんかに、そういうところがとても気になりだすもんなんである。そこで、アイロンを使ってシワを取り、折り目をちゃんとすると、あれまっ、ぐっとよくなるんですねえ。

簡単なこととはいえ、仕上げをなめてはいかん。「できたあーっ」と思った喜びをお茶でも飲みながら味わったら、早速仕上げにかかるべし。それから人に自慢しても遅くはない。

 

さて、女性客がほとんどの手芸屋さんにヒゲ面の中年が行くというのは、正直言って結構勇気がいる。ぼくのことなんか誰も気にしてなかろうに、自意識過剰、他の客の視線を勝手に自分に突き刺してしまうのである。それに、ロール状になっている1メーターいくらの布を買おうにも、これはこの布をレジに持っていくものなのか、店員に声をかけてしかるべき長さを申告するものなのか、買い方もよくわからんし、なんせ緊張ドキドキである。

この前も、他の客が布を買うところを見ようと、ギロ目で様子をうかがっていたんだけど、結局その日はそういう場面に出会えずじまい。でも、見本のために3センチ程度切ってもらっているお客さんがいた。その店では五種類までだそうだけど、そんなことできるのか。知らんかった。布の買い方も見本のことも、店のどこにも書いてあらへんし、うひゃあ、シロートのぼくなんか、ぼくなんか・・・。

この「店に行って緊張ドキドキ」は、以前、エフェクター作りに凝って電子パーツ屋に行き出した頃以来である。三十を過ぎたワケ知り風なおっさんが、実はよくも知らず、店員に「型番○○のトランジスターありますか」と聞くときのドキドキ感。他の客はみんな電気に通じていそうな中で、なかなかの緊張感である。

電子パーツは型番が数字とアルファベットで分類されていることが多いんだけど、「l」が「いち」なのか「エル」なのかわからないで店員に在庫を確認するのは相当な勇気がいるということ、賢明なる読者のみなさまにはきっとわかっていただけることだろうと思います。「FET」という部品を、あちゃらの業界では「フェット」と呼ぶのか「エフイーティー」と呼ぶのか、はたまたそのどちらでもいいのかもわからない状態で、カウンターの後ろにある部品棚から出してもらって買い求めるのはなかなかの緊張を強いられるものだということ、賢明なる読者のみなさまにはきっとわかっていただけることだろうと思います(今もなんて読むものなのか知らん)。

一度、作りたい機材の材料表に見たことのない部品があった。電子部品屋では総合店以外、ここはトランジスター、ここはコンデンサーと、店舗ごとに扱う部品の種類が違っていたりするんだけど、その部品はこの店にあるだろうと思って、
「これ、どういうものかぼくもよくわからないんですけど、ここに置いてありますか」
と、聞いてみたら、店員からいきなり、
「何アンペアの?」
と聞き返されたもんだから、
(えっ、種類あったの?)
とドギマギしていたら、
「だからあ、何アンペアぐらいの電流が流れるぐらいのところにそれ使うの?」
と言われ、
「???・・・。あの、あの・・・、勉強し直してからまた来ます」
と、屈辱を味わわされた三十六歳の秋。

今回のお裁縫ブームでは、まだそんな逃げ出したくなるようなことはないものの、手芸屋さんをウロウロしていると、やっぱり少しドキドキする。もうこんなことは電子パーツ屋で終わりにしたいと思った三十六歳の秋の誓いはいずこへ。とはいえ、手芸関係は電気関係よりもずっとわかりやすい。なんせやっていることが、うまくできるかどうかはともかく、説明をされればなるほどそういうことかと、目に見えることばかりである。

 

去年の秋ぐらいに書いたパイプの話。すぐ飽きるかと思ったけど、今でも家で吸っている。好みの煙草葉を探すのがちょっとした楽しみになっていたりする。色々とあるダンヒルのは大概おいしい。ちょっと高いけど。50グラム900円~1000円程度の標準価格のものなら、マックバレンのバージニアNo.1、ミクスチャーブレンド、ゴールデンブレンド、ボルクムリーフのジェニュイン、ガレリアのフォックス&ハウンドあたりが素直でおいしいと思います。

で、今夜もパイプを咥えながら、よいしょ、よいしょと、手縫いのぬいぬい作業である。

|

2009年2月25日 (水)

かわいい字体でどんと来い

Top_blueここ数ヶ月、「かわいい 字体」の言葉で検索してこのブログに飛び込んでくる人がほぼ毎日いる。「なんでかいな?」と思って、ヤフーで検索をかけると、な、な、なんと! 三十七万件余りのヒット数中三番目! 随分以前に、「このブログはかわいい字体なんで云々」とほんのチラリと書いたことがあるだけなのに、なんじゃこれは。

「思い込みダイエット」でも検索結果の上位にでて、飛び込んでくる人が多くてウンヌンカンヌン、なんて話を以前にも書いたけど、まただ。

どういう機能だとこういうことになるのか知らんが、きっと、検索結果で実際に開かれたページがより上位につけられていくんだろう。となると、そのサイトが役に立とうが立つまいが開かれてしまった以上、検索結果はどんどんと上に上がっていく循環が起こる。開かれてしまう以上、役に立たないからといって下がる方への循環はいつまでたっても始まらず、となると、役に立とうが立つまいが、日々ほぼ無縁の人とつながって、三秒で閉じられる。トホホ。

そんなほぼ無意味なアクセスも、ブログ側ではちゃんとアクセス数として勘定されて、実にアホらしい最先端技術である。「かわいい 字体」でやってくる人、もういらん。検索結果、下げられるものなら下げたい。

辞書を開いた時に周辺の無関係な項目を見るのと同じと言えなくもないけど、で、それが新たな思いつきにつながるなんてことがないわけでもなかったりするけど、検索サイト側ではおそらくそういう非効率はめざしてもいないし、むしろ排除したいであろう。がんばれ、ヤフー。

ぼくはいわゆるポータルサイトって言うの?、ホームページって言うの?、を「検索デスク」というやつにしてある。これ便利。有名なのかもしれないけど、まだパソコンを始めたばっかりの時に、どんな検索サイトがいいのかと「メタ 検索」で検索したら、この便利そうなサイトに出会ったんで、その利用はぼくのパソコン人生とほぼ重なる。で、普通の検索はほとんどグーグルしか使わない。一、二年前からツールバーも仕込んで、おっと、気づくとすっかりグーグラーである。

このブログの「アクセス解析」というのは、検索ワード以外にもいろんなことがわかって、このブログを見にきた人の端末の種類もわかる。それを見ると、ウインドウズビスタっちゅうのが、ドッグイヤー的に言うともう十数年ぐらい前に発売されたにもかかわらず、マックや五十年ぐらい前の型のウインドウズ2000とさして変わらず、一割程度。六割方がいまだに三十年ほど前の型のウインドウズXPである。

最新機種、最新機能といっても、この業界では作り手と使い手、使い手の中でも仕事的に使う人と一般の使い手との温度差が激しすぎで、ぼくにはもうよくわかりましぇん。

|

2008年12月 5日 (金)

パイプをプカプカ

Top_yellow最近またパイプに凝っている。

最初、パイプを始めたのは学生の時。部屋で横になって、くわえたばこでテレビを観ていると、いちいち灰を落とすのがめんどくさい。なんか灰の出ないたばこはないもんやろか。そうそう、パイプは灰を落とす必要ないがね、と気づいたわけである。ぼくが新しいことを始める動機は、いつも大体こんな感じである。

早速コーンパイプを買ってきて吸ってみると、なかなか具合がよろしい。灰を押さえるタンパーは、鉛筆のお尻に画鋲を刺して代用して、うん、いかにもぐうたら貧乏学生っぽくて調和的である。

十年ぐらい前には、キセルにも凝ったりした。その頃は紙巻きたばこをほとんど吸わず、キセルばかりだったんだけど、人前で吸っていると、一服するたびにいちいち「めずらしいですねえ」なんて会話になって、一服して休もうっちゅうのにかえって気疲れするんで、外で吸うのはやめてしまった。

パイプは、ちょっと一服というよりもゆっくり時間をかけて吸うんで、外で吸うことはほとんどない。それに、灰を落とさなくてもいい代わりに、キセルと同様、吸うのにちょっとした手間とコツがいるから、少しめんどくさい。それが道具を使った喫煙の楽しみといえば楽しみなんだけど、普段使いになるほどの「パイプ党」というわけでは全然ない。

普段は紙巻きを吸っているけれども、時々気が向くとパイプを吸っている程度のことで、今回もふと思い出して、キセルやらパイプやらたばこグッズが入っている手作り火鉢の引き出しから引っ張り出してきて、プカプカやっているわけである。最初のコーンパイプはデタラメな扱いですぐにだめになってしまって、今は、兄のヨーロッパ旅行のお土産と、同居人にナントカプレゼントでもらった二つを愛用している。

Photo_3

パイプは紙巻きよりも香りが豊かで、ちょっと高級品っぽい。葉っぱにお酒やバニラなんかで香りづけをしてあるタイプが多くて、ふわっと甘い匂いが広がる。でもぼくにはちょっと甘さがきつい。なるべくそういうのでないのがいいんだけど、たくさん銘柄があって、店に行っても何がなんやらようわからん。素直に店の人に聞けばいいんだろうけど、次に買いに来たときにアーダコーダと話が弾むのもめんどくさいんで、適当にエイヤッと買うと、まあ大概甘い。

ところがいまやネットの時代。調べてみると、パイプ好きの人たちが好き勝手に品評会をしてくれているし、こだわりのたばこ屋さんも味の簡単な紹介をしてくれている。すると、どうやら甘い香りづけをしてあるのはアメリカタイプだそうで、あまり香りづけをしてないのがイギリスタイプで、その中間がヨーロッパタイプなんだそうな。って、こんなことは前に読んだ本にも書いてあったっけかな。

というわけで、イギリスタイプのを買ってきた。その名もダンヒルのなんとかの945。そちらの世界では定番物らしい。

すぱーっ。ぷかーっ。

ふふーん、あるがね、あるがね、こういう素直なたばこの味。あと、ヨーロッパタイプのマック・バレンのヴァージニアNo1。これはヴァージニア葉のストレートな味わいが売りなんだとか。何がどうだとどうなのかよく知らないけど、これもぼく好みの味わい。いわゆる香りづけのやつならキャプテン・ブラックっちゅうのがよろしい。これはアメリカタイプなんだそうだが、葉っぱのしっとり感がいかにもパイプっぽくてよろしいじゃないですか。

キセルはほんの一服、ニ服という感じで、時間の区切りに実に具合がよろしい。一方、パイプは時間をかけて楽しむ。パイプのボウルがほんのりあったかくなるぐらいで吸っていると、一時間ぐらいは経っている。どっかのサイトにうまいこと書いてあったけど、「火を消してしまわない程度にゆっくりとふかす」のがコツ。すると、たばこ本来の香りが口の中に広がっておいしい。

火が消えないようにせかせか急いで吸うと、煙が辛くなるわ、舌を傷めるわで、これは大変によろしくない。火を消さないように吸うのが結構難しくて、何度も火をつけ直し、つけ直ししながら吸うのが、まあ普通でしょう。いつも一時間かけなければいけないこともないわけで、放っておいて立ち消えたものにまた火をつければいいだけのこと。それで特段味が落ちるわけでない。

ぼくはいまだに上手に吸いこなせていないけれど、こういうのを覚えていく過程全体が、いかにもおっとなーな感じでよろしい。これまたどこかの本に書いてあったけど、「パイプは小さな焚き火」。空気の流れを考えながら火をうまいこと操るのは、確かに焚き火とおんなじ。焚き火が上手な人って、大人だとぼく思います。

そういえば大学の時に哲学講読で、パイプをふかしながらマックス・シェーラーの講義をする先生がおったなあ。思い返せば、当時すでに教室内は「禁煙」だったはずだけど、とやかく言う野暮天はいなかったですなあ。あの先生もいまや大学から放逐されてしまったんだろうかなあ。だとするなら残念だなあ、とっても。

Photo

パイプたばこは高級品というイメージがあるけど、勘定してみるとそんなに高くない。たばこ葉一パック九百円ぐらいが標準的な値段で、ざっと紙巻きの三箱分(ダンヒルのナントカ945はちょっと高くて千三百円)。セブンスター(三百円)を一日二箱ぐらいのぼくが、もしパイプだけを吸うとして、一パックで多分三日ぐらいもつ。実際にはセブンスターを一日に一箱、パイプが一週間で一パックぐらいのペース。イメージと違って、パイプはかなりのお値打ちなのがわかっていただけたでしょうか。

最近はたばこが高くなってきて、ちょっとお小遣いがもったいないかなあ、なんて思うんなら、ちょっとパイプを吸ってみてはいかがでしょう。初期投資も数千円のパイプと数百円のタンパーぐらいのもの。コーンパイプならもっと安い。鉛筆のお尻に画鋲を刺せばさらに安い(が、貧乏くさい)。

パイプたばこには紙巻きよりもいろんな味があって、いつもと違った時間を楽しめる。しかもお値打ち。ほっておく手はない。普段紙巻きはやらなくても、パイプを時々吸うという人もいるみたい。たばこを吸っても怒られない大人にせっかくなったんなら、ちょっと手を伸ばして、パイプをたしなんでみるのもよろしいんじゃないでしょうか。

|

2008年11月25日 (火)

主張する腰かばん

Top_yellow_2 ぼくはよく繕い物をする。服や身につけるものが破れてきたり擦り切れてきたりすると、当て布をしては、よいしょよいしょとぬいぬいしている。

繕い物だけじゃなく、丈を詰めたり、小物ぐらいなら作ったりもする。縫い物ばかりじゃなくて、電気工作や木工もしたりする。キーホルダーの金具の数が少ないんで、真鍮棒から削り出して増やしたり。

選んで身につければ、頭の先からつま先まで、ぼくの手が入っていない物がないなんてことも可能。暇と言わば言え。不器用だけど、物を作ることが嫌いじゃないだけである。

ぼくは中学、高校は地元で有名な進学校に行っていて、今だと教育委員会にバレるといけないことなんだろうけど、当時は技術家庭の授業は教科書だけもらって、こっそり他の主要教科に当てられていたりしたんで、家庭科は考えてみれば小学校で学んだだけ。半田ごても公立だと授業でやったりしたそうだけど、ぼくは適当に自分で身につけただけだなあ。砥石の使い方も誰から教わったわけでなく、本やら経験やらなんやらかんやらで身につけたし、ギターも結局独学だしなあ。偉いなあ、おれ。

それはそれとして、その小学校の家庭科の教材で使った裁縫道具の中で、赤い糸がずっとぼくの裁縫箱に残っていたんだけど、先日それをようやく使い切った。三十年越し。

腰かばん──ウエストポーチと人は言う。いにしえには腰巾着──をいつの頃からか愛用するようになって、いくつか使いまわしているんだけど、その内のひとつはジーパン生地のやつ。一応リーバイス製である。アメリカである。ぼくは一時ジーパンはリーバイスしか履かず、ヘインズの白のTシャツを着てボーン・イン・ザ・USAのアメリカ人気取りだったことがある。アメリカに魂を売った少年A。

それはそれとして、その腰かばんはリーバイス製ということで、なんて言うのあれ、ジーパンの腰の後ろにある皮のマーク、それがついている。それがもうどえらい擦り切れてしまって、皮もポロポロになって、ついに取れてしまった。皮マークの下は紺色が濃く残っていて、そのままではかっこ悪い。

ということで、それに代わる物をつけることにした。

最近はシャツでもなんでも、ズボンから出して着る若者が増えた。ああいうのは、ぼくが学生時代はいい加減な人がするカッコウで、早い話がだらしない。で、ぼくはそういう系の人間だったんで、「ほうほう、ようやく時代が俺に追いついてきたか」てなものだけど、ボタンのシャツというのは、ちゃんとズボンにしまって着るように出来ているもんだから、丈の下はちょっと丸くして長めに作ってある。あれをそのまま外に出して着るのは、さすがにだらしない。シャキンと直線になっているやつなら、外に出して着る用ということで、よろしい。だらしないおじさんとて所詮おじさんなので、丸く仕上げてあるのまで、今様の若者のように表に出して着るのには抵抗がある。

ということで、シャツの丈を何枚か直線に詰めた。その切れ端は、ジーパンの穴あき補修の当て布などに使うと非常に具合がいいので、布切れ箱に取ってある。

この前もそんな布切れをペタペタ縫い付けたジーパンを履いて、今時若者洋品店に行ったら、ハタチそこそこの店のニイチャンから、「それはどこで売っていたんですか?」と興味津々に聞かれた。「貧乏だし、破れたところを当て布しとるだけだよ。貧乏だし」。買い物に来ただけなのに、時代がおれを追っかけてきて、まったくウザいぜ。

なかなか今日の主題にたどり着かないけど、もうちょっと我慢しておくれ。

で、そうした中から赤い切れ端と白い布で日の丸を作って、皮マークのところに縫い付けることにした。ああ、ぼくってアメリカに魂を売ったようでいて、やっぱり日本人なんだなあ。

手作りなんで、既製品のようにきれいに直線や円が出せるわけではないけど、そこはそれ、手作りの味わいである。ふた昔ぐらい前までなら、そういうおかあちゃんの手作り物というのは貧乏くさくて子どもが嫌がるものであったけれども、物は言いようである。今でも子どもは嫌かもしれないけど、「手作りの味わい」が受け入れられるようになったのは、なによりかにより、かえって時代が豊かになったればこそだよなあ、と思うよね。

それはそれとして、三十年越しの赤い糸を使い切ることになりながら、一生懸命ぬいぬいして日の丸を作って、腰かばんに縫い付けた。

Photo  

♪赤地に白く~。

デザインがちょっと違うかもね。そうですね、今の日本、ひっくり返したいぐらいに腐った国ですもんね。新国旗の提案。

「国旗はやっぱりいるよねえ」という俗情に抗し切れない左翼の人よ。国民の皆さまにこの旗の下に集まってもらうようにしたらどうでしょう?

右翼の人よ。標的はぼくの腰の辺りですよ。

|

2008年11月 5日 (水)

強調路線

Top_blue_2文章で、ある語句を強調するときの書き方には色々とある。「かぎ括弧」や“ヒゲ括弧”だったり下線をひいたり太字斜体字にしたり。ぼくの場合は「かぎ括弧」ですることが多いかな。

以前、どこの何のサイトだったかを見ていたら、ちょっとしたキーワードにことごとく「かぎ括弧」をつけている文章を見かけたことがあった。「書き手」がここはぜひ「ポイント」としておさえておいてくださいと思っただろう「部分」に、もうそれは「偏執的」といおうか、もう「あれも」「これも」と「ことごとく」「かぎ括弧」なんである。その「おかげ」で「かぎ括弧」の「強調効果」がまったくの「台無し」。これは新たな「字数稼ぎ」の「技法」かと思ったけど、おそらく「自発的」に書かれた「ネット上の文章」だから、「そう」ではあるまい。「プロの編集者」の「目」を通ってきた「一般的」な「紙の媒体」ではまず見かけることのなかった「シロートまるだし」、「圧倒的なシロート風情」を漂わせる「文章」で、ぼくは、「おお、なんて『ネット』って『自由』なんだ。これはもしかしたら新たな『文体』の『出現か』」と、むしろ「ワクワク気分」になってしまったものである。

そういえば、かつて、長いこと、『日刊ゲンダイ』で、連載していた、官能小説家、宇能鴻一郎。彼は、かぎ括弧じゃなくて、読点を、打ちまくり。あれも、また、読点を、無効にする、そんな、使い方で、読むたびに、ビックリしちゃって、アタシ。

とかかんとか、かく言うぼくも、あまり気合いを入れずに文章を書いていると、結構かぎ括弧がついている。下書きを見直すときのぼくの大事な作業のひとつは無駄なかぎ括弧はずしなんで、あんまり人のことをおちょくっている場合ではない。

文章を書くというのは、読者に「これはぜひにも」と思うことを書くわけである。たとえば随筆なんかで、「散歩をしていたら道端に白い花が咲いていた」と書いたとする。道端には白い花ばかりでなく、タバコの吸殻が落ちていたり、ガムがへばりついていたり、犬のうんこがほったらかしになっていたりする中で、白い花を取り上げて書く。塀の上に捨て置かれたペットボトルや軒先の樋ではなく、道端の白い花について書く。筆に随って徒然なるままによしなしごとを書いてみたところで、百ある事実の中からある事柄を抜き出している。

発話行為自体がひとつの強調である。ところが書き手は話を始めると、その話題を持ってきたことによる強調だけでは物足りず、自分の思っていることの強調をメッタヤタラとしてしまう。

かぎ括弧の類いばかりではなく、話題を示す助詞の「は」を多用するのも同じ心理の結果だ。「この話はここだけはぜひとも注目」ってな感じ。これが連続すると読み手は何に注目すればいいか見失う。「は」の使用は基本的には一文の中ではなるべく一回にするのが文章の書き方としてはよい。「は」が続くと、筆者はどこを強調したいのかが読み手にはわかりにくく、多くの場合には読みにくい文章にはなるのではないかとは思うわ。この助詞「は」の適切な語句への変更も、ぼくの原稿見直しの大事な作業である。

ある事象からある意味を取り出して言語化したものがつまり一つひとつの言葉なのだから、そもそも言葉は意味がインフレ化した状態である。そのうえ、言葉は発せられたと同時に意味の陳腐化が始まる。そこで、さらなる強調がなされ、新たな表現が求められる。言葉はインフレ化する宿命を持っている。上級では飽き足らず、上級は高級となり最高級となって、特上、最特上、超最特上、超々最高級特上・・・と延々繰り返される。

言葉を使って書く以上、文章はもともと意味過剰の世界であり、そこに強調まで加われば意味過剰はさらに倍。その話題に初めて触れる読者は「はあはあ、そうですか」と辟易としてしまう。

自分の文章を読み直していてよく思うのは、ぼくの文章は実にインフレ傾向が強く、まったくもって意味過剰に溺れとるよねえ、くどいよねえ、この人、デノミしなくちゃねえ、と今日のさとちゃんの自己診断の巻でした。おしまい。

|

2008年10月25日 (土)

眼精疲労ではありませんでした

Top_blue以前、眼鏡のレンズを入れ替えた際に眼鏡屋から、「眼精疲労かもしれませんが、もしかしたら老眼かもしれませんね」と言われたという記事を書いた。

百円ショップに行ってあらためてサンプルの老眼鏡をかけてみると、あれま、非常に具合がいい。手もとの小さい字がクッキリハッキリよく見える。

おやおや、老眼ですかい。

一番低い度数で十分だけど、ぼくもそろそろそういうお年頃なのね。それからというもの、百円ショップに行って老眼鏡をかけては「フムフム、よく見える」と感心していた。それにしても百円ショップはなんでも売っているね。それも感心、感心。

そんなある日のこと。家で爪を切ろうとしたら、爪が軽くぼやけている。確かにその日は、ちょっとていねいに手入れをしようと、いつもよりも近くに手を持ってきていた。普段通りの距離にしたら特段ぼやけることはない。

ほうほう、これはもう眼精疲労なんかではなく、確実に老眼じゃないですかい。よしよし、わかった。

というわけで、このあいだ百円ショップに行った時に老眼鏡を買ってきましたよ。レンズが縦1センチ横3センチぐらいの、いかにもおじいちゃんみたいなやつ。ケース付きで携帯にもばっちり。どうせ百円なんだし、ちゃうちゃう百五円なんだし銭失いというほどのこともあるまい。

最近はあんまりやってないけど、電気工作で抵抗やコンデンサーなんかの細かい部品を見るときにもきっと役立つであろう。新聞とかの細かい字にはまだいらないけど。

老眼鏡のパッケージの裏には度数の目安表が書いてあって、「41~46歳=1.0度、46~50歳=1.5度・・・」とある。おお、ぴったり。昭和四十二年生まれ、数え年で四十二歳の厄年、シニシニかぶりのぼくは、これで痛風、薄毛、高脂血症に加えて老眼の役四つで見事に満貫、中年ツモである。親じゃないから八千点。ヨンニィの四千、二千でよろしくお願いします。あっ、またヨンニィで「シニシニシニ」と三つかぶりました。

手の節と節を合わせて不幸せ、な~む~。

てなことを書いていたら、今日の分の尿酸値を下げる薬を飲むの忘れとったわ。いかんがや。次の役は物忘れだね。

|

2008年10月 5日 (日)

おさかな育成記

Top_redさて、今日は「おさかな育成記」の話です。

八月の初頭に突然思い立ち、近所の鴨川で魚を掬ってきた。近所の百円ショップでタモが売っていたのもきっかけのひとつだったけど、学生時代にさかなを川で掬ってきて金魚鉢で育てたことがあって、それをふと思い出して、いざ川へ行かん、と相成ったわけである。

掬いに行ったのは結局一度だけではなかったので釣果、ちゃうちゃう、掬果(なんて読もう?)は何回か合わせてのものになるけど、今いるものをざっと勘定すると次のようになる。

カワムツ=約30、ヨシノボリ=約6、エビ(おそらくミナミヌマエビ)=約10(プラス数十匹)、メダカ=約7、コイ=1、サカマキガイ=3。

これをちっちゃい水槽「わたしの楽園プチ」というのとちび金魚鉢とに分けて飼っている。ちび金魚鉢にはメダカ=2、エビ=5、ヨシノボリ=2を入れて、たまにエサと差し水をする以外ほったらかし。これでどこまで持つかわからないけど、ほぼバランスドアクアリウム状態である。この数字は累々の犠牲の上に得られたものである。合掌。でも、多分まだ多すぎる。事前に合掌。

「わたしの楽園プチ」というのは、酸素ブクブク付きのコンパクトな水槽である。一番最初に魚を掬ってきた時、ちび金魚鉢にどばーっとおさかなたちを入れたら、見事にあれよあれよと逝ってしまい、こりゃいかん、とあらためて買ってきた。さすが酸素ブクブク付き、さかなが酸欠で調子をくずすことはなくなった。

ただし、混泳させるには不具合のある魚種がいることがわかった。それはコイとエビ。

Photo_3エビは水際の草のしげみにタモを突っ込んでガサガサ揺すってやると大量に採れる。それをコイと一緒に入れてわかったのは、コイはどうもエビが大好物である。ぼくもエビちゃんはとてもお気に入りであるけれども、 それにしてもコイのエビちゃん好きは過剰である。隙あらばいつでも襲いかかる。エビちゃんピーンチッ! こんなに堂々とエビちゃんに襲いかかれるなんて、うらやましいよ、コイ。

さっきからコイ、コイと書いているが、このコイは最初5センチにも満たない「フナ」だった。それがエビを食べまくり、ぐんぐん大きくなり、「なんか、おかしい」と思ってよく見ると、口元にヒゲが。コイとフナの幼魚の見分けかたは、ほぼ口元のヒゲだけだそうである。フナなら大きくなっても15センチぐらいだからと安心していたのだけど、コイならあなた、大きくなれば一メートル級である。伊東に行くならハトヤ級である。

もう一度口元をよく見てみる。ああ、やっぱりコイだ。

それからも日々コイは悪食を繰り返し、食べ残したエサもしばらくするときれいに食べ尽くして、調子よく成長している。上記の「エビ=約10(プラス数十匹)」のプラス数十匹も、早い話がバケツで別飼いの生餌である。

話は少しそれるけど、最近、「エサをやる」ことを御丁寧にも「エサをあげる」と言う人が増えてきた。植木や花に水をやるのも「水をあげる」などと言う。そう言う人っていうのは、「エサやり」「水やり」を「エサあげ」「水あげ」なんて言うのかね。「○○してやる」と言うのはそんなに品ない言葉なんかね。

テレビや雑誌なんかで、「睡眠障害の治療には朝起きてあげることが重要」とか、「太い音を出すにはアンプでベースのつまみを大きくしてあげよう」なんてのをやけに見聞きする。「起きてあげることが重要」の方にいたっては、誰のための何の治療か意味も変だし、もうなにがなんだか。

さらに話はそれるが、仕事上で直接の取引や関係があるわけでもない人が、店や会社の名前に「さん」をつけるのも、なんか聞いていて気持ち悪い。報道番組やワイドショーでコメンテーターが「ソニーさんが・・・」とか「ローソンさんが・・・」とか、アホかっちゅうの。

バカ丁寧っちゅうのかなんちゅうのか、こういうのは、「わたしはあなたの敵でないですよ~。人にもペットにもお花にもボリュームつまみにも、みんなみんな上も下もないんですよ~」と、他者との摩擦を極力避けるべく、予防線張りまくりの心理の表われなんだろうけど、実に気づかいあるお上品な人が増えてきました。

さてさて、話を戻す。

エビはもともと半透明に近い白色だけども、恐怖にさらされていると色が茶色くなってくるそうだ。仲間が次々と襲撃されるのを横目で見ながら生き残っているエビたちは、もう黒に近いぐらいの茶色になりながら石の陰に隠れてひっそりとしている。

同居人はある時、あまりのコイの襲撃っぷりを見かねてコイを一匹だけバケツに隔離してしまった。それを見てぼくが「懲罰反対っ!反対っ!」とシュプレヒコールをあげてうるさくしたんで、また「わたしの楽園」に戻ることになった。エビは再び「自然淘汰」にさらされているけど、こうなると、「わたしの楽園プチ」は「鯉の楽園グランデ」である。

今やコイは、横幅が20センチにも満たない「わたしの楽園プチ」の約5分の2ほどにまでなっている。同居人でなくても、これではコイにちょっと手狭な気がする。

うむむ・・・。

再来月あたりから我が家の風呂桶はコイに乗っ取られていることになるであろう。さらにその先には我が家でナベを催したいと算段している。ちょうどその頃には今年漬けた梅酒もいい具合になっていることでしょう。いずれ食物連鎖の頂点にぼくが立つ。

Photo_2

水草は金魚鉢を買った時についでに買ったものだけだったけど、水草って川に結構生えてるのね。どう見ても外来種なものばっかりだけど、それを引っこ抜いてきて、小石に糸でくくりつけて底砂に植えてカッコウをつけた。

砂も川底からいただいてきて、フルイにかけて大きさを揃えて底に敷いた。よく見るとガラスの破片が結構な量混ざっている。砂を洗う時には軍手をはめてやらないと危ないですね。鴨川は都市河川の中では比較的きれいだと思うけど、自然というにはやっぱり程遠い。

そうそう、何回か掬いに行っていて、ある時ヌートリアを見かけた。街中のほうで見たという話は聞いていたけど、ぼくが見たのはそこから何キロか下流のあたり。こちらの川岸からあちらへ顔を出してヌーと泳いでいった。もしあれがヌートリアでなければカワウソだけど、フツーに考えればやっぱりあれはヌートリアだよね。外来種が増えているといっても、ちょっとびっくりした。今回掬ってきたおさかなたちも元々の天然物はカワムツとエビぐらいのもんだろうから、今さらなにがどうということないかもしれないけど。ヌートリアかあ。

ネット上の本格的な人たちから見たら、ぼくのやっていることはさかなの虐待に近い。「こんなにちっちゃい水槽に何匹飼っとるんだ」っちゅう話である。でもそれはネットで人と比較してみた話。ぼくの気分にしてみれば、夏の少年のさかなとりの気分である。小学生のとき、友だちと近くの田んぼや用水路に行って、勢いにまかせてザリガニを二百匹ぐらい釣ってきて、その後続々と死んでって腐臭に泣いたことがあるけど、そんなことを思い出す。いろんなものにまとめて合掌。

今、「おさかな育成記」は、その大きさと成長の速さが目立つだけにコイ中心だけど、いずれはこのコイもぼくの胃の中へ。で、この水槽のホントの主役は、風情がかわいいかわいいヨシノボリ、我が家での愛称ハゼドンである。普段は石の陰に隠れていることが多いけど、時々外に出てきてはたそがれている。そのたそがれ具合がなんか人間くさくて「さかな離れ」している。ヨシノボリも何匹か死んでしまったけど、悪食のコイがその死体に口をつけようともしない様子からして、どうも肉身もまずそうだし、ぼくも食べることはなかろう。そもそも食べるにはちっちゃいし。

そうそう、数が多くて一匹一匹のキャラ立ちが弱いカワムツたち。これはいい具合に育ったら塩焼きでいただきたいところである。

おさかなちゃんたちがうまいこと成長して、いずれぼくが食物連鎖の頂点に立ち、水槽の中が今よりも寂しくなってきたら、水槽の上段と中段はメダカ担当、水底はハゼドンがなごましてくれることになると思う。その時には、生き残ったエビもエビちゃんみたいに色白に戻って、安心して暮らしてね。

2_2 エビちゃん、かわいいわあheart04

  

  

  

  

てなことを下書きした翌日、水槽を見るとどうもコイはエビのみならず、メダカやちびカワムツまで食っているらしいことが判明。夜の間に数が減っとる!

さとちゃん、大怒り! メダカはまだしも、カワムツまで食うとは! おれのおやつを取るな!

すぐさまコイを「鯉の楽園グランデ」から取り出して、以前冷凍物をもらった時の発泡スチロールの箱に強制隔離したった。そこで水草にからまりながらおとなしく泥水すすっとけっ!

なんか、「おさかな育成期」というよりは「おさかな養殖記」という感じですね。

|

2008年9月 5日 (金)

予定は未定

Top_blueお盆が終わって、めちゃめちゃな暑さも峠は過ぎました。

ほんとうならば当ブログ『ごび刊 徒ら草』は今日で夏休みを終えて、再び「ごび」、つまり五のつく日にアホになって記事を書いていく予定になっていたわけですが、なんや、お盆が終わってもちょっちょこ、ちょっちょこと寺の用事が入るし、先月末の大雨の時もちょうど名古屋におったんだけど、家が窓からの雨漏りで部屋半分が水浸しになって、夜中の十二時過ぎからてんやわんやのおおわらわ。それから二、三日は部屋の片づけやら、なんやらかんやら、あれやこれやで、なんか知らんけど忙しい。

ぼくには珍しくこの先も何かと用事があるんで、ぼくの目論見としては、今月初めにまとめて何本か記事を書いといて、ふた月分ぐらいお茶を濁そうと思っていたんだけど、そうは問屋が卸してくれなかった。

というわけで、もうしばらく夏休みを延長します。

二年前の夏休み明けは、お盆直前に父が死んで秋に葬儀をしたんで、まじブログどころではなかった。今回はそんな深刻な話ではないからまあいいとしても、「予定は未定」、この言葉が身に沁みます。

人の死なんかは「予定は未定」の最たるもののひとつだと思うけど、寺だと人の死は普通の人なんかよりはずっと身近にある。寺の人間にとってドタキャンなんていたって普通のことです。

今の気持ちとしては、月末にブログを再開したいと思っているけど、でもね、予定は未定ですから。おほほ。

 

唐突ですが、お盆前に近くの鴨川で掬ってきたお魚たちのショットをお届けします。

Photo

中身は、鯉、カワムツ、ヨシノボリ、めだか、スジエビ、逆巻貝、総勢数十匹です。多すぎ、ぎゅうぎゅう、超過密。ちび水槽に見合った適正数になるまでただいま調整中(≒淘汰中)。育成日記もいずれブログに書きましょう。

|

2008年7月25日 (金)

ちくわの包装

Top_blueまた暑い夏がやってきた。毎年のことながら、お盆はお寺にとって大変に忙しい季節である。というわけで夏のあいだ、このブログもしばらく夏休みにします。次回の投稿は今の気持ち的には九月五日と思っています。実際にどうなるかはその時になるまでわからへんけど。

さて、今季最後の記事はちくわの話を。

石油の高騰をうけた物価高で練り物も値上がりするとかかんとか、ちくわもその影響をまぬがれ得ないそうだけど、そんな小難しい話を書こうというわけではない。今回はちくわの包装のしかたの話である。

ちくわはスーパーで正方形の袋に五本入りで売られている物が多い。高級品だと太いのが二本入りというのもあるけど、普段使いのだと、まあ五本入りが標準だろう。親子四人暮らしとかになればいっぺんに全部使うだろうけど、ウチのような二人暮しだとおでんでもしない限り、いっぺんに使い切ることはあまりない。

となると、袋を開封してちくわを二、三本取り出してまた冷蔵庫にしまうことになる。その際、開け口がしっかりと閉じられないので、ともすると次に使うときに、開け口のほうのちくわの端っこが乾いてカピカピになってしまうことがある。ちくわの包装のしかたが、袋の開け口に対して縦に五本入れてあるのでそういうことになる。

そこでぼくは思ったわけである。開け口に対して横向きにちくわを包装すればよいのではないかと。そうすれば、使い切らずに残っても、取り出した二、三本分のところをクルクルと巻いて輪ゴムをすることができる。これだと残ったちくわが乾きにくい。ちくわは最初から横向きに包装して売っていただくとよろしいかと思われる。

Photo

ちくわを縦から横にしたところで取り立てて不都合があるとも思えない。もし、ちくわ業者や包装機械製造業者のかたがこの駄文を見かけしましたら、どうかご一考ください。

ぼくがちくわ工場の社長さんなら今日からでも縦から横に包み直したいところであるが、残念ながらぼくはお坊さんである。これから忙しい夏に向かって、モリモリとちくわを食べて鋭気を養うだけである。おいしいね、ちくわ。

 

 

次回の記事掲載は九月五日の予定。

|

2008年7月15日 (火)

あなた色

Top_blue以前使っていた携帯は、表側の表示部分が使っていないときに鏡様になっていて、これが案外便利だった。

一年ほど前、ツーカーからauに乗り換えることになった時、電話屋の店員から
「ワンセグなんかはどうですか」
と言われた。
「いやいや、そんなものよりも、表が鏡みたいになっているのはありませんかね? ぼくはテレビなんかよりも、自分の顔を見ていることのほうがきっと長いでしょうからねえ、ほっほっほっ」
と、アイラブミー全開に答えて、機種を探してみたけど、ツーカーにはあったのにauにはそんなのがなかった。で、しかたなしに一番薄いやつにした。

というわけで、今は携帯電話に百円ショップで買ってきたシール式の鏡シートを張っている。本物の鏡ほど鮮明ではないにしても、外でちょっと使う分にはなんの支障もない。百円ショップってすごいね。なんでもあるね。

なんて思っていたんだけど、最近こんなことを思ったわけである。つまり、使ってないときの待ち受け画面が鏡になっていたら、これは便利なんではないか、と。ガラスをマジックミラーにすればできそうだし。もしかしたら、そういうのはすでにあるのかもしれない。

いやいや、マジックミラーを使うまでもなく、一面銀色の壁紙があればもっと手軽でいいんではないか。これをダウンロードすれば、どんな機種でも待ち受け画面が鏡になる。自意識過剰な若者や自分大好き人間に大ウケ間違いなし。

「おお、これは名案!」とひざをたたいて、ふと思う。

「ところで、銀色ってどんな色なの?」

Photo 「一面銀世界の雪景色」なんて言うからといって、銀色は白ではない。色を確かめようと鏡に近づいてじっと見てみても、大好きな自分の顔の肌の色やかわいいお目めの黒目や白目しか見えない。まったくもって銀色というのは、「あなた色に染まります」と白無垢の衣装を着ているハナヨメ以上に「あなた色」に染まってしまう。

銀色には色がない。自分独自の色を持たぬ「あなた色」という色なのである。鏡をスキャナーに置いて色を取り込もうにも、読み取りの機械部分が写るだけである。写真を撮ろうにも、カメラを構えるぼくの姿が収まるだけである。ああ、なんと自分を持たぬ情けないやつなのであろう、銀色というやつは。こんなことでは壁紙を作れぬではないか。

黒はすべての色を吸収し、白はすべての色を反射するから、それぞれがあの黒と白なんだそうである。赤や青や緑も、物体がその色を反射するから赤や青や緑に見えていると。となるとですよ、銀色にはすべてを反射する白とも違う、それ独特の光の反射のしかたがあるんだろうなあ。どんな加減があって銀色はあなた色になるのか、そこのところを色博士もしくは光学先生に教えを乞いたいところである。

そうそう、銀色を絵で描くとするなら灰色っぽい色で表現することが多いと思うけど、よく考えればこれも不思議な話である。われわれはなにゆえ、なに色でもない「あなた色」を銀色と認識し、かつ、それを灰色っぽいあの「銀色」として認識するのであろうか。そこのところを脳博士あるいは認知学先生に教えを乞いたいところである。

などとガタガタ言っとらんと、百円ショップで鏡シールを買ってきてペタッと張れば、携帯鏡はあっという間にできあがり。自意識過剰の自分大好き人間はこれでご満悦である。

|

2008年6月25日 (水)

小太りな料理の先生

Top_blueNHKの料理番組を見ていたら、その日の料理の先生はちょっと小太りの先生であった。

アシスタントの紹介によると、食べ盛りの子どもが四人いるという。「うーん、先生、あなたもまだ食べ盛りですか」と画面に思わず突っ込みを入れてしまったけど、ぼくはそんな茶々を入れながら、その先生になんとなく親しみを持ってしまった。

というのも、直前まで、『ためしてガッテン』で焼きそばの焼きかたのどうでもいいコツを延々とやっているのをイライラして見ていたんだけど、今日の料理のメニューは食べ盛りの子どもを持つ親らしい、ドカーンと大盛りなお好み焼きや特大大皿グラタン。それをぽっちゃり姿の先生が作るわけだから、「おいしく作って、モリモリ食べましょう」と言わんばかりなんである。

ぼくはしみじみ思ったのである。料理の先生は体型を気にして食事を制限するようなタイプではなく、いかにもおいしいものをパクパク食べているような人が良いということを。

ふっくらした姿は、食べ盛りの子どもに視線が向いていると感じるからなのか、高級料理よりも日々の食事を大事にしているように感じるのである。実際、番組で先生は『ためしてガッテン』のような細かいことも言わず、ちゃっちゃかと大皿料理を仕上げていって、見ていても安心なのであった。

うんうん、これならおれも作れそうだぜ。

 

おんなじようなことが医者にも言える。

今の世の中、医者の人となりを判断するのに、タバコを吸うというのはぼくにとってそれだけでもう安心材料である。「この医者は健康のためだけに生きている人ではない」という安心感が持てる。治療のためだからと無茶な食事制限を指導されても、気軽に小言が言えるというもんだ。病院に来るほどに不健康な生きかたをする人の気持ちを少しは理解してくれよう。二人の医者がいるとして、力量が同じならば、タバコを吸う医者のほうをぼくは選ぶ。

愛煙家だった漫画家のはらたいらはガンがわかって死を迎える際に、その病院では病室でタバコが吸えるというんでそこを選んだんだとか。ぼくもできればかくありたい。死に際まで、健康のために禁煙を強要されたくはないもんね。

そんな病院作りをする医者というのが、ほんとの医者なんだと思う。そういう医者が必ずしも喫煙者である必要はもちろんないけど、タバコを一服する姿を見れば、その医師が健康至上主義者、原理主義者でないのは一目瞭然だ。

以前、病院に行ったとき、帰ろうと自転車の鍵をカチャカチャしていたら、さっき診てもらった先生が休憩時間になったのか、正面玄関から出てきてタバコに一服火をつけたかと思うと、通用口のほうへプカプカしながら歩いていった。ぼくはその姿を見ながら、無口な若いその医者に急に親近感を覚えたもんである。

 

折り目正しく、背筋の伸びた健康さや健全さよりも、不健康、不健全にはずっとずっと生活の匂いがする。ぼくにはそちらのほうが気安くてよろしい。

|

2008年6月15日 (日)

かぶりもの

Top_blue同居人とは仲がいい。気が合うとでも言いましょうか。なにより、それぞれが勝手に買い物に行くと、買ってくる物がかぶることが多い。

ニンニク5個入りのネットが2つ、あぶらげ大判2枚、ナス3本入り2袋、ピーマン5個入り2袋、魚肉ソーセージ5本入り3袋(ぼくが2袋購入)・・・・・・。これらが突然我が家の台所に揃う。ちっちゃい冷蔵庫と野菜かごは、一気に物であふれかえってしまう。

前回トイレットペーパーを買ったときもそうであった。「なくなってきたなあ、そろそろ買い置きを」と思って買い物に行ったら、その日、同居人もトイレットペーパーを買って、仕事から帰ってきた。ぼくが18ロール、同居人が12ロール、締めて30ロール。貧困系二人暮しの家庭としては過分の買い置きである。

あまりの多さに、ぼくは写真を撮ってしまいました。2枚の写真をつなげてのパノラマ式。

Photo_2

撮った日付は昨年の2007年12月12日。このたび、それがようやくなくなってきた。都合ざっと半年。

となれば、我が家では日々どれだけトイレットペーパーを使っているのか、計算したくなるのが人情というもの。計算してみました。

6ヶ月 : 30個
    ↓
1ヵ月 : 5個
    ↓
30日 : 5個
    ↓
6日  : 1個
    ↓
1個の長さは各種銘柄60~50メートルなので、平均55メートルとして
6日  : 55メートル
    ↓
1日  : 約9.2メートル
    ↓
1人  : 約4.6メートル

というわけで、1日あたり1人4~5メートルという計算結果になりました。案外長いね(ウォシュレットスタイルの場合。男女の使用量の差は除外)。はあ、すっきり。

と、思ったのもつかの間。

な、な、なんと! 今日トイレットペーパーを買いにいったら、同居人もまたトイレットペーパーを買ってきた! 今回は同じ銘柄で12ロール×2つ。半年振りの買い足しなのに、2回連続のトイレットペーパーかぶり買い。気が合うね!

前回の30ロールには6個足りないけど、貧困系二人暮しの家庭には、やはり過分の買い置きである。

|

2008年5月25日 (日)

トラ刈りなんですけど

Top_blue頭を剃るようになってもう何年たつだろうか。すっかり坊主頭の姿になじんでしまった。

知り合った人と話をしていて、ぼくがお坊さんだということがわかると、「ああ、だから頭を丸めてるんですね」なんていう話になることが多い。会話とはそういう風に進むものだから、それはそれでどうということではないけれども、ぼくが剃髪するようになったのは、なにもぼくがお坊さんだからというわけではない。髪の毛が一部不均衡な生えかたをするようになって、それを人は薄毛とかハゲとか言うが、そういうことをいちいち人に言われるのもめんどくさいし、どうかすれば、毛のことについてなにか触れてはならないような遠慮がちな会話になるので、「いっそのこと剃ってしまおう」と剃り始めたのである。いわゆるひとつのハゲ隠し。「逃げる時には人混みに逃げろ」と同じ理屈である。

どうでしょう、二週間に一度ぐらいの間隔で剃っているのかなあ。そんな感じなんだけど、腰のない弱々しい猫毛になってきたとはいえ、二週間も伸びるといきなり三枚歯のカミソリでは剃れないので、ひとまずバリカンで一番短く刈り上げる。それから、ソリソリ~、ソリソリ~とやっていくわけである。

時々「ソリソリ~」を省略して、刈り上げておしまいにすることもある。ただ、バリカンで刈り上げただけだと、相当慎重にやっても、直接見えない頭の後ろなんかは手探りでやるから、風呂上りに頭をふきふきする時に刈り残し部分が見つかることが少なくない。剃るほうのがスベスベとジョリジョリの差がはっきりしている分、むしろ失敗が少ない。だから、いつもはザッと刈って、それからていねいに剃りあげることのほうが多い。

この前、久しぶりに刈り上げておしまいにしてみた。久しぶりだったから相当気合を入れて、バリカンを縦目、横目、斜め、縦横無尽に走らせてていねいに刈り上げた。

つもりだったのが、風呂から上がってテレビを見ながら後頭部あたりを手でスリスリしていたら、「んっんっんっ、トラ刈りになっとるなあ。やっぱりバリカンだけでおしまいにするのは難しいなあ」なんて思ったわけである。

で、同居人に頭頂部の後ろあたりを指差しながら、
「なあなあ、この辺トラ刈りになっとらへん?」
と聞いた。すると、同居人は、
「・・・・・・」
と、ぼくの頭をスリスリしながら黙っている。

「どしたん? トラ刈りになっとらへんの?」
「なっ、なってへんよ。ちゃ、ちゃんと刈れてるで・・・・・・」
「あれっ、そう? なんかこの辺トラ刈りっぽいんだけど。よく見てみて」
「ちゃんと、見てるで」
「なあ、トラ刈りになってるやろ? よく見てみて!」
「・・・・・・。悲しいお知らせがあります。このあたりは刈りかたが不揃いなんじゃなくて、毛の生えかたそのものが均等じゃないのです。残念です」
「そんなことないもん、トラ刈りだもん!」
「!!! なんやったら、合わせ鏡で見てみるか?」
「い、いや、そ、それは、こわい・・・・・・」

ふーむ、そうかあ。そうなのかあ。トラ刈りじゃないのかあ。それは残念なことだなあ。

|

2008年5月15日 (木)

くり返ししゃべります

Top_yellow 最近、ぼくは酒を飲むととてもおしゃべりになった。

こういうことを言うと、友だちから「前からそうでないか!」と必ずつっこまれる。そうそう、確かにその通りです。だけど、その度合いが最近一層ひどくなってきたんでないかと思うようになってきたのである。

かてて加えて、人の話を聞かんと自分の話ばかりをするようにもなってきた。

こういうことを言うと、友だちから「前からそうでないか!」と必ずつっこまれる。そうそう、確かにその通りです。だけど、その度合いが最近一層ひどくなってきたんでないかと思うようになってきたのである。

同じ話を何度もくり返すのも増えてきた感じがするなあ。同じ話題を何度もくり返すだけでなく、
「つまりさあ、おれはさこうこうこう思うわけなのね。で、つまりはおれはこうこうこう思うわけなのよ。だってさあ、おれはこうこうこう思うわけでさあ」
などと、ただ単に「おれはこうこうこう思う」と同じことを重ねているだけなんてのもしばしば。

ちょっと迷惑かも。いや、だいぶ迷惑かも。いや、めちゃ迷惑かも。

飲んだ翌日に、「うはー、きのうはようしゃべったわあ」と、昨夜のことを思い出そうとしても、半分も思い出せたら御の字。むしろ楽しかったと思う時ほど、思い出せる量は少ないのだから、なにか無駄な気がしないでもない。

おしゃべりな人というのにもいろいろあると思うけど、ぼくの場合、話題がなくてその場がシーンとしていてもかまわないし、おしゃべりといっても、自分の興味あることしかしゃべらないから、だらだらとどうでもいいことをしゃべり続けるなんてことはできない。その場での話がぼくの興味や知っていることに少しでも引っかかったりするもんだから、「聞け聴けきけーっ!」としゃべり始めて、さらに我田引水、自分の陣地に引きずり込むわけである。もし、その場がぼくの興味ないことで会話が進んでいれば、ぼくはその会話に参加してなくてもいっこうに平気である。ただ、つまらーん、という顔をしてぼうっとしているか、他ごとを考えているだけである。聞き上手というのにぼくはまったく当てはまらない。

檀家さんのところに月参りでお経に行くと、お経のあとお茶をすすりながら世間話をする。子どもの頃から年寄りに囲まれて育っているので、そういう時の会話は手なれたものである。そういう時はもう少し聞き上手になれるのである。相手のおばあちゃんやおじいちゃんが少しぐらいボケかかってきても、平気の平左で話を聞いていられる。ボケてきたとはいわなくても、年をとってくれば人はみんなくり返し同じ話をするもの。何度でも、はあ、そうですか、と相槌を打つ。

昔の話を昔の人から生で聞くのはもともと嫌いじゃないし、そういう機会が多いのはもしかしたら坊さんの特権かもしれない、ぐらいのことも時々思う。それに、こっちも若い頃とは違ってだんだん記憶力が弱ってきているから、二度、三度聞いたぐらいでは忘れてしまって、フリをしなくても初めて聞いているようにその話が聞けるようになってきているんで、これは実に都合がいい。

年寄りが同じことを繰り言のようにしゃべるのは、その話がたとえ人にはたいしたことじゃないことだとしても、きっとそのことはその人にとってとても大事だと思っていることなんだろうと思う。心に深く刻まれたなにか。

もう死んでしまったけれど、ある檀家のばあさんは、ぼくがお経を読んでいると、音もなく奥から出てきて横に座っていて、
「わたしはよう、安八郡の○○村大字○○の何番地から嫁に来たんですけど、今はこの家でちょっと厄介になっとりまして」
と、あいさつをしにきていた。後ろで嫁さんが、
「ごめんなさいねえ、この家の番地も忘れて言えんのにねえ。昔のことはよく覚えとるんだわねえ」
と申しわけなさそうにしていたけど、このばあさんにとっては、村を出て嫁に来たことが、まわりが思っているよりもずっとすごい出来事だったんだろう。

 

ぼくがボケてしまえるほど長生きできたとしたら、どんな話をくり返しくり返しすることになるんだろう。

「そんなんロックとちゃうわ。ロックっちゅうのはさあ・・・」。そんな話を介護の若い娘さんにくり返すじいさんになれたら、ぼくはうれしい。

「いかんいかん、そんなんではいつまでたっても人は幸せになれん・・・」。手当たりしだい人をつかまえては説教くさくいつも愚痴るじいさんになれたら、ぼくはうれしい。

それを少し先取りしている、酔った時のぼく。

みなさんよろしくね。

そうそう。ぼくは最近、酒を飲むととてもおしゃべりになってきたのである。

こういうことを言うと、友だちから「前からそうでないか!」と必ずつっこまれる。そうそう、確かにその通りです。だけど、その度合いが最近一層ひどくなってきたんでないかと思うようになってきたのである。

かてて加えて、人の話を聞かんと自分の話ばかりをするようにもなってきた。

こういうことを言うと、友だちから「前からそうでないか!」と必ずつっこまれる。そうそう、確かにその通りです。だけど、その度合いが最近一層ひどくなってきたんでないかと思うようになってきたのである。

同じ話を何度もくり返すことも増えてきた感じがするなあ・・・・・・・・。

 

いかーんっ!

|

2008年4月15日 (火)

ご飯漬け

Top_yellowご飯漬けというのをやっている。漬け床にぬかなんかを使うんではなくて、ご飯を使って作る漬け物。去年の十二月頃だったかにNHKの料理番組でやっていたんで、さっそく真似てやってみた。

やり方はとても簡単。残りご飯でもなんでもいいけど、まずご飯を用意します。それに重さ10対1の量の塩をまぜまぜします。100gのご飯なら10gの塩。水で手を濡らしてまぜまぜこねこね。塩がまんべんなくまざったらこれをタッパーなどの容器に入れ、捨て漬け用に野菜の皮や端切れを漬け、二、三日してそれを取り出します。捨て漬けといってもちゃんと食べられます。それから本漬け用にお好みの野菜を漬けます。漬け上がりは物によるけど、半日から二、三日、またはそれ以上になります。

基本的にこれだけです。

漬け床のご飯は見た目だけでいうと、最初のうちは普通の白ご飯と変わらない。塩をまぜまぜしているときなんかに食いしんぼのカツオが見かけたら一口くちに入れたくなるはず。ただし、10対1の塩の量というのは尋常じゃないしょっぱさなんで、とても食えたもんじゃないけど。

ご飯が、ぬちゃ~と野菜にへばりついて取りにくいけど、ボウルに張った水でちゃんと洗い流して、おいしくいただきましょう。漬けた野菜の味も、単に塩もみしたのとあまり変わりない。

「なんじゃ、こんなもんかい」と、ここで失望してはならぬ。

二、三週間もいろいろと漬けていると、野菜の水分が出て、漬け床がとろ~んとなってくる。ぱっと見白粥のような感じ。漬け物にへばりつく漬け床のご飯も取りやすくなって、水でちゃっちゃっとやるだけですむ。このころになると、漬け物独特の発酵したにおいがふわ~んと広がるようになる。ここで「しまった、腐らした!」と思ってはいけない。これはまぎれもないあの漬け物独特のにおい。こうなると俄然漬け物を漬けている感が深まってくる。タッパーのふたを開けるたびに、台所で一人盛り上がってしまう。

と、ここまでがほんとうの最初の仕込み段階ぐらいだと思えばよろしい。「漬け物はゆっくり作る料理」と思えば、半日コトコト煮込んだスープなんてあくびをしている間にできあがる手みじか料理だ。

気を遣うところがあるとすれば、暖かいところにおいておくと発酵が進みすぎるんで、冷蔵庫に入れておくとゆっくりした発酵で初心者にはよろしいんじゃないでしょうか、と料理番組のおばあちゃん先生は言っていました。ぼくは冬に始めたんで、台所が寒くて冷蔵庫に入れる必要もなかったけど、そろそろ入れないといけないかも。

あと、漬け床が減ってきたら、10対1の塩ご飯を足していく、と。このあたりで、もっとしょっぱいのが好きな人は塩を多めにするなど、自分好みの塩加減をしてみてください。

漬け床がちゃんと発酵してきた以降の味はまさに漬け物。新鮮な野菜よりしなびた野菜のほうが漬け物としてはうまい。特に大根。何日か洗濯竿に干しておいてから漬けると、ポリッポリッ、うおーっ、めっちゃ漬け物。漬け物としてありがちな野菜をいろいろと漬けてみましょう。ぼくは大根以外に、にんじん、きゅうりあたりをやっているけど、そのほかの野菜もこれから漬けていこうかと思っております。

テレビでは、漬けるのは半日ぐらいで充分と言っていた気がするけど、ぼくは二、三日漬けといたほうが好き。

味に深みを出そうと柿の皮やダシをとった昆布を入れたりしてみたけど、それがどう味に影響したかよくわからず。

なんせこういうものは「適当」が身上でありましょう。今や、漬け物タッパーを置いとくのに最適な「冷暗所」も、冷蔵庫という強力な助っ人がいるのである。よく聞く「ぬか漬けはぬか床を毎日まぜる」なんていうようなこともあまり気にすることはない。一週間ばかりほっといても、漬け上がった野菜が取り出したハナから古漬け化しているぐらいで、失敗というほどのこともない。

そうそう、ねぎ好きのぼくは、「ねぎの漬け物なぞ見たことない。漬ける!」と意気込んで漬けてみたけど、どえらいことになりました。がらぐでぐえん。

ご飯漬けをやってみて思ったのは、昔ながらの食べ物を作るのは思ったほどに大変なことでないということ。口伝えで伝わってきたようなことに、こと細かな今風のマニュアルは似合わない。たとえばご飯と塩をまぜるとき、炊き立てのご飯を用意したとして、「ひゃあ、これじゃ熱くてまぜれん」と思ったら、冷ませ、冷ませ。そのぐらいのことは言われんくても頭を使うべし。そういうことの積み重ねが「ウチの味」につながる。

これまでご飯漬けというものがなかったのは、「せっかく食べられるご飯を漬け床にするなんて! まあ奥さん、もったいない!」ということだったんだろう。けど、ぬかよりもずっと手に入れやすいご飯、しかもタッパーでやれば人数の少ない家族用にもちょうどいい量と、このご飯漬け、とても現代的な漬け物である。ご飯漬けを発明したこのおばあちゃん先生は、伝統を現代につなげる本物の伝統を守る人である。表彰。

こうして手作りの漬け物を食べていると、その素朴な味に比して、市販の漬け物がいかに調味料を使っているのかとしみじみ実感する。こういう話になると、「やっぱり手作りこそが本物の味で、一番」などと素朴な味わい信仰の告白をうけることになりがちだけど、ぼくの場合、市販品はとてもパンチがあってうまいものなんだなあと、あらためて感心するのである。まさに家庭の味と外食の味との違い。すごいぜ、化学調味料。やるぜ、味の素。

たしかに、今では素朴な味の漬け物は、なかなか味わうことができないから希少価値は高い。自分で漬けた漬け物もそれはそれでもちろんうまいんだけど、ぼかぁあのまっ黄っきいの沢庵も大好きさ。商品として考えるなら、これはもう間違いなく市販の漬け物のほうが圧勝のパンチ力だ。それでも素朴な味を味わいたければ、「伝統」を守る商品を高い金を出して買うか、自分でお安く作るかである。

たとえ作ってみて失敗したところで、ご飯約3膳分と野菜がごみになる程度のこと。ガタガタ騒ぐほどのことでもない。

ところがちゃんと養生していけば、一生物の漬け床である。塩の力、発酵の不思議さに感心、感心。そして、自分の手や台所をただよう雑菌によって、これはもう誰にも真似のできない正真正銘の「ウチの味」になる。これはブログでちょっとだけガタガタ言いたくなるほどのことである。

みなさんも気がむいたら、一度やってみられるとよろしいのじゃないでしょうか。

|

2008年3月 5日 (水)

生命線的延命

Top_yellow ぼくの手の平のしわは片仮名の「テ」にそっくりの形をしている。ゆえに、ぼくは子どもの頃、「テ」の字は手相をかたどったものだと思っていたぐらいだ。

Photo_5 ぼくの生命線はかつてとても短かった。かつて短かったというからには伸びたということだけど、それはこういうわけである。

話はさかのぼること六、七年前。左手がしびれるようになってきた。原付や自転車に乗って五分もするとハンドルを持つ手がしびれてくる。右手はなんともないんだけど、左手だけが寒さで感覚がなくなってきたような感じでしびれる。運転に支障をきたすほどではないもののなんとも違和感がある。

だけならまだいいんだけど、ギターを弾いていてもしびれてくるようになった。これも弾くのに支障をきたすほどではないものの、ギターを弾くのに左手に違和感があるのはギタリストにとって結構致命的だ。気分がのってきて「オラオラオラア」と弾いているのに手のしびれが気になってしまっては、せっかくの「オラオラオラア」の気分が萎えてくるというもの。これはいかん。

最初はハンドルを握る手がしびれるのとギターを弾く時のしびれとは、それぞれの時にそれぞれ別個で「なんかしびれるなあ」と思っていたんだけど、そうなるようになって二、三年たったある日ある時に「これはもしかして、手がおかしいのか?」とピピンとつながった。

ということで医者に相談した。精密検査で手への刺激の反射試験をしたりした結果、「手根管ナンタラ」という診断をうけた。手首を通る神経を包む鞘が狭まって神経を圧迫しているのだという。手をよく使う料理人や裁縫を仕事にしている人がなりやすいらしい。ひどくなると、しびれが進んで物が持てなくなったり痛みが出てくるようになるという。そういう意味ではぼくのはまだ軽い症状だ。手に無理をしないようにしていればそれ以上症状は進まないものの、ほっといてもよくなることはないそうだ。

この先生もギターを弾くというのを知っていたんで、ギターを弾くときに違和感があって困る旨を話したら、「だったら手術しましょうか?」ということになった。神経を包む鞘を切開して圧迫を開放するんだそうな。メスで切開する方法と内視鏡でやる方法とがあって、メスのほうが傷口の回復に時間がかかるもののより確実な方法だという。万が一にも神経に傷をつけられたら泣けるんで、メスでサクサクしてもらうことにした。

Photo_6 メスを入れるのが手の平の運命線の下あたりから手首部分までで、治療後切開部の周辺にはどうしてもほんの少しむくみが出るという。

「手相が変わってしまうということですか?」とぼくは聞いた。

すると先生は、「そうですね、運命線にもメスが入りますし、どんな傷でもそうですが、治癒したあとは周囲が多少はれぼったくなりますから、手相は変わってしまいますね」と答えた。

「先生、ぼくの生命線はほら、めちゃくちゃ短いでしょう? で、ものの本で見たらこれは二十代半ばくらいの寿命なんですよお。生命線的に言ったらぼくはもうすでに死んでるんですよお。これ、伸びますかねえ」

「そ、それはどうですかねえ(トホホ・・・)」

てなわけで、手術をしてもらってひと月かふた月後、傷口もしっかり治った手の平をしげしげと見てみると、わおーっ、伸びた伸びた、生命線が伸びた!

Photo_7

というわけで、めでたく手のしびれが治るとともに、ぼくの生命線は伸びたのである。見たところ六十代くらいか。ぼくのように「たばこのなにが悪い」などと言ってはばからない人間が早死にすれば「ほれ見たことか」とせせら笑う人もいるんだろうが、二十代以降生命線的に余生で生きてきた人間が三十いくつにして苦もなく六十代までの寿命を生命線的に手に入れたのである。事前に微笑み返しをしておこう。

さて、ぼくが「手根管ナントカ」になったのはなんでか先生に聞いてみた。

「やっぱりギターを弾いているのが原因なんでしょうか?」

「うーん、そうかもしれませんが、あなたの生活を全部見ているわけじゃないんでねえ」

この医者はわからないことはわからないとはっきり言う人である。ぼくの軽口もさらりと聞き流す人である。この医者は間違いなく名医である。

医者にはギターが原因と断定されたわけでないものの、楽に生きているぼくに、手に負担をかけるようなことはギター以外思い当たる節がない。ということで、ぼくの生活を全部見ているぼくの診断によって、ぼくの「手根管ホニャララ」はギターが原因であると断定する。

以前にも書いたようにぼくの手は小さい。であるがゆえに、ギターを弾くにもおそらく人より無理な手首の曲げ方をしているはずである。もしかしたらロックな気分にまかせてかなり無駄な力を入れているのかもしれない。それが元で左手首の神経を圧迫することになったと思われる。

というわけで、ぼくにギターの弾き方を習いたい人は「手根管ナントヤラ」になる覚悟を持ってもらいたいと思う次第である。ロック万歳。

ただし、その治療を適切にほどこせば生命線的寿命は伸びる。万事塞翁が馬。

|

2008年2月20日 (水)

もしもピアノが弾けたなら

Top_yellow この前の記事でキーボードを買ったという話をしたけど、そこでも書いたように、ぼくはギターは弾けても鍵盤物は全然弾けない。

ギターは中学の頃に始めた。当たり前だけど練習をしてもすぐに上手くはならない。で、八つ当たり気味に、ああ、こんなことだったらピアノでも習っておけばよかった、そしたら指ももう少し動くだろうに、と思ったものである。中三のときだったか、友だちが音楽室で当時流行っていたジャーニーの曲をピアノで弾くのを見たときには、「うらやましいなあ」と羨望の眼差しである。男子校だったから女子にキャアキャア言われることはなかったけど、ピアノを囲む友だちから「どえらい上手いがね」なんて言われて、いいなあいいなあ、おれもおれも、と思ったものである。

そんなある日、「お母ちゃん、なんでおれにピアノを習わせんかったの?」と、半ば恨み節のように母に聞いたことがある。

すると母に、
「覚えてないのか、あんたは。小学生のときに『ピアノ習いに行くか?』って聞いたら、『あんな女の弾くものいやだ』って言ったのは誰だったか」
と言われたのである。

うおーっ、バカバカバカ、おれのバカッ! タイムマシンがあったらその場に行って張り倒してやりたいおれである。

今でこそフェミニズムを少しは聞きかじり、閉塞したこの時代を切り開き産業構造を転換し得る力を持つ思想はマルクス主義やエコロジズムに並んでフェミニズムである、と認識するにいたったものの、ああ、ガキの頃のぼくといったら。

先日、といっても半年以上も前か、BSで『あしたのジョー』を懐かしく見ていたら、力石徹が「白鳥のお嬢さん、これは矢吹と俺との男の話なんだ。女のあなたには黙っていてもらいたい」なんてことを言っていた。うひょ~、今ではありえんセリフ。

でも、当時はなんの抵抗もなく「力石かっこいいわあ、男だわあ」なんて思ってのめりこんで見ていた小学生なわけだから、ピアノなんてえものはまさに白鳥のお嬢さんが弾くような「あんな女の弾くもの」。そう一蹴してしまう環境は確かに存在していたのである。ぐやじい~。

 

子どもは親が教えたわけでもないのに二才、三才ぐらいから「男は青、女は赤」と、どこでどう身につけたか覚えてくる。ウチの姪っ子もそうだった。

「おじちゃん、何色が好き?」
「うん? おれは赤かな。思想も赤いし」
「おじちゃん赤なの? ははは、女みたい」
「赤は女なの?」
「だってトイレとかそうだもん」
「ふむふむ」

そんなこんな会話をしながら、子どもは「男は青、女は赤」と明示的に教えられて覚えるだけじゃなくて、言葉を習得すると同時にその言葉の文化的背景も覚えるんだろうなあ、と思ったものだ。たとえば、ここでも「男は青、女は赤」と書いたが、性別と色の問題を言及する場面だろうと名簿順だろうとなんだろうと多くの場合男を先に出すのが普通であることが、明示的にではないけれども「男が先」ということの教育的効果を持つ、というような。

ぼくは「さとみ」と女みたいな名前をつけられ、というのも、ウチの兄(「まさみ」といいます)が幼稚園で「女みたいな名前」とからかわれ、弟にはこんな目にあわせたくないと思っていたところに、ぼくが生まれた。で、親から「字は『知見』で『ともみ』か『さとみ』にするんだけど、どっちがいいかお兄ちゃん決めて」と言われ、「そんな女みたいな名前絶対いかーん」と泣いて反対したんだけれども、「いや、もうどっちかにするから」と親の強権発動。幼稚園には「ともみ」という女の子がいたそうで、「さとみ」も女っぽいけど「ともみ」よりはまだいいと兄は苦渋の決断。幼いながらせめてもの兄心のおかげで、より女っぽい「さとみ」になってしまったわけである。

今でこそ「さとみ」という名前はぼくには男っぽい名前に感じられるようになったけど(うそ)、ぼくも確か子どもの頃は「女みたい」とからかわれた気がする。と、余計に「女なんか」と思ってしまうことになったのかもしれない。

そのくせ、いわゆる「女権拡張」で闘ってきた母に育てられ、なおかつ左翼的な思想環境で育つうちに働くことの奴隷性が見え透いてくるようになれば、いやがおうにもフェミニズムに近づこうというものである。そうなってからあらためてピアノが弾けないことに思いが至るとき、結構複雑な思いが胸の内をかけめぐることになる。

団地育ちのウチの同居人はピアノを習わせてもらえなかったんで、彼女もまた弾くことができない。その代わりにお箏を習い始め、今では立派な大師範になってちょこちょこと営業仕事のようなこともしているんだけど、お箏の上手さからいって、もしもピアノを習っていたら相当上手かったろうと思われる。そんな同居人は今でも「ピアノが欲しい」と少女のように思っている。ただ、ウチには電子ピアノも置くような場所がないの。うう。デスクトップのパソコンを置く場所もないのに、弾けもせんピアノなんか置けるかあ。うう。

 

たかがピアノが弾けぬぐらいでこんなに複雑な思いを持ってしまうなんて。

|

2008年2月15日 (金)

鍵盤物

Top_yellowマイクロコルグという小型のキーボードを買った。前々から目をつけていたんだけど、ギターしか弾けないぼくには手に負えそうもないんで、何度か楽器屋でにらめっこをしていただけで買わずにいた。んだけど、今回意を決して買った。

そもそも、大学の時の先輩がギターを始めるというんで、それにつき合ってどのギターがいいかとか相談にのりながらネットを見たり楽器屋に行っていたんである。そしたらこっちにも購買欲に火がついて、まずはアンデス25Fという、ピアニカ風の鍵盤物なんだけどハーモニカ様のリードではなく笛が仕込まれたおもちゃのような楽器(NHKのピタゴラスイッチの音楽で使われているそうな)と、低音を受け持つベース版ピアニカを、先輩がギターを買うよりも先に買ったしまったのである。

もともと普通のピアニカは持っていたんだけど、あっそうそう、ピアニカというのはヤマハの商品名で、いわばヘッドフォンステレオをウォークマンと言ったり密封保存容器をタッパーと言ったりするようなもの。鍵盤ハーモニカというのが一般名らしい。で、ぼくがもともと持っていたのと今回買ったのは両方ともスズキ製のもので、商品名はメロディオンという。だからここで「ピアニカ」というのもアレなんで「鍵盤ハーモニカ」、長いんで略して「鍵ハモ」と言いましょう、この場では。

で、もともと普通の鍵ハモは持っていたんだけど、その鍵ハモと買ってきた笛の鍵ハモ(鍵笛?)とベース鍵ハモを同居人とフカフカしながら家で楽しんでいたんですね。どれも音がかわいくていいですね。楽しいですね。

Photo

さて、鍵ハモというのは息を吹かねば音が出ない。で、ぼくは中途半端に曲のアレンジができるもんだから、弾きやすいように(おもにCへと)キーを変え和音をつけたりする。となると、単音で弾く以上に息を吹き込まねばならない。そのくせ鍵盤物はほとんど弾けないもんだから、曲を覚えるのにゆーーーーっくりと吹く。失敗もする。というか失敗の中に時々合っている音があるような風であるから、となると、はあはあはあはあ、息が持たーん。はあはあ、息が持たんのですよ、息が。はあはあ。息が持たぬがゆえに練習がはかどらない。いつまでたっても曲が覚わらん。頭は白~くなってくるし、指先もしびれてくる。

考えようによっては鍵ハモ音楽は薬物いらずのすごいトリップ音楽かもしれない。大麻の吸いすぎより鍵ハモの吹きすぎに要注意。

Photo

欲しい。こんなトリップ音楽で体を壊す前に、電気で音を持続させるものが欲しい。電気でぼくの健康が保たれるならそれでいい。そう思ったわけですね。思ってしまったわけなんです。

で、ぼくは手が小さいから1オクターブがようやっと届くほどでかい普通の鍵盤のサイズについて日頃不満を持っておりますし、これまでもギターで手の小ささに泣かされてきているのに(クラ様やジミヘンなんかの写真を見ながらあの巨大な手を欲しいと何度思ったことか)、新しく始める楽器で今さら手の小さいことに苦労をしたくもない。でも小さい鍵盤のものとなると、これがまたおもちゃみたいなのが主流。そんな中にあって、わたくしのような素人とはいえ長きにわたって音楽を愛好する者にも満足な楽器として使えるのはただひとつ、マイクロコルグしかない(らしい)ということがネットを見たり楽器屋さんの話を聞いてわかったんで、もうこれしか選択肢しかないわけで(多分)、値段も四万なんぼ、もう大人なんだからそのぐらいなんとかなるわい! 金で解決じゃあっ! と気合いを入れて買ったというわけなんです。

Photo_2

しかし、まあなんですねえ、キーボードというのは機能がめちゃくちゃ多いですね。見るからにいかにも多そうなんだけど、説明書を見ながらあちこちボタンをいじっていると、「携帯電話は機能が多すぎ」とか愚痴っぽく言う人(ぼくもだけど)なんかぶっ飛びの多機能で、むしろ感動ものである。

音もいろんな音が出せるなんてものじゃなくて、あらためて、電気となじむ楽器は現代において相当可能性があるもんなんだなあと思ったりする。ギターにしても、生ギターよりエレキのほうがどえらい発展しているわけで、まあこういうことは執筆作業が鉛筆からワープロに変わったとか楽器に限らないことだけども、フムフムという感じです。

といっても、生のほうがつまらんとかそういうのとは全然関係ない話。生楽器は「いかにも弾いています感」があって、これはこれで楽しい。絵でもコンピュータグラフィックは便利だけど手描きのほうが「いかにも描いている感」があって楽しいのと似たようなもの。パソコンでは書道が成立しないのと同じ道理。あれ? たとえ話あっとるか? じゃあ、旅は車よりも電車、電車よりも自転車や徒歩で行くほうが「いかにも旅をしている感」がより高まってよろしいのと同様である。海外旅行も飛行機よりやっぱり船である。小型のボートならなおよろしいわけで、それよりも泳いでいくのが最高なのと似ている。んんん? じゃあもっとわかりやすく、寒いこの季節、湯沸し器を使わんと冷たい水で洗い物をすると指がちぎれそうになってきて「いかにも洗ってます感」が高まり断然気分がいいものである。さあみんなもお水で洗って洗って、ってもういいか。

小型キーボードはまだ買ったばかりだから全然使いこなせてないけど、とりあえずこれでぼくの積極性窒息状況は避けられそうになったわけで、これはまことにありがたい。金で見事に解決である。しかし、それもこれも小型キーボードを買ったのは鍵ハモを楽しむためである。その初心を忘れることなく、今後とも日々音楽を愛好してまいる所存であります。

さあ、肝心カナメの肺活量を増やすためにタバコ減らしてジョギング始めるぞー!(うそ)

|

2008年1月20日 (日)

思い込みダイエットでどんと来い

Top_blue最近ようやくおさまってきたけど、一月の八日あたりから何日間か「思い込みダイエット」という検索ワードでアクセスがとても増えていた。もともとそんなにアクセス数があるブログじゃないから増えたと言ってもたいしたことはないけど、普段の三、四倍の人がこのブログを見に来ていた。

グーグルやヤフーで「思い込みダイエット」を検索してみると、ぼくのブログが何番目かに出てくる。以前やっていたブログで、「おれは今日から小食の人である!」と思い込めば食事を減らしてもお腹がすかん、みたいな話を書いたことがあって、その時このダイエット法を「思い込みダイエット」と適当に名づけ、で、「それをまた二年ぶりかにやっております」と三ヶ月ほど前に「思い込みダイエット再び」と題して書いた。

で、どうやら若槻千夏が、「思い込みダイエット(徒ら草版)」とは無関係の、「『このメロンパンは3キロカロリーだあ!』と思い込めば、食べても太らない」なんていうウソかホントかわからんような「思い込みダイエット(若槻版)」をテレビで紹介したみたいで、その途端、「思い込みダイエット再び」の記事にアクセスが増えたということのようだ。

アクセスが増えて迷惑ということはないけれど、書いた本人が忘れていたような記事だったから、ぼくちゃんびっくり。で、そのことを左横の欄の「編集中記」でチラッと書いたら、今度はそこが検索結果の記事紹介部で出るようになって、「思い込みダイエット 若槻千夏」のand検索でもヒットするようになって、あれあれ、ドツボである。

とかなんとか今回またこんなことを書いて、これはまさに火に油を注いでいるようなもんでしょうかなあ。そんでさらに「やっぱりあの記事は火に油注いだみたいです」てなことをまた書いてしまうとすると、おお、これじゃまるでらせん階段じゃないか。

『徒ら草』を開設して二年余り、ようやく人に無駄足を踏ませる石ころブログ界にぼくも参加できたかと思うと、なんか感慨深い。地味ながら『徒ら草』の名に恥じぬいい仕事である。

それにしても、いずれ「ダイエット」で検索されてこのブログにやってくる人がいるとは思っていたけれども、思わぬ伏兵にしてやられたあという感じで、恐るべし、ダイエットである。たばこ話もコメントやトラックバックを開いておけばワケのわからんいちゃもんが多いことなんだろうけれども、ダイエットもそれに劣らぬ恐るべしワードであろうことよ。こういうのも健康病という名の病気にとり憑かれた現代を映す鏡というやつでしょうか。

でも、もっと「恐るべし」なのはほんとうは「有名人」「テレビ」なんだろうなあ。テレビはやっぱりメディアの王様。こういうことがあると、テレビに出て有名になりたがる人の気持ちがわからぬではない気がする。そんでもって、いったん有名になった人にとっての、そこから転げ落ちる不安はいかばかりかと思う。胃薬や酒の宣伝に嬉々として出演している「評論家」のみっともない姿や、なんや誤解なさって府知事選に出馬してしまった「弁護士」なんかを見ていると、そういうことなんだろうなあと思う。

|

2008年1月15日 (火)

臨機応変に用をたせ

Top_blue最近、洋式トイレで小用をたすとき座ってする男性が増えてきたという話である。そういう話になると、「日本男児たるもの、ションベンは立ってせよ!」といきり立つ人もいれば、「トイレが汚れにくくていいわね」という容認派ないしは推進派、「わたくしもう実践中です」という実践派などにわかれて、ああでもないこうでもないと議論沸騰にあいなるわけである。

さて、ぼくはというと、もう実践中である。ぼくのことを知っている人からすると意外な感じがあるかもしれないけれど、実際に実践中なのである。いちいち座るなんて面倒くさいと思われがちみたいだけれど、そうではない。

二日酔いで迎えた朝を想像されたし。フラフラになってトイレに行き用をたしていると、「ウーップ」と胃から何物かがこみ上げてくる。そもそも立っているだけでもしんどいのに、その上に「ウーップ」まで我慢していると、焦点を定めることがずいぶんとおろそかになってくる。そうしたことも若いうちは若さで補い得たものの、最近では補う気もだいぶと失せてきている。そんな時に、座って小用をたすことを覚えたわけである、ぼくの場合。そして、二日酔い以外の時でも、座ってするほうが確実に楽だということを知ったのである。

考えてもみられよ。どこまで詳しく書いていいものか、はばかられるところでもあるけれど、立ってする場合、ズボンをずりさげ、銃を手に取り、「構えっ!」とばかりに狙いを定め、「撃てっ!」と事が始まると、終えるまで的をはずさぬように気をつかっておらねばならぬ。ところが座ってする場合、ズボンをずりさげ便座に座ってしまえば、あとはもうなにも気をつかう必要もなく、排泄の快感に浸っておればよいのである。二日酔いの時なら、なんとなれば壁にひじをついて腕まくらしながらへたりこんでいてもかまわないのである。これは実に楽である。銃にさわることもないので、用をたしたあとに手を洗わねばならぬという義務感からも相当に解放される。座りションベンはとても素晴らしいぐうたらスタイルなのである。しかもトイレが汚れる可能性が減って清潔度もアップ。

家での格好はゴムの極楽パンツだからちゃっちゃっちゃのちゃーだけども、出かける前なんかでジーパンをはいている時はベルトをカチャカチャとはずすことになるんで、これは確かにめんどくさい。けどそこは臨機応変、ただ立ってすればいいだけのことである。こればかりは女に真似はできまい、フフフ。男は洋式便所になって、小用の時の選択肢がひとつ増えたのである。

Photo ただ、銃が大きめの人は便座が浅い場合、底に付いてしまうことがあるかもしれぬ。そのような男性はあきらめねばならぬかもしれぬが、ううむ、羨望。また、銃がなにかの加減でいきり立っている場合も、平生の時とは違った配慮が必要である。がしかし、これはこれで、立ってする場合でも窓の外に飛んでいく恐れがあるわけだから・・・・・・、

あーあ、やっぱり品がなくなってきた。

|

2007年12月20日 (木)

悲しきあぶらげ

Top_blueあぶらげの人生を思うとぼくはつらくなる。なぜといえば、あぶらげは口に入るまで何度もなんども火に通されるのである。

大豆から豆乳になるときに一回。それから豆腐になって、薄切りにされ油で揚げられて二回目。それだけでも火は十分通されているのに、あぶらげをそのまま食べることはほとんどないから、あらためて火にあぶられたり煮物にされたりして、都合三度火に通されて、ようやく口に運ばれる。調理前の油抜きも回数に入れれば、都合四回。

もうええではないかっ!

ぼくは子どもの頃何度となくやけどをして、家族からはほとほとあきれられながら「やけど王」の名をいただいていた。そんなぼくからすると、何度も熱せられるあぶらげの身の上を思うに同情を禁じえないのである。

しかも、あぶらげはあれだけ火を通されながらも足がはやいから、買ってきてすぐ食べるとき以外、冷凍庫に入れられカンカンに冷やされて買い置きされたりするわけである。ああ、火を通されたと思いきや、今度は冷えびえ地獄。

しかもその上、「あぶらあげ」と正しく呼ばれることもあまりなく、ふつうは「あぶらげ」と適当につづめられてまでいるのだ。<あぶらげ>と入力して変換すれば、<油下>と「下」の字までつく悲惨なことになる。

あぶらげを不幸な身の上に追いやっているせめてもの埋め合わせに、これからはいつもていねいに「おあげさん」とみんな呼んでやろうじゃないか。ぼくはそう思うのである。

ちくわもまた、練り物にする段階とそれを焼く段階とで二回火を通される。けれども、生で食べられることも多いから(穴にキュウリつめたのが好き)、あぶらげ改めおあげさんに比べればまだまだ。冷凍されることも、まあない。「ちくわ→ちくゎ→ちか」なんてつづめられかたもされないし。

でですね、この不幸なおあげさんとちくわは煮物でも、和え物でも、炒め物でも、なんでもかんでもとりあえず入れておけば、主役がどんな食材であっても抜群のひきたて役になることうけあい。じゃこやきゅうりと和えられ、刻みこぶと炊かれ、肉気のない野菜炒めにコクを出すため入れられ、どんぶりものにされ、炊き込みご飯の主役がたけのこだろうが松茸だろうが常に脇をかため、味噌汁の具の定番であり(おあげさん)、夜食のおかずにしょうゆもしくはマヨネーズをつけて丸かじりされ(ちくわ)…、偉いぞ、おあげさんとちくわ。

不幸な生い立ちがいい味わいを出しているのかどうか知らないけれども、そんなわけでこの二つはウチでは常備食に準ずる扱いである。って、まあよそのウチでもそうか…。って、そうなんですか、みなさんのとこでも。

と、そういうふうだから、ぼくは食卓を前にしておあげさんの人生に思いがいたることが普段から多いわけである。ううっ、もっとちゃんと味わっておいしくいただきます。むしゃむしゃ。

ううむ、それ自体の味があまりないから、黄金の脇役としてはやはりおあげさんのほうがちくわよりも一枚うわてであるなあ、むしゃむしゃ、こうやって味わってみると、むしゃむしゃ、キツネが大好物だというのもうなづけるなあ、むしゃむしゃ、そういえば油断しているとトンビもかっさらってくっていうなあ、むしゃむしゃ…。

ああ、おいしい。やっぱりあぶらげはうまいなあ。

 

あっ!

|

2007年12月10日 (月)

若山富三郎や花沢徳衛級の人たち

Top_blue_2今日の記事は、ぼく的には前回の記事の続きになる。というのもなんのことはない、先日新世界で友だちと飲みながらしゃべっていた話題だったからということだけなんですけどね。

その友だち(仮にW田と呼ぼう)は、今はCMや映画のセットの大道具の仕事なんかをしていたりするけれども、もともと役者志望なんで、話をしているとそっち方面に話題が進むことが少なくない。で、新世界で飲んだ時もどういう道筋だったか忘れたけれども、「若山富三郎は勝新とは違うなんともいえぬかっこよさがあって、おれは若山富三郎のほうが好きだわあ」なんて、そんな話になった。

で、話が、若山富三郎も出ていた小林薫(彼も何年か前の奈良の事件の犯人と同姓同名でとんだ災難ですけど)主演のNHKのドラマ『粋のいい奴』から、小林薫演じる寿司職人の師匠役だった花沢徳衛に及んだわけである。花沢徳衛の演技というのは、このとき以外にもよかった芝居がいくつかある。そのうちでも特に印象的だったのは、十年以上にも前になるけれど、NHKの朝の連ドラ『ひらり』で、これまた超ド級の実力派であった新国劇の島田正吾とのからみのシーンが十五分中十分ぐらいあって、縁台だったかで二人が会話するだけの場面だったんだけど、偶然その回を観たときはそのあまりのすごい芝居にぼくは朝もはよから石になって見入ってしまった。今では二人とも鬼籍に入ってしまったけれど、多分この場面はぼくが今まで観た芝居の中でも十指に入るもの。この日ばかりは仕事に遅刻する人が多くてもしかたがなかろう、と思ったものだ。

たまにこういうことがあるからNHKのドラマはあなどれない。そういう芝居を観せたい演出家やプロデューサーは他にもいるだろうに、なかなかこういうテレビドラマに(特に民放では)出会えない。まともな演技力もないのに人気がある(らしい)だけの俳優を使い続けるテレビの視聴率至上主義は、ホントにもったいないと思う。バラエティ番組はいざ知らず、ドラマぐらいはしっかりした役者をもう少し使ってほしいものだ。

この飲みの時、ぼくの大のヒイキである鬼平犯科帳の中村吉右衛門や、片岡仁左衛門の兄の片岡我當にも話は及んだんだけども、その話をここで始めたらまだだいぶと長くなるので、それはまた今度にしときます。吉右衛門や我當の話を聞きたい人がもしおりましたら、ぼくと飲んでいい加減のところでその話題をふってみてください。そのときぼくの話をあなたが機嫌よく聞いてくれたら、ぼくが酔いつぶれるまで延々その話をしてあげますよ。

|

2007年12月 5日 (水)

たまったモノは吐き出せ

Top_blueなにも四十になったからといって、我が身の老成っぷりをことさらに嘆くこともないんだろうけど、ここ何本かの記事で、ぼくは我が身の老成っぷりを嘆いてみたりしている。

たしかに、お寺で檀家のばあさんやじいさんとしゃべっていると、ぼくはまだまだまだまだハナタレ小僧なのであるなあ、としみじみ実感させられることはままある。八十、九十になろうかという人から「人生で一番いい時期だ」とか言われると、なるほどそうかもしれない、なんて思ってしまうものだ。しかしながら、いつまでも若造気分でいたところで、体に染みついた二十代の頃の行動パターンに体がついてきてないこともこれまた時に感じるわけで、そんな嘆きの一つ二つをここで愚痴ってみたりするわけである。

もともと体を動かすことは好きでないから、その手のことでの体がついてこないっぷりというのはあまり気にかからないけれども、特にしみじみ感じるのが酒に弱くなってきたなあ、ということだ。飲んだ翌日に「うへえ~、きのうはよう飲んだ」と嘆く力もないほどのボロキレ状態になることがどれだけ増えたことだろう。友だちと二人でしか飲んでないのに知らぬ間に寝てしまうし、いかんよなあ。

Photo お酒なんてのは、飲みだすとフワーッといい気分になってきて翌日のボロキレ状態の想像図なんかどっかへ行ってしまうし、お酒は「手で飲む」、つまり「間」で飲むものだから、いい気になってこれまでのような「間」で飲んでいると、酒に弱くなってきた体が翌日に悲鳴を上げるわけである。時には飲んでいる途中から悲鳴を上げ始める。

先日も、その日は友だちがウチに泊まっていくことになっていたんでいつもよりさらに気が緩んだのか、機嫌よく飲んだ翌日、「きのうはよう飲んだわあ」でさえなく、「きのうはよう吐いたわあ」とボロキレになって昼を迎えてしまうわけである。うーむ、こんなことでいいのだろうかね。って、よくないよね。

とかいいながら、その二日後、大阪は通天閣の下、新世界で真っ昼間から串かつ、ホルモンで飲んで、最近の飲みっぷりからすると途中で寝てしまっても不思議ではないのに結局夜まで楽しく飲んで、帰りがけに日本橋で電子パーツの買い物をするうちに酔いもちょっとさめてきながら、なおご機嫌さんな気分の余韻をたもったまま大阪を発ち、京都に帰りつく頃には酔いがさめていたりするもんだから、「まだまだいけるんでないの、おれ。行け行けゴーゴー!」なんて思ってしまって、なんら反省のほどが感じられないのだなあ。

|

2007年11月30日 (金)

眼精疲労かもしれませんが

Top_blue_2 ぼくは眼鏡をかけているといっても、そんなに悪いわけではない。家でかけることはほとんどないし、眼鏡なしで出かけてもさして障りになることはない。ただ、夜に車の運転をしたり、暗がりの中で見るライブハウス、夜空のきれいなお星さまを見るときなんかにかけてないと多少具合が悪い程度である。

高校卒業まで視力は1.5ぐらいあった。それが浪人のころ急に悪くなっていって、街角で通りすがりの美人とすれ違うまでそうとは気づかないことが増えてきて、ものすごい損をした気分がするようになったんで、眼鏡をかけることにしたのである。

おお、なんと、これはぼくが遅ればせながら携帯電話を買うことにしたのが、夢の中の浮気相手と連絡をしようとして公衆電話が見つからず、あたふたあたふたと泣きそうになりながら目が覚めたその足で携帯電話屋に行ったのと似ているなあ。あははは。

それはそれとして、この眼鏡は今も現役で使っている。レンズは何度か換えたけれど、それも視力が悪くなったからではなくて、ぞんざいな扱いでレンズに傷を入れてしまったからだ。

フレームも何度かメッキし直している。メッキがはがれて地金が出てくるとフレームのあたる部分がかぶれてしまうので、レンズよりもメッキはがれのほうがよほど気を使っている。多分軽い金属アレルギーなんだろうけど、今では少しでも地金が出てくるとすぐにかぶれてしまう。

何年か前に万が一の予備にもう一つ似たようなのを買ったけど、最初の眼鏡は都合二十年ばかり使い続けていることになる。物持ちがいいぼくのことである、老眼になってもこの眼鏡を使い続け、眼鏡が朽ち果てるが先か、ぼくが朽ち果てるが先か、こうなったら死ぬまで使い続けるつもりでいる。

で、この前もメッキがはがれてきたんで修理に出した。その際、レンズも細かい傷が目立ってきたんで、ついでに入れ直すことにした。「せっかくですから視力を検査しときましょう」とあいなって検査してみたけど、結果、ほとんど視力は変わることなく、乱視の角度がややずれているだけということであった。「じゃあ、そういうふうでレンズを作ってください」ということになった。

「レンズはどうなさいますか?」と眼鏡屋さんは聞いてきたので、ぼくは、「五つ上の兄が最近老眼が始まったらしいんで、どうせぼくもすぐに始まるでしょうから、一番安いのでいいですよ」と答えた。兄は最近、ぼくが読んでいた本を手渡すと、「いかん、読めん」とか言いながら本を遠ざけたり傾けたりするようになっているのである。

すると眼鏡屋さんは、「ふむふむ」という顔をしたかと思うと、その時ぼくがかけていた検査用の眼鏡に一枚レンズを入れてきて、「これでどうですか」とたずねてきた。小さな字が書いてある手元の紙を見てみると、レンズ挿入前より見えやすい。「おやおや、見えやすくなりましたねえ」と答えたら、「そうですか。ということは、ただの眼精疲労かもしれませんが、もう老眼が始まってるかもしれませんねえ」と言われた。

ガガガ~ン。

薄毛、痛風、高脂血症、そこに、自覚症状はないけれども老眼が加わりつつあるみたい。

もうじきに四翻プラスデンデンで中年の満貫である。二〇〇七年、不惑の晩秋。

|

2007年11月25日 (日)

ジョクハラ

Top_blue『徒ら草語辞典』 ジョクハラ=屈辱ハラスメントの略。相手や周囲には嫌がらせにしかなっていないような、過剰に屈辱を晴らす行為。

高校の時の友だち(仮にOシマと呼ぼう)が、昇進への道なのか左遷なのかわからぬまま数年前からアメリカに転勤していたのが、この秋ようやく帰国とあいなった。ではささやかながら帰国祝いをしようと、先日飲みにいった。ぼくには動員力がほとんどないんで、ほんとにささやかに二人で飲みにいくことになった。さて、帰国祝いであるからして一軒目はおれがおごってやろう、手羽先のやまちゃんにしようね、おいしいしね、安いしね、ということで、名古屋は栄で落ちあって住吉店に行った。

聞くと、Oシマは昨晩ほとんど寝てないという。そうかそうか、最前線のビジネスマンは大変である。そして実はぼくもその日は朝が早くて、昼寝もしてなかったから、夕方ぐらいからえらく眠くなっていた。ニート坊主はどこまでもシャッキリせぬからいただけない。飲み始めて最初のうちはおたがい意気揚々、あーでもにゃーこーでもにゃーとペチャクチャしゃべっていたんだけど、お酒を二杯か三杯飲んだらぼくのほうが、うう、眠い・・・。

いかんいかん、寝たらいかん、と気合いを入れるものの、しゃべり終わってOシマの話を聞いていると上のまぶたがどうしても下がってくる。最近のぼくは酒席で眠くなると、場の雰囲気もかまわず我慢することなく寝るようになってきているけれども、今日ばかりは別儀でござる。この場には二人しかおらぬではないか。寝てはいかん。ああ、しかし、「おいっ、寝るな」と諌められる声もだんだん心地よくなっていく・・・。

頬をたたかれハタと気づくと、Oシマに「帰るぞ」と声をかけられた。しまった、寝てしまった。時計を見ると九時半。時間にすれば五分か十分か。んっ?んっ?んっ? Oシマはもう清算を終えているみたい。あっ、そう、帰るの? うー、まだ眠たい。寝ぼけまなこで店を出た。

そんなこんなで結局その日はお開き。ぼくは帰りの電車もしっかり寝過ごした。

駅からの帰り道、寒い中を歩いていたらさすがに目が覚めてきた。頭がしっかりしてくると、「おれは、おれは、こんな時間に何をしているんだあー。今日は最低でも日が変わるまでは飲むと決めていたのにー」と、ニワカに現下の事態が飲み込めてきた。「あー、しかもおれがおごってもらっとるがやー。なんてことだー」。こっちから誘っといて、しかも帰国祝いでおごってやると言ったのに、うう、屈辱・・・。

早速Oシマにわぴのメールを入れた。そしてぼくは家に帰ってきて、次にはちゃんと体調を整えて今日のこの屈辱を晴らすことを誓ったのである。ああしかし、このぼくのことである。四人の子持ち、もうすぐ五人め(!)が生まれんとする子育ても大変であろう最前線ビジネスマンのOシマが寝ようとも、「寝るな、寝るな、寝るなー、おれの話を聞けー」といわんばかりのタチの悪い酒になってしまいそうな予感がする。ジョクハラ防止を心がけねばなるまい。

|

2007年11月20日 (火)

破れたジーパン

Top_blueぼくはジーパンをもう何本はきつぶしたことでしょう。

今あるジーパンもいずれはひざが抜け、ポケットも破れ、果てはケツが抜け、ついにはほどかれて補修用の生地となり、最後の最後には精も抜けたズタボロの布きれとして捨てられていくのである。ジーパンに限らず服というのはどれもこれと似たような運命をたどるものだけれど、ただ、ジーパンだけは破れてもなんていうんでしょう、ひとつの味わいとでもいうんでしょうか、おしゃれとでもいうんでしょうか、そんな感じがあるわけで、生地の強さもあわせて考えればジーパンは衣服としての寿命がかなり長い。

いつの頃からだったか穴のあいたジーンズが店で売られるようになって、そんなのをはじめて見たときは、「まあなんてことなんでしょう。こういうものは何年もはいてこうなるのであって、買った段階からこういう風でよろしいのでしょうか」などと思ったものだ。けど、学生時代に破れたジーパンをいい気になってはいては世の大人から怪訝な顔をされていた身からすると、こうしたものが商品として売られるようになったとしても不思議なかろうと思うことにしていたわけである。

でも最近になって、いかにも買いたての物だろうに「いくらなんでもそれはすり切れ過ぎだろう」なんてのを若者がはいているのを見ると、「おいおいパンツが透けて見えるぞ。それにしてもこのズボンの寿命はもって半年か一年だなあ」なんてさすがに思ってしまうわけで、なにもそんなものを喜んで買わんでも、と思うところなぞ、ぼくも着実に年を重ねていっているのだなあ。

てなことを母としゃべっていたら、「昔だってバンカラだとか言って、男子学生はわざと帽子やら学生服を地面にこすりつけてボロボロにしていたんだから、目新しくもないよ」なんて言うわけである。

ふむふむ、なるほど。

「男友だちからわざと破った学生服を渡されて、あんまり上手にじゃなく縫い合わせてくれ、なんて頼まれて、バカバカしくてやってられなかったねえ」

なんて言うわけである。昭和ひとケタ世代の重要な証言である。高度成長期以前のさして豊かでない時代からしてこういう風だったのね。

となると穴あきジーンズも、これは案外伝統的なファッションであるのだなあなんて思ったわけである。

|

2007年11月15日 (木)

思い込みダイエット再び

Top_blueやせるために三日、四日ばかり食事を抜いた。初日の夕方くらいを過ぎるとなぜだか空腹感がなくなるから、言うほどそんなにきついわけじゃない。ぼくの場合、このプチラマダンを一つの儀式として、本格的な減量が始まる。胃を小さくすることも目的の一つだけど、これがなくては「その気」になれず、いつまでもダラダラ食いが続いてしまうのである。

学生時代にも似たようなことをたまにしていた。UFO大盛りかシーフードヌードル大盛りとサンドイッチとを夜毎コンビニで買ってきて食べてばかりいたら、そりゃ太る。で、ズボンがはけなくなってくるんで、やせようと決意する。

そんな学生時代のある絶食抜けの時、自分へのごほうびとして近所のラーメン屋に行った。そこのラーメン屋は、ぼく認定「最もラーメンライスのあうラーメン」を出す店である。添えられたたくあんをさっさと食べてから、ご飯にラーメン汁をねぎや焼き豚の切れ端とともにたっぷりかける。品がないと言うなかれ。ラーメンをすするあいだこれをしばらく熟成させ、そののちおもむろに口に流し込むと、もうこれがまた絶品なわけである。その時のダイエット前には特に頻繁に行っていたんで、おでぶちゃんになるのにかなり貢献したものである。

そんなこんなで絶食抜けのごほうびにラーメン屋に行ったわけである。当時はまだ絶食のつらさがあったのである。若い、若い。ただし今日はご飯も頼まず汁も残そう、っちゅうかそんなに食えんわ、そう思いながら「ラーメン!」と注文したら、店員さんはぼくの顔をおぼえていたんだろう、いつものようにラーメンライスが出てきた。気が弱いぼくは、「ご飯は頼んでないんですけど」とも言えず、小さくなった胃に泣きながらラーメンとご飯をつめこんだのである。

さて、ぼくはいまだ学生時代とほぼ変わりない辺りに住んでいる。で、ここらあたりは基本的に住宅街だけど大学の近所だからなのか、ラーメン屋が多い。このラーメンライスのラーメン屋もテレビに出たりして評判の店だし(ぼくは百五十歩ぐらいで行ける一番近所の店だったからよく行っていただけだけど)、有名チェーン店も二つ三つある。

そんなところにまたラーメン屋ができた。今住んでいるところから百二十歩ぐらいであろうか、最短距離のラーメン屋である。一度行っておかねばなるまい。結構有名な店の支店らしくて、開店当初は行列ができていた。ある日すいている時に行ってみたら、なぬ?禁煙? ラーメン屋ごときが生意気な、と思いながら、さぞおいしいラーメンであるのであろうなと食べてみたら、なんじゃ気取っている割にはふつうでないか。もう二度と行くことはあるまいと思っていたら、三ヶ月もしないうちにつぶれた。ざまあないね。

その後しばらくすると、そこにあらためて別のラーメン屋が居抜きで入ってきた。今度は禁煙でなかったんで(あたりまえじゃ)何度か行ったけれど、ここもしばらくするとつぶれた。大学至近なのに回転の早い店舗ですなあ。まあ、ラーメン屋は競争も激しいだろうし、他の飲食店より原価率が高いというから、ちょっとしたことでもやばいことになるのかもしれないけど、それにしてもなあ。

「ラーメンにまずいものなし」とは椎名誠だったか東海林さだおだったかの言葉であるけれども、ぼくもそう思う。一軒だけ町なかでまずいラーメン屋を見つけたことがあったけど、かえってそんな店は珍しい。とんこつラーメンなのに、一口食べると牛乳で白くしているんだということがまるわかり。しかも塩気が効いてない。すごいぜ。人にもせっせと紹介していたけれど、行った人は多分、いない。言っているうちにそこもつぶれた。

今回の絶食抜けにラーメンを食うことはなかった。学生時代のような食欲はもうないのである。今ではおかゆさんからちょぼちょぼと始めるのである。ぼくは確実に老成している。

とか言いながら、頭によぎるのは食べ物のことばかりであるのが、まだ若さの証明ということでどうでしょうか。

|

2007年10月15日 (月)

時代は変わる

Top_blue_1 1980年のアルバムに『NO NUKES(ノー・ニュークス)』というのがある。これは、アメリカの反原発を旨としたチャリティコンサートの模様をおさめたライブアルバムで、この手のものがいつもそうであるように、そうそうたるミュージシャンが顔をそろえている。

No_nukes このアルバムで、ジェームス・テイラー、カーリー・サイモン、グラハム・ナッシュが、ボブ・ディランの「時代は変わる」をとてもすばらしいコーラスで歌っている。ボブ・ディランの曲は彼の独特の声や節まわしに圧倒されてそのとりこになってしまう。だけど、こうやって他人がカバーをしたものを聴くと曲そのものもいいんだということがよくわかって、彼の才能にあらためておそれいることになる。

No_nukesさて、「時代は変わる」はいい歌なんだけども、ぼくは外国語が苦手なんで「ふにゃふにゃふにゃ~」としか歌えない。ええいこうなりゃ日本語をつけたれ、と何年か前にひとり息まいて日本語の歌詞を勝手につけて持ち歌のひとつにした。内容はそのままの訳でも意訳でもなく、方向性は尊重しつつも自分の言いたいことを書いた。この歌詞をつくったときはなにかが降りてきて、自分でいうのもなんだけど、ボブ・ディランの曲に恥じぬそれなりのものができたと思う。

よーし、時代は変わるぞー!

Jtcs などといいつつ、その一方でぼくはこの曲を歌いながらこうも思う。

この「時代は変わる」をボブ・ディランがつくって四十年、いまだにこの曲が通用するとは、そして今後もしばらくはまだ歌い続けられる(られそう)だなんて、一体全体ほんとうに時代は変わっているのかね? ほんとのところは時代なんて表面的なところが変わるだけで、根っこの部分は変わりっこない。そんなあきらめにも似た気分をぼくは書いただけだったのかもしれない・・・。

けど、この『ノー・ニュークス』の「時代は変わる」はそんなスネ者の思いなぞ軽くふきとばすようなデキなんである。

現状にたいする異議申し立てをする集まりにおいて、完璧なコーラスでそのものズバリ「時代は変わる」などと自分の言葉で歌っても気恥ずかしさをおぼえるのではなく、かえって感動をよびおこすなんて、その情景は想像するだにうらやましい。

くさった国ではあるけども、いいなあアメリカ・・・。

ロック万歳。 

|

2007年10月10日 (水)

納豆

Top_yellow_2 納豆はよい。なにがよいって安いのがよい。

おいしい食べ物はいろいろとあるけれども、それひとつでおかず一品になる安い食べ物というのは少ない。かつて貧乏特集をした雑誌で、「貧乏人に納豆ぎらいなし」という言葉を見かけたことがある。納豆ぎらいが少なくないといわれる関西人をいささか無視した感がないわけではないけれども、この言葉には筆者の勝手な思い込み以上の説得力をもってぼくに迫ってくるものがあったものである。

その上に納豆はうまい。好き嫌いがあるのは百も承知だけど、おいしいよ。ほんとうにおいしいよ。ほら一口食べてみ、ほーらおいしい。

幸いにして、ウチの同居人は堺出身であるけれども納豆が好きである。貧乏育ちであったからか、もともとそんなのとは関係なく好きだったのかぼくは知らないけれども、どうあれおかげで「くちゃいくちゃい」などといやな顔をされることもなく、二人で「おいちいおいちい」と食べていられる。

その上さらに栄養も十分である。ここに価格の優等生にしてほぼ完全食の卵をまぜまぜすれば言うことなし。食べ物のことを語るのに栄養の話をするのは野暮なことだけれども、副産物的にそういうこともあると思えばなにか得をした気分になれるというものである。

あとはネギを入れようが海苔を入れようが漬物をぶち込もうがカラシの代わりにワサビを入れようがもう好き好きである。それを最も安い食べ物の白めし(白米は主食といわれるものの中でパンよりもうどんよりもスパゲッティよりも安い。日本なんだから当たり前のことだけど)にかけて食えば一食完了である。家で食べれば締めて百円になるかどうか。すばらしい。

納豆の場合パックに書いてある消費期限もほとんど気にする必要がない。だいたいは期限前に食べてしまうけれど、なんかの加減で冷蔵庫の中でほったらかしになっていたところで気にせず食べてしまっても別にナニがどうということもない。そもそもが保存食なわけだし。ずいぶんとほったらかしになってカピカピになってしまったものは味噌汁の具にしてしまえば見事復活。ということでぼくはついぞ納豆の消費期限というものを見たことはない。うらやましいだろ、白い恋人。

今の発泡スチロールのパックのは納豆菌が寝ているから本当の納豆というには程遠い、という話もある。確かにワラにくるまれた納豆はうまい。十年ほど前に茨城から遊びに来た友だちにもらった水戸の本場物はじつにうまかった。納豆に移ったワラの香りがなんとも香ばしく、きっと納豆ぎらいの人はその辺りがいやなんだろうけど、久しぶりに本物の納豆を食った気がした。うま~い。できればまた今度。

ワラ納豆は昔はもうちょっとふつうに見かけた気もするけれど、最近ではあんまり見かけないし、たまに見かけて買ってきてもワラの中で納豆の本体がビニールにくるまれていてこりゃなんじゃらほいだったりするし、もういいのいいの、そうしたグルメ自慢は本場と金持ちにまかせとけ。

納豆を食べた食器も水につけておけば洗剤いらず、水だけでキュッキュキュと鳴るほどにきれいになる。実際あの納豆のネバネバは汚れをからめとってまとめる作用があるらしく、どこぞではああしてこうしてネバネバの素を作って汚水にばらまいて水の浄化に使っているんだとかいう話である。

それをどうしたことか、ものを知らぬ人は「あのネバネバは落ちにくくてしつこくて洗うのメンドくさいですよねえ」などと言いくさっておる。この前も洗剤のテレビショッピングでそう言うアホを見かけた。ちゃんと普段から自分で洗い物をするように。いくらバイト代がいいといっても台本を覚えるだけが仕事ではなかろうに。売るほうもいくら売り文句だからといってウソを言ってはいけない。

もうなんか納豆はいいことづくめである。そしてあらためて言おう。貧乏人に納豆ぎらいなし。

|

2007年10月 5日 (金)

御法語を訳したその後で

Top_yellowあれは確か春の頃、「ぼくはいま法然上人の法語の現代語訳がマイブームである」という話を書いたことをみなさんは覚えていらっしゃるでしょうか。檀家さん向けに法然上人の法語集の現代語訳をウチの寺で作っているという話。

訳自体はおかげさまで順調に進み、一通りのことは夏に入る前に終わった。で、印刷屋さんとも連絡をとって、かくかくしかじかでお願いします、ということになり、原稿を渡したのはもう六月のことだったか。

原稿を渡したといっても古式ゆかしい手書きのものではもちろんなく、プリントアウトしたものでもなく、ワードでほぼ完成稿にまで追い込んで作ったのを添付ファイルにしてメールで送るということになった。なんせ量も量だし総ルビ仕様なんで、プリントアウトしたものをああしてこうして読み込んでどうこうするよりも、データのほうがよかろうということであった。ワードの悪評はネット上でもいろいろ言われているから少し心配だったけど、印刷屋さんも「そうしてください。ワードなんで不安ですがせっかく作られたんだし。もし不具合があったらまたその段階で考えましょう」ということなんで、そうした。

ぼくとしては自分で書いたものを印刷屋に渡して印刷するなんて初めてなことなうえに、メールで友だち以外と本格的にデータをやり取りするなんてのも初めてなことだから不慣れでいろいろと緊張もしたけれど、それでもどうにか今年の遅い夏入りの前には完了とあいなった。

ゲラ刷りが二週間ばかりで上がってきた。見ると、ルビがからむあたりで誤植や段落がずれたりといった体裁崩れが散見される。それも、ルビにからんで必ず間違うというわけではなく、間違うならそのあたりが多いという感じで、しかも、同様の所で必ず間違っているわけでもないから、目をじっと凝らしていかねばならぬ。間違いかたもはっきりした間違いばかりでなく、たとえば「微妙」のルビが、ある所では「びみょう」と正しいのに、ある所では「びみよう」になっているという具合で、ビミョ~な感じだったりする。

ざっと目を通した段階で、ぼくは校正をしているのか、ウォーリーな誤植探しをしているのか、うむむむ、ワケがわからんくなってきて途中で精も魂も尽き果てた。ので、作業を中断して、印刷屋さんにその旨を伝えた。

「やっぱりですか・・・」

話をどっさりはしょると、印刷屋さんのほうもワードには何度となく泣かされているらしい。客から送られてきたデータを印刷機用のデータに読み替える際の互換性が、いろいろとあるワープロソフトの中でも特にワードではよろしくないんだって。それも、日本語ではごく普通の縦書きやルビは、ワードでは日本語版に特有の機能なもんだから、アメリカ生まれのワードではえらく軽く扱われていて、そこがらみで無駄な不具合が多いそうで、そんなワープロソフトがウインドウズにほぼ標準装備されて最も普及しているものだということに、「どうにもこうにも」な気分でいるという。せっかく対応させたと思っても、ちょっとしたバージョン違いでもすぐに互換性がおかしくなるんだって。

あれれ、まさに今回の法語集の現代語訳をわたくし、ワードで縦書き、原文・訳文・注釈の三段組み、総ルビ仕様で製作したではありませんか。愚僧がやっておることはそうじゃったのか、ワードの最も不得手の領域じゃったのか。

ということは、家で翻訳作業をしながらも気づいていたこと。総ルビにするとデータ量がルビなしの四、五倍にもなるんである。五百キロバイトの文書のファイルが二メガバイトの容量になるのである。うひゃあ、どんだけ増えるんだて。

ちなみに、このブログは二年近くやっていてサーバーにたまったデータ量が画像やらなんやらコミコミでようやく二十メガバイト弱。このブログのサーバー容量は二ギガバイトらしいから、このペースで行くと二百年間やってもOKなわけである。うひゃあ、こんなんではいつまでも死ねんがね。よし、メガバイトな消費をするために音楽の配信を始めるぞー! いずれーっ!

それはさておき、ワードでルビを振るのもえらく難儀をして、印刷屋さんがそれを見て「ワードでよくここまでやりましたねえ」とプロからも感心されたぐらいだから、ワードがいかに日本語に合っていないかということだ。

予定ではこの現代語訳法語集はお盆の行事で檀家さんが寺に集まる時に配ろうかという気でいたんだけれど、そんなことはもう絶対無理、というのが七月の終わりごろにははっきりした。で、お盆直前にもう一度印刷屋さんと打ち合わせをして、「年内に出すぐらいのノンビリ気分で行きましょう」と仕切り直しをした。すると「手入力ででもやり直します。言い回しの書き換えとかそういう著者にしかできない校正作業に集中できるまでもっていきます」と、印刷屋さんはもうがぜん「打倒ワード」と民族主義的気分にも軽く火をつけながらすべてを引き受けてくれたのである。

でも、総ルビ仕様。これはどうあっても大変な作業。八割がたは常識的な読みでいけるけれども、そこに仏教語の独特な読みが混入するから、うーん、オペレーターは泣いていることだろうぜ。どうあれこうあれ、印刷屋さんもウチの仕事ばかりやっているわけじゃないから、できあがるのはまだ先のことになりそう。

 
 
そうそう。この注釈つき現代語訳法語集、できあがったらせっかくなんで書籍の体裁と同様な三段組総ルビ仕様でネット上に公開したいと思っているんですけど、そうするにはぼくのパソコン能力をはるかに超えてます。誰かそういうことに詳しい人はいませんか。縦書きにはこだわりません。やりかたを教えてください。もしくは原稿データを送るんでやってください。メールください。待ってます。ともに極楽に参りましょう。共生極楽成仏道。

南無阿弥陀仏

|

2007年9月30日 (日)

日付変更辺

Top_yellow 日の変わり目は朝にある。これが身体性をともなった時間感覚というものである。午前零時をもって日が変わるというのは近代以降の規則性、均一性を重視した時間観念に基づく定義にしか過ぎない。

大晦日にピッ、ピッ、ピッ、ピーンのカウントダウンで「あけましておめでとうございます。おめでとう。おめでとう」なんてのも、時計がなけりゃめでたさを感じられぬなんとも頼りないめでたさというものである。そういうことは「Y2K問題」を煽られていた西暦2000年だけでいいのである。それ以外は「Y10K問題」や「Y100K問題」が懸念される約八千年先、約九万八千年先まで、初日の出を見てから「おめでとうございます」でよろしいのである。

よって、身体性を常に忘れることなく近代を弁証法的に乗り超えんとする当ブログ『ごとーび刊 徒ら草』では「4日→5日」「9日→10日」・・・と日付が変わった瞬間ではなくて、朝方五時か六時かそこら辺りに更新しているんですよ。点や線のように日付変更があるわけではないので「日付変更辺」。このブログの日付変更辺は夜明け辺りにありと思っといてください。

とかいいながら、ぼくは一月二日に「今日は何日?」と聞くような男なので、もっと大枠のところでいろいろ気をつけなくてはならぬわけですけど。

そういえば、年の変わり目の時報を電話の117で聞くのもついぞやっていないけれども、あれは子どもが年に一度堂々と夜更かしできる喜びの中でやることである。こういうことをしながら「正月はめでたい」と思う心を教育されていくわけである。この時報は直前になって117をダイヤルしても(ふっるう)話し中になっていたりするから、確実に聞きたい人はちょっと前から確保しておこう。三分十円の投資をケチってはならぬ。といって欲ばって十分も十五分も前に確保しておくと、いざその時になって受話器に耳を当てると強制的に切られていたりすることがあるので注意していただきたい。って今でもそうなんかなあ。よう知らん。

ところで、もうひとつの日常的更新コーナーの「編集中記」はごとーび更新とは限らず、深夜だろうが夜だろうが夜中だろうが朝だろうが早朝だろうが明け方だろうが夕方だろうが夕焼けだろうがカエルが鳴こうが更新したいときにしているし、更新しないときには二週間も三週間もしない。話題はあっという間に過ぎ去ったかと思うと、停滞する。

思うに、ぼくは「ごとーび刊」などと日にちを決めて本文記事を定期的に更新するなどという実に思い上がったことをしているわけであるけれども、「編集中記」はブログ内のいちコーナーというよりは、いわばブログ内ブログ、むしろこちらのほうこそが真のブログらしいブログといえるのではあるまいか、などという気がしているのである。最近ではそちらでライブの告知まで始めているし、思い立ったときに思ったことを時間も締め切りも気にせず不定期に書きつけている。でもぼかあ、そんなものはどんどん上書きモードで消していってしまうのだ。

今日は、ごとーび刊がどうの更新がどうのとうるさく書いているけれども、それはごとーびで書いていくのがちょっとしんどいのではないかという気になり始めているからである。このブログを始めたとき、「こんなゴミみたいなブログには火曜、金曜更新の『ゴミの日刊』がお似合いなのだ」とやってみたら、そのあまりの急テンポに自分でもついていけず、いつの間にやらごとーび刊。それもだんだんきついかなあ、せめて週刊にしようかなあと思っていたりする。

「じゃあ勝手にそうすれば? どっちでもいいし。っちゅうかどうでもいいし」というのが百万人読者のみなさまの感想であろうけれども、でも思い返せば今日の記事を書き始めたのは、日付変更は夜明けにあるのではないか、ということを書きたかっただけなのに、いつの間にやらこんなことをぼやいてしまっているよ。あははは。

|

2007年9月25日 (火)

香りをつけるなと文句をつける(余香連だより創刊号)

Top_blue最近のトイレットペーパーは香りつきというのが主流なんでしょうか。なんの気なしに値段だけ見て選ぶとたいがいがそういうのばっかり。どころか店の棚の四分の三ぐらいがそういうので占められている。

以前にその日の店の特売で買ってきたのがそんな香りつきのトイレットペーパーだった。そんなのを買ったのは初めてのこと。どんなもんじゃろう、と袋から出してトイレのしかるべき所定の位置に並べて置いた。するとトイレの中に安っぽいにおいがふわ~っと広がった。

トイレに新聞を持って入りこみたばこをプカプカしながら用を足していると、その安っぽいにおいで頭が痛くなってきた。これは決して二日酔いのせいではない。なんともいえぬ不定愁訴的不快感がある。十二個三百いくらのものにつけてある香料なんて安物に決まっているのはそうだとしても、これはたまらん。

小さいほうはちゃっと済ませるからまだいいけど、大きいほうだと長居することが多いぼくには結構つらいものがある。それこそ二日酔いのときなぞ不快感はさらに倍。ぎぼぢばるい~。

十二個使い切るまでのあいだ、トイレに行くのがかなりブルーになった。ぼくはウォシュレッターなんで紙の消費量が少ないから、使い切るのにえらい時間がかかって難儀しました。

それからというものトイレットペーパーを買うときには香りつきのものに気をつけなくてはならなくなった。んだけど、店でいつも値段のほうからしか見ないぼくの目がまず行くのはたいがいが香りつきなんである。ネピアとかエリエールとかどこにでもあるメジャー商品の多くが知らぬまにそうなっている。んで、トイレットペーパーは不本意ながら仕方なくちょっと高めの(特売でない?)ものを買ってくるわけである。香りつきでない商品はむしろあまり聞いたことのないメーカーのものがそうだったりする。古紙再生紙使用とかいう地球に優しめ、お尻に固めのものがそうだったりする。

これはそういう要望が消費者の側からあるんでしょうか。〔何か香りをつけて消費者連合(略称:何香連)〕なんて圧力団体があるとか?

トイレットペーパーにつける香りが安っぽいのは仕方ないとしても、頭が痛くなるのだけはなんとかしてほしい。っちゅうか、そもそもが安っぽいにおいというのは頭が痛くなるだけなんで余計なことをしんといてほしい。

 

と、誰かぼくのかわりにもっとていねいな言葉で製紙会社に苦情を言っておいてくれませんか。

 

はからずもここに、〔余計な香りをつけないで消費者連合(略称:余香連)徒ら草支部〕が発足しました。何香連とは不倶戴天。

|

2007年9月15日 (土)

あの人がいない

Top_yellow夏休み明けにからめて「夏休み明け」と題して高校時代の下手な思い出話を書いていたら、にわかに椎名誠の『哀愁の街に霧が降るのだ』を読みたくなった。

前にも書いたけど、ぼくは椎名誠を中学や高校の頃によく読んでいた。この本は氏が二十歳の頃に友だちと六畳一間の安アパートに四、五人で共同生活をしていたときの話だ。なんとも濃厚な貧乏やんちゃ話が満載で、女っ気の少ない展開もあいまって、中学から男子校育ちのぼくは、変なお兄さんたちの生き方にある種憧れにも似た気持ちをもって読んだものだ。毎晩欠くことなく酒を飲み続ける堕落した生活だとか、飲み屋が昼間に出すカツどんはうまいだとか、炊いたご飯を四人なら十文字、三人ならベンツのマーク、二人なら一文字としゃもじで平等に分けてから食うだとか、いくつものエピソードはその後のぼくの一生ネタになってしまっている。このブログでもなにを隠そう、なにも隠してないけど左横の「編集中記」というのは、あんまりネタバレさせるのもなんだからどこがどうとは書かないけど『哀愁の・・・』にモロ影響されている。

そんなふうだから椎名誠が『週刊金曜日』の編集委員になったとき、創刊時からの読者だったぼくはもうワケもなくうれしくなったものだ。毎週の氏の表紙写真と何週かに一度のエッセイが読めるようになったことでこの雑誌はぼくにより身近なものになった。

で、高校の時の停学話や「勉強合宿」の話を書いて当時を思い出していたら、の話であった。とどのつまりがそんなこんなでもう矢も盾もたまらくなって『哀愁の・・・』を本屋に買いにいったのである。

実に二十年ぶり以上のことになる。あらためて読んでみると、ああこんな展開だったか、と忘れていたこともいっぱいあったけど、ケラケラと椎名誠を読みふけっていたあの頃の自分と基本的に感性がなにも変わってないことを再認識した次第。

この本の「解説」で、吉本隆明が椎名誠を現代の太宰治になぞらえているらしいことを知ったけど、ぼくに言わせれば氏は太宰というより坂口安吾である。わたくしの敬愛する坂口安吾である。

坂口安吾はぼくが今住んでいる所から十分ぐらい行った所に昭和十二、三年の頃一年ばかり下宿していた。その家は今も現存している。駅に行く途中、横道にそれるとそれはある。時々その家の前を通りながら心の中で手を合わせて気合いを注入している。

そんな坂口安吾から椎名誠への流れが「無頼派」の水脈なのである、ぼくのめちゃ少ない読書量で判断すると。そしてその先にいるのがぼくである、ぼくの貧弱なミーハー根性で希望すると。闘魂伝承。

ちなみに言っておくけど、この無頼派の水脈はぼくのところで「頼りない」の無頼派に微妙に変化するんで、そこんとこよろしく。

椎名誠の本では、共同生活者でもあった親友沢野ひとしがさし絵をよく描いている。一度でも見たことがある人には説明不要だろうけれど、氏のヘタウマのイラストは一度見たら忘れられない。この強力タッグは週刊文春でコラムを連載しているんで今度コンビニに行ったら立ち読みでもしてみてください。本文に関係あるようなないような「ヒロシの言うことはいつでも正しいのね」なんてセリフを吐きながら風に髪をなびかせる女の絵が唐突にあったりして(これは他の著作のどっかにあったやつだけど)、なんかこれがまた椎名誠の文章とからみあってすてきなのである。

そして気づいたことは、当ブログ『徒ら草』では無頼派を気どってどれだけ一生懸命に文章を書いたとしても「沢野ひとし」がいないということである。時々ぼくは自分でさし絵をつけているけれど、ありゃま、これは著者本人のさし絵ではないかい。これでは売れっ子漫画家が調子ぶっこいて書いてしまったエッセイみたいじゃないかい。しかも他人の似顔を描く能力をほとんど持たぬゆえ登場人物はほぼ自分だけだし。

誰か、ぼくの「沢野ひとし」になってくれる人はいませんか?

そうか、いませんか。いませんよね。じゃあいい、自分で描くわ。

Photo

|

2007年9月10日 (月)

夏休みの宿題

Top_yellow さて、前回より夏休みも明けてブログを再開したわけだけど、夏休み明けといえば宿題の提出というのが相場である。というわけで、今回は夏のあいだにあったあんなことこんなことをまとめて記事にしたいと思います。

まずひとつめ。

7月の終わりに参議院選挙があった。のは、みなさんまだ覚えてますよね。よしよし。

で、ぼくは選挙というのはほとんど期日前投票(かつては不在者投票といわれていたけど)で済ます。その際宣誓書みたいなのに名前、住所、生年月日などを記入するわけである。

そこにいつものごとく生年月日を西暦で「1967年」と書いたら、受付のおばちゃんに「昭和何年ですかあ」と聞かれた。んで、「さあ~、いつでしたっけかね~」とニッコリ笑ってすっとぼけた。これもまあいつものごとくである。おばさんが不慣れな感じでパソコンをいじりだしたら、隣のおっさんが小声で「ぼくがやります」とタッチ交代とあいなった。

おじさんはパソコンをカタカタしながら西暦から元号に変換作業開始(見えてないけど多分そんなことをしていたはず)。

そこで、「いつまで元号で書かせるんですか」と聞いてみた。

「まあ、日本では元号でねえ・・・、カタカタ」

「いつまでも時代遅れですねえ・・・、ケラケラ」

役所に行くとだまって帰ってこれぬのである。ちっぽけな抵抗を試みるのである。次は「明治100年」と書いてみようか。うそちゃうし(明治元年は1868年ですよ、ちなみに)。「平成19年から40を引けばいいんですよ」ととても親切に答えてやってもよかったかもしれんが。

みなさんも免許の書き換えとかいろんなところで書かせられる生年月日の元号表記を西暦で書いてみるとよい。今回みたいに愚直に聞き返してくる人もいれば、「アホは相手にせず」な姿勢でだまって西暦に斜線して元号に書き換える人とかいろいろいて面白い。

さてふたつめ。

次の写真を見ていただこう。

Photo_6

後ろが黒っぽくてちょっとわかりにくいけど、これはアピタのかばん売り場で見かけたものである。ぼくが言うところの腰かばん、みんなが言うところのウエストポーチに付いていた札である。「旅のトラベルポーチ」。

暑さも去って旅のトラベルにいい季節になってきた。ぼくもまた旅のトラベルに出かけたいものである。もちろん旅のトラベルポーチは旅のトラベルには必須アイテムである。

みっつめ。

次の写真を見ていただきたい。

Photo_5

ちょっと小っちゃくて見にくいから拡大写真をどうぞ。

Photo_4

これはコンビニにあったメロンパンである。と思って買ってきたのであるが、家に帰ってよく見ると、あちゃー間違えた、メロンを買ってしまったよ。

仕方ないので食べてみたけれど、食感はよく食べるあのメロンパンとそっくり。「ちぎれる」とあるんで手でちぎったけど、手も全然べたつくことがなくて確かにこれはいい。

ただ、これをメロンと思って買ってくると、「なんだこれは。ただのメロンパンじゃないかっ!」ということになるので注意していただきたい。ああ、ただではなかった。110円であった。安いメロンである。

 

と、こんなものでよろしいでしょうか、夏休みの宿題。

夏休みの宿題ってぼくよく考えてみれば、中学二年の時に「真っ白の本に創作絵本を描く」という美術の宿題をひと夏かけて作って以来、一度もやったことがないのであった。その時はことわざの絵本を作ったんだけど、BGMにまだあまり聴いていなかった初期ビートルズ、つまり『プリーズプリーズミー』から『ヘルプ』までの五枚のアルバムをくり返しくり返しくり返しかけながら描いていたものである。

そうそう、次の年の「板でほぞを組んでなにか作る」というこれまた美術の宿題でたばこ盆を作ったんだった(中一の時だったかも)。この時はほぞのところをぼくがやって、あとは兄が「ああやれ。こうやれ。ヘッタだなあ、かしてみろ」と八割がた作ってしまったわけなんだけど。実家に帰ると今も現役で使ってます、このたばこ盆。

夏休みの宿題はちゃんと通知表に反映されていたようだけど、やっても意味のない宿題なんかで点数を取ることよりも、夏休みには遊ぶことのほうが大事ですよね、みなさん。

何年か前、お盆のお経でまわった先の檀家さんの小学生の子どもが遊んでばっかりで夏休みの宿題を全然してないらしくて、親から「おしょうさん、なんか言ってやってくださいよ」と言われて、ここはほんとのことを言うべきか、いやいやここではやっぱりお坊さんらしいことを言うべきなのかと、つくり笑顔のまま石になってしまったぼくでした。

|

2007年9月 5日 (水)

夏休み明け

Top_yellow ぼちぼち暑さの峠も過ぎたようです。ですので、『徒ら草』もぼちぼち再開しようかなあと思っております。

夏休み明けといえばぼくの場合高校三年の時である。

その年の夏休み、ぼくは、「受験生というより高校生としてこの夏を過ごしたい。ゆえにたんまり遊ぶのである!」と意を決して、毎日遊んだのである。もちろん坊主のたまごとしてお盆の手伝いはしたけれども。ノーお盆、ノーサマー。

なんかその年の夏休みは、そのひと月ちょっとのあいだが一年も二年もあったような気がするぐらい充実した時間を過ごしたものである。

たとえば。

勉強合宿と称して、三重県は美杉村に学校が持っていたちょっとした宿泊施設に四、五日ばかり行った。

「夏休みに勉強合宿をしたいと思います。他のクラスにも呼びかけますが、行きたい人はいませんか?」

ホームルームで担任の先生「パパ」がそう言うと、「お、それいいなあ、行こまい行こまい」と挙手する者たち。ああ、なんと! このメンツではパパの期待にちょっとそえそうにもありません! 毎晩酒盛りになってしまいそうです! ニコニコするぼくたちと先生のガクッとうなだれる姿がすべてを予感させるのであった。

結局、総勢二十人ほどの「有志」がパパに引率され美杉村に向かった。ガラガラの列車でははやくも網棚にのぼりだすやつまでいたわけで、ぼくたちはもうウキウキ気分そのもの。

昼間は問題集なぞを開いたフリをしているものの、案の定、夜になるとバンガローでは誰からともなく服を脱ぎ始め、日が変わる頃にはラジカセの音楽にあわせてすっぽんぽんで踊り狂ってしまうのであった。朝になってもいつまでも起きてこないぼくたち。するとパパは、「みなさん、もうずいぶんと日は昇ってますよ。おや、怪しげなるものが見えますねえ」と枕もとの灰皿や飲み残しのコップを横目にしながら起こしにきてくれた。

ある日様子を見にきた隣のクラスの担任は、「見てはいかんものを見てしまう」との理由で、誘ってもぼくたちのバンガローには絶対に入ろうとしなかったものである。めんどくさがりの教師における賢明な判断である。

夕方風呂に入って、「おまえのはナスだな」、「おまえのは台湾バナナだ」、「おまえのはキュウリっぽいなあ」、「いかんて、立たんがや」などとムスコ較べをしていると、ガラッと窓が開き、パパが「湯加減はどうですか」なんてこともありました。

勉強する部屋の押入れには布団といっしょに、同じ学園の女子校もこの施設に来るのであろう、救急箱の中に生理用品が入っていた。ひとつ取り出してかわるがわる股間に当て、「ふーん」と女子の気持ちを思ったりしたものである。保健の勉強の自習である。

男子校は最高です。

早朝モヤでかすむ中、「さあ今日は山に登りましょう」とのパパの掛け声のもと、頂上に着けばきっと晴れているという根拠ない希望をいだきながらえっさえっさ山に登り、結局頂上に着いてもなんの見晴らしもなく、湿度百パーセントの中だらしなく笑いながら下山してきたり、最終日花火をした時も、「火のほうは、みなさん持ってますね」とパパに言われるが早いかぼくたちはポケットからライターを取り出してローソクに火を着け、わしゃわしゃと煙まみれになりながら最後の晩を楽しんだのである。

ちょっとした修学旅行な感じだった。パパの意図とはちょっと、いやいや大いに違っただろうけど、学年全員で行った修学旅行なんかよりもずっとずっと楽しい「勉強合宿」だった。

パパ、ほんとにほんとにありがとうございました。

 

と、そんな風だったから、夏休み中に日参していた喫茶店へ、夏休みが明けても学校帰りに寄っては、
「サトミさあ、おまえね、セブンスターなんてものは高校生が吸うたばこなんだよ。男ならラークだて」
「おれらは高校生だでいいんだて」
「あのさあ、高校生はたばこ吸っちゃいかんのだに」
「そ、そうか・・・」
などとトロい会話をしながら、ウダウダしていたわけである。

が、それまでの夏休み中の私服とは違って制服姿だったのがどうも店の近所のオヤジのカンにさわったらしく、学校に通報され、見事喫煙で停学と相成ったわけである。

Photo_2

喫茶店に先生が入って来た時、ぼくは入り口を背にして座っていたんで、吸殻のたまった灰皿を机の下に隠そうとする友だちの姿に「またまたあ。そんなことしておれをかつごうったってそんな手には引っかからんよ」と笑いながら友だちの視線の先を見ると、「おまえらなあ。吸うならどっかもっと遠い店で吸え」という顔でほんとに生活指導の先生が立っていた。あちゃーっ。

顔と人数を確認されたのち、あとで学校に来るように言われ、学校まで友だちと、「♪たまらーん、たまらーん、たまらーんぜー、たまらんこけたら、みなこけた、たまたま」と、『傷だらけの天使』でショーケンが口ずさんでいた歌を歌いながら歩いていったものである。

こうして長いながい夏休みが明けて一週間後に、再び一週間のお休みを学校からいただくことになった次第である。捕まる直前までいたツレに災厄が及ばぬあたりは、「聞かれてもいないことは言わぬ」という、それ以上追求するのがメンドくさい学校側も含めたみんなの「阿吽の呼吸」というやつですな。

さて、その日とっつかまった者の中には当日が誕生日の者あり、二回目の停学でひと月以上の長期休暇をいただく者ありと、各家庭ではそれぞれのドラ息子たちの扱いにそれぞれが悩んだことでありましょうが、わたくしめの場合、父がわが校の教師をしておった関係上、非常に気まずいことになり、母に「どれだけ迷惑かけているのかわかっているのかっ!」とど叱られ(母もまた中学校の教師であるのでありました)、生まれて初めて、後にも先にもその時にだけではありますが、土下座をして父に謝ったのでありました。校長室で説諭を受けた際にも、友だちの親はわたくしたちの後ろに立っておりましたが、わが父が隣の職員室からやってくることはございませんでした・・・。

 

青春である。これぞ青春である。素敵な青春の夏休み明けのひとコマである。

けど、もうそんな素敵な夏休み明けがこの年齢になってあるわけでもあるまい。夏休み前と変わらず、ごとーびにブログを更新していくだけである。

そういう風でよろしくお願いいたします。

|

2007年7月30日 (月)

しばらく夏休み

Top_blue_37

さて、もうすぐお盆がやってくる。お盆がくるとぼくはふだんのグウタラ暮らしから足を洗って如法に生きる。如法に生きているあいだはブログなんてやくざなこととはしばらくおさらばである。

というわけで、ひと月ばかり『徒ら草』をお休みします。

昨年の夏はお盆直前に親父が急逝してハチャメチャなお盆になったわけだけど、そんなことはもうなしにしたいところである。

 

父の死んだ年令に自分を重ね合わせると、ぼくの人生もあと三十五年ばかり。親の年令まで生きられるかどうかなんてなんの根拠もない話だけれど、そんな想定をしてしまうのも、ああ、ぼくも人の子なんだね。母親はおかげさまでピンシャンとしているんでそっちに重ね合わせてもいいんだろうけど、まあどっちゃにせよいつまで生きられるかなんて根も葉もない勝手な思い込みにしかすぎない。

寺では毎月寺報を出しているわけだが、『アカ坊主、上等!』と題して、赤く生きてきた父の追悼文をそこに書いて以降、ブログというやくざなところよりかはもう少し公的な責任を持つ寺報でも、これまで以上に遠慮なく言いたいことを書くようになってしまった。このことが父が死んでからのぼくの一番の変化だろうか。なんかふっきれた。

 

物言わぬは腹ふくるる思い。みなさんもいろんな場面でそんな思いをしながら日々を過ごしているんでしょうが、ぼくはこれまで以上に言いたいことは言うよう努めてまいる所存でございます。それで人に後ろ指を指されようが貧乏になろうがそれがなんだというんでしょう。

七十年なら一瞬の夢さ
やりたくねえことやってるひまはねえ

なんてことをマーシーはブルーハーツで歌っていたけど、まあそういうこと。ここで文章にするのもめんどくさいほど言いたいことはある。あとからあとから言いたいことはどんどんと出てくる。

かといって、それを全部吐き出したところで、そもそもぼくのようなゴマメがなにをどう言ったところで、なにがどうなるというわけでないのも百も承知。「アホに言ってもわかりっこないし」とか思いながら難しい話はもうやめにして、相手に合わせてどうでもいい与太話に興じたり黙っていることもしばしば。

なれども、それでもどこかでなにかを言わぬと気がすまぬのは、とどのつまりが物言わぬは腹ふくるる思いの不快さがそうさせているのかもしれない。

 

腹ふくるる思いを抱え込みながら生きていかなければならない悲惨さか、そんな思いを抱え込みながらでも生き続けていくことができる図太さか、そもそもそんな思いを持っていないのか、人のことまでよくわからないけれど、ぼくの場合あと三十数年、言いたいことを言っていてもなんとかやっていけそうな気がする。根も葉もない話ではあるけれど。言論の自由万歳である。民主主義万歳である。

 

まあそんな感じで、秋からのブログ再開以降もよろしくお願いいたします。

|

2007年7月25日 (水)

夏の予感

Top_blue_35 携帯電話を変えた。これまでツーカーだったけれど、ツーカーは来年の春になくなる。ツーカーから毎月毎月、同じKDDIグループのauに変えろと領収書を送ってくるたびに訴えてくる。電話までかかってきて早く変われと催促してくる。で、そんなこんなをしているうちに「二年間の契約をお約束いただくと料金をお安くさせていただきます」な割引サービスが夏明けぐらいに切れることを思い出し、このたびauにした。

すたれゆくもの愛好家のぼくとしてはツーカーがなくなるまでつきあってみようとも思っていたけれど、かといってツーカーに特別の思い入れがあるわけでもない。というか、携帯電話自体に特別の思い入れがあるわけでもないんで、安けりゃなんでもいいやというところだ。

ほんとのところは新しい機種や料金プランを考えたりするのがいろいろとめんどくさくてほったらかしにしていたかったわけで、同じグループなら勝手に吸収合併すればいいものを、同一電話番号、同一メールアドレスのままなのに機種変更の手間をこっちに押しつけてくるのがなんともバカにしている話ではある。どんな都合があるのか知らぬがしょせん会社側の都合であって、こっちにいろいろと手間ひまをかけさせても平気な顔をしていられるのはゴウマンといおうか、まだまだ新しい分野の「世間知らず」な業界なんだなあという気がする。こんな時期までツーカーを使っているような人というのはそんなにあっちゃこっちゃと機種やら電話会社やらを変えたりするような人も少なかろうに、まったくもってとんだとばっちりである。

とはいえ、もう新しい物にしたわけで、そうするとまた操作のしかたを覚えなおさなくてはならない。

機械いじりが嫌いなわけではないけど、かといって好きでもない(「趣味聞かれ機械いじりといいにくい」なんて川柳がありましたなあ、柳沢大臣)。そもそもそんなに携帯電話自体に思い入れがあるわけでなし。だからといって覚えずにすむというわけにもいかない。あーでもないこーでもない。

使わなさげな機能がいーっぱいある。なにげにボタンをさわっていて「なんじゃこれっ? うわっ表示が元にもどらん! あわわ音が鳴る鳴る鳴る、とまれ、とまれーっ!」みたいなことになるのも困るんで、使わなさげな機能も含めてひと通りは説明書に目を通す。これがぼくの主義である。性格である。だからぶあつい説明書、というより「説明本」を前にしてとても疲れる。困ったもんである。この夏のいいひまつぶしになりそうな予感。

|

2007年7月 5日 (木)

ぼくの失敗

Top_blue_31 お酒を飲むとぼくはしばしば記憶をなくす。飲んだ次の日、「うはあ、よう飲んだわ」なんて目を覚ましてきのうあったことを思い出そうとしても、なにがあったか細かいことは覚えておらず、「きのうは楽しかった」ということしか覚えていない。

同居人も同じ席で飲んだときなんかだと、なにがあったか聞いてみると、「へえ、そんなことあったんだあ」という具合で、楽しかったことの具体的なことなんてすっかり抜け落ちているわけである。で、「あんた、きのうこんなこと言っとったでえ。トクトクと。しかも何べんも。ほんまに覚えてへんのんか?」と、ぼくがしゃべっていたことを聞かされると、うーむ、まったく覚えていない。

しかし、ぼくが偉いのはここからである。言ったことはすっかり忘れているわけであるけれども、「そうそう、そういうことは普段から思っとることだし、うんうん、それならおれ言っとるわ」と、酔ったときの自分(同居人は「サトミⅡ」と呼ぶ)の発言に「なるほど」と感心してしまう。

よく「酒の席での失敗」なんてことがあるけれども、パターンとしては酒の席での暴言なんかはありがちな話。けど、ぼくの場合そういうことがあまりない(はず)。それというのも普段から思っていることは口に出しているからなわけで、もちろん普段は気が小さいんで「思ったらすぐ言う」なんてことはないけども、でもいずれ機会を見ては人に言ってしまうことがほとんどなんである。それが酒の席で、「イズレと思っていたそのイズレがまさに今おとずれたのである。みなの者、おれの話をよく聞くのだ!」と思ったのであろう、ペラペラクドクドとしゃべりだしたわけなのである、「サトミⅡ」が。

だからぼくは酒の席での暴言は少ない(はず)。そのぶん普段からの暴言が多い(かもしれない)。ある意味、常に本音で生きる男。これは楽である。人から逃げるときには人混みに逃げろというやつで、普段から言いたいことを言い放っておけば酒の席での「暴言」なぞは薄まるわけである。髪の毛が薄くなって剃髪してツルハゲピッカリンにしたら、人から薄いと言われることがめっきり減ったのと同様なわけである。

ぼくはたとえ人の悪口を誰かにこそこそ言っていても、いずれそのことは多少の表現の違いはあっても本人に伝える。こうなるともう悪口ではない、批判である。時と場合によっては批判のほうが悪口よりもタチが悪いかもしれないけれども、まあそういうこと。

 

ぼくは自分がそういう風だから、たまに人から失礼千万な態度を酒の席で受けると、「これがこいつの本音なのね」と思って、結構根に持つのである。言ったことは忘れても、言われたことは忘れてませんよ。

 

とかいいつつ、暴言系以外の失敗の場合(ほぼセクハラがらみと思われるわけであるが)、これもまた普段から思っていることをなんかかんか「表現」したものばかりなんで、なんていうんでしょう、酒の席での失敗というよりは「サトミⅡ」を含むぼく全体が失敗なわけで、ほとんど言い訳無用、ごめんなさい、すみません、許して、ひゃあもう逃げよう、になるのである。トホホ。

|

2007年6月30日 (土)

剣玉少年のような

Top_blue_30 ギターを弾くのは楽しい。うまくないけど、楽しい。でも、弾けなかったフレーズやここぞというときにここぞなフレーズが弾けたときには、なおさら楽しい。

一生モノのギターというのがある。どんなギターがそういうものかはもちろん人それぞれなわけだけど、ぼくの基準としては売値が十五万円以上のものであればよろしいと思っている。それ以下だと、長いこと使っているあいだにいろいろと生じてくるギターの不具合の際の存外高い修理費用にビビってほったらかしになってしまいがちだからである。

ギターを弾いてない人は、「一本十五万以上~っ?」などと思ってしまうかもしれないけれども、他の楽器、たとえばサックスとかクラリネットとかを見てみたまえ。激安初心者用廉価版のものはさておき、二十万ぐらいのが最低ラインだったりするわけである。そう考えると、ギターは比較的安い楽器である。

で、ぼくには何本かの一生モノのギターがある。それ以外にも安物のやつやガラクタみたいのも何本かある。ウチに遊びに来た人がそんなギターを見ると、「何本持っているの?」ということにあいなる。引越し屋にも、積んであるギターケースを見て「プロのかたですか?」と言われたことがある。「おい、おまえ、俺のギターを聴いたことがあるのか? こんな腕前でプロといえるのか?」と、心の中で意味不明の逆切れをしつつ、「趣味ですよ、趣味」などといっている次第である。話のネタに「そうです、プロです」と言ってやってもよかったかもしれないけど。

趣味といっても、同様な趣味を持っていない人には相当な入れ込みようと思われても仕方ないのも確かなわけで、では、はてさてぼくはどんな気分でギターを弾いているのか、わかりやすくいうと剣玉が好きな少年に近いノリである。ただ楽しいからやっているだけで、たとえいくらうまくても剣玉で飯が食えるわけでもなく、でもなんかの拍子ですごいワザができるとみんなから「すごい、すごい」といわれていい気になれる。すごいワザができれば本人もうれしいし、かといってできなくても楽しいからカタカタとやりつづける。そんな感じ。みなさんも趣味というのはそんな感じじゃないでしょうか。

「そうか、おれは剣玉少年のギター版だったんだ」ということに気づいたある日、剣玉を買ってきた。剣玉には「公式競技用」とかという規格があるらしくて、それを手に入れた。ふーん、剣玉業界もすごいことになっているんだなあ。

で、やってみたわけだけど、全然うまくない。不器用者の悲しい定めである。三日もやって部屋の片隅にぶら下げられたままほったらかしになっている。

でもいいのいいの、ギターが楽しいから。

|

2007年6月25日 (月)

不惑の丁羊の男

Top_blue_29 この前の五月の誕生日で四十を迎えたぼくだけれども、そういえば四十才というのは不惑というんだった。

三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にしてなんとやら、などと、不惑というのは確か論語で言われていたこと。不惑。惑わない。昔の人は偉いねえ。ぼくなんか一人立ちはおろか、まだまだ惑いの真っ盛りである。

四十になったからといっておっさんになったという実感がわかない。ぼくの心持ちとしては二十三、四才で止まっているものの、二浪して大学に入ったことやヒゲを生やしている見た目からか、学生のころからまわりから「おっさん、おっさん」と言われていて、ぼくはもうずいぶんと長いあいだ周囲からの評価としてはおっさんなわけである。ぼくとしても繰り返しそう言われつづけ、さらには髪の毛も薄くなりツーファー(痛風持ち)にもなってしまえば、いやが応にも多少なりともおっさんであることを内面化せざるを得ない。そんなこんなで、四十になってもおっさんになった実感がわかないというより、ようやく実年令がぼくに追いついてきたという感じだ。

四十になったのを機にこの際しばらくのあいだ、年令を聞かれたら、「五十五才です」とかと大きく逆サバを読んで、「ええっ、お若いですねえ~!」なんて言われてみるのも気持ちがよりいっそう若返っていいかもしれないなんてことを考える今日この頃なんである。早く老成すれば、ぼくの「年令」を知った若い子からは電車やバスで席を譲ってもらえそうだし、なにかと都合がよさそうでもある。

さて、「年つながり」ということで話をすすめますが、よく「一つ年上の女房は金のわらじを履いてでもさがせ」なんてことが言われますなあ。ぼくも年上の人は好きなんでそれはそれでかまわないんだけれども、ぼくの一つ上というのは「丙午(ヒノエウマ)の女」というやつである。例の、気が強いだとかダンナを食い殺すだのとかいわれているあの人たちですよ。

小学校では各学年四クラスだったのが一学年上だけ三クラスしかなかったから、子どものころから「なんでかなあ」なんて思っていたけど、ぼくの年における「一つ年上の女房」と「丙午の女」の関係にこの年になってようやく気づいたのである、ぼくは。

で、ぼくの周りにいる該当者を思い出すと・・・。うーむ、そうかあ、ああいうのを気が強いというのかあ。あの人やあの人は、逃げようにも金のわらじを履いているんでノロノロとしか走れないダンナをとっつかまえて食ってしまうのかあ。そうなのかあ、やばいなあ・・・。

「丙午の女」の人と一緒になって食われてしまう(しまった)男性はそりゃ多いんでしょうが、やっぱりその中でも金のわらじを履いて探し回ったあげくに犠牲になった一つ年下の「丁羊(ヒノトヒツジ)の男」は、期待が大きかったぶんだけ痛手は大きいんじゃないでしょうか。

「一つ年上の女房」対「丙午の女」、どっちの言いぶんに利があるのかぼくにはわかりません。不惑といっても悩み多き年ごろのぼくです。

|

2007年6月10日 (日)

寒い国、日本

Top_blue_28 この季節、寝ていると、朝、寒くて目を覚ますことがしばしばである。

夏にむかってまっしぐらのこの時期に何を言っているのかと思うことなかれ。暑がりの人にはわかるだろうけれど、暑がりな上に寝相が悪い子ちゃんのぼくは、五月の半ばか終わりぐらいのころから、寝ているあいだに暑くなってフトンをけっ飛ばすことがヒンパンになるのである。

季節が進んで真夏ともなれば、クーラーをガンガンにかけっぱなしで寝ようとも、フトンをけっ飛ばし、さらにはシャツやパンツまでをも脱ぎ去って、目が覚めるとスッポンポンなことも少なくない。まさに裸の王様状態である。酔っぱらって帰ってきてそのまま寝つけばその頻度はさらに上がる。

で、この季節、さすがにフトンなしで寝ていると寒い。ので、それで朝、目が覚める。

うー、さぶっ。裸の王様は寒いでいかん。寝とれん。

「ナントカ還元水の悩水大臣自殺!」。とうとう閣僚から自殺者まで出してしまった安倍晋三首相は、もう本格的に裸の王様化しているんだろうなあ。顔や名前を見聞きするようになったころから思っていたことではあったけど。

ことここに来て、参院選を前にしてのどたばたな強行採決っぷりの政治運営は見ちゃおれんもんなあ。サラブレッドとか言われてちやほやされっぱなしで育ってきて、ある意味、切り込み隊長として右翼政治家仲間からいいようにババを引かされている感がないでもない。けどなあ、でもなあ、切り込み隊長は基本的にあまり大物がすることではないぞ。総理がそれでいいのか、おい。

都合が悪くなると急に早口になるわ目が泳ぐわで、本人も自分が小粒だということをわかってないことはないんだろうけど。ウソをついてもすぐバレると言おうか、本心ではちがうことを思っていることがモロバレと言おうか。

いろいろと大きく見せようとしているんだろうけど、そうすればするほど、「大きく見せようとする小物」にしか見えてこんしなあ。裸で寒くないんだろうかなあ、あの人。気づいてるんだろうかなあ。だとしたら、それはそれでかわいそうだなあ。だーれも言ってやらんのだろうかなあ。誰かツレだったら言ったれよなあ・・・。

なあなあうるさいなあ、おれ。

なんてことを思いながら目が覚める裸の王様のぼく。起き抜けのときにしばしばある突拍子もない連想思いつきで、「裸の王様」からいろんなことが頭の中でぐるぐる回転する。

寒い国、日本。

はやく目を覚まさないと、ほんとに風邪ひいちゃうよ。

|

2007年6月 5日 (火)

難しいことを簡単に

Top_yellow_19 難しいことを簡単に書くということ、これはとても大変なことだ。

実家の寺が檀家さんに毎月配る寺報に書いているぼくの文章は「難しい」と檀家さんからしばしば言われる。ぼくにしてみれば特段難しいことを書いているつもりはないけれども、難しいかどうかを判断するのは読み手なんで、これには従うしかない。

「簡単に書こうと努力しているんですけれど、文才がないもんで」と、殊勝なことを言ってはみるものの、心の中では(このぐらいのことは読みこなしてくれよう)と軽く涙を流していたりする。んだけど、簡単なことを書いているつもりもないから、つまりは普通のことを小難しく書いているということになるわけである。さすがにそれではいけない。せめて、普通のことを簡単に書かなくてはならぬ。

確かにぼくの文章は兄や母が書いたものにくらべると一番こなれていないとぼくも思う。だから簡単に書くこと、これもまた修行と思ってそれなりに努力はしているのである、毎月。でもぼくは浅学非才にしてまだまだ未熟者なのである、ぐすん。

世代論というのは決着もつかなければ負けることもない議論である。その世代に対する身勝手な印象をもとに勝手に話が進められて、まことに都合がよい。「今どきの若い者は」と話を始めれば、よっぽどデタラメでもないかぎりどうとでも格好がつこうというものだ。

悲観論もまた負けないパターンである。悲観的な予測が当たれば「ほれ見たことか」でいけるし、思ったほど悪くない結果が出たとしても「悪くない結果」の中でみんな悲観的な予測があったことなどすっかり忘れてしまう。だいたいからしてアラ探しをすればどこか悪いところは見つかるものだ。実に都合がよろしい。

さて、今月のぼくの寺報の文章は「悲観的な世代論」である。もう無敵である。

それもこれも、先月もとある檀家さんから「もっと簡単に書いてくれていいんですよ」と、イヤミなのか本心なのかわからぬがそんなことを言われてしまい、それが頭にこびりついてはなれず、原稿を書こうという気に全然なれない、それでも月末の締め切りは迫ってくる、「うーん、もうっ」と、いやいやワープロをカタカタ打ち始めエイヤッと書き上げた、そういうことだからです。ぼくが軽いリハビリ気分で適当に書くとこうなる、というのが今月の文章。日頃考えていることをなるべく考えているままの言葉で、でもちょっとだけ大人で書いてみました。

と、ここまで前フリをすれば、さてそれはどんな文章であるかみなさんも読みたくなってきたことでしょう。ということで先月につづき、今月分のもここに転載して紹介してみましょう。

 

Photo_3

まったく今どきの中年は

 

この五月でぼくも四十才になった。精神年令はまだまだそんなに大人になっていないけれども、外だけ見ればすっかりおっさんなわけで、「今の若い子は」なんてことを言ってもなんの違和感もなくなってしまった。「今の子は」と言い出したあとにはたいがいが否定的な響きを持った言葉がつづくものと世間では相場が決まっている。

まあ、そう言うほうは経験を積んできた大人として一言いいたくもなるわけだが、自分自身のことを考えてみるに、はてさてそんなに立派な「若い時分」を送ってきたのだろうかと思うことがしばしばだ。ぼくたちだって上の世代から「現代っ子」だとか「新人類」などとずいぶんな言われかたをしてきたものである。

 

ぼくたちは「受験技術」にしかすぎないものを「勉強」と詐称して平気な「偏差値教育」の中で育ってきた。高校生の時だったか、「今の子は偏差値の高い人を人間的にもすぐれていると思う傾向がある」なんて話を聞かされ、胸に手を当て、なるほど否定し切れなかった自分がいたことを思い出す。

「勉強ができる人=頭のいい人=いい人」の図式はなにも偏差値教育の中で育った人間にかぎらず、多くの人が持ちやすい人間観のひとつだろうが、偏差値で輪切りにされることが当ったりまえの中で育てられれば、それはより強まりこそすれ弱まることはない。せっかく本当の「勉強」をしに大学に行ったところで、偏差値で序列化されている大学名を聞かれることがあっても、何を専攻したかを聞かれることのほうがよっぽど少ないのが現実である。

 

偏差値教育にまつわるあれこれだけでなく、遊ぶ場所もどんどん減らされ、横のつながりもどんどん断ち切られていくような生きかたをさせられてきたのだと、ぼくは自分の世代をそう思っている。学校で不自由を感じたときぼくはそれなりに反抗的に過ごしてきたつもりでいるけれども、「学生運動」なんて夢のまた夢、ぼくも含めて同世代の人間は概しておとなしいものだったと思う。

 

「今の子は」と言うとき学校にからむ話にはことかかない。いまその学校で中堅の教師としてがんばっているのがまさにぼくの世代である。体制に順応することには長けている世代なだけに、学生時代に学校や教師とまっとうなケンカのひとつもすることなく卒業しそのまま教える側に立っている人間も少なくないだろう。

そうであればこそ「日の丸・君が代」が強制されようとも文句を言うでもなく、教育基本法が改悪されようともさして騒ぎになるでもなく、今度の「教育三法案」でさらに現場のしめつけがすすもうとも(教員免許の十年ごとの更新制だなんて、なんだあれは)唯々諾々になっているのだろうなあ、と思うのである。まじめに子どもや教育に向き合っている教師ならこうしたことが引き起こす「現場の苦しみ」を持っているにちがいないだろうが、それに対してのケンカのしかたを知らないであろうこともぼくには同世代の人間として手にとるようによくわかる。

同世代の親についてもこれまた同様。

 

今の子どもたちがそんな教師や親を見てどう思っているのかぼくは知らないけれども、もうすでに教員志望の学生が減りつつあるなんて話を最近耳にした。

 Photo_4

 

同世代をエサに日本人をメッタ切り。

ぼくがどんな気分で生きているか、ね、わかりやすいでしょ? 

えっ、まだわかりにくい? そうか・・・。

|

2007年5月30日 (水)

ネギ

Top_blue_25ぼくはネギが大好きである。どのぐらい好きかというと、子どもがドラえもんを好きなぐらい好きである。家でネギを切らしたことはほぼない。卵やタマネギとともに我が家の常備品である。

ただ、青ネギは買ってきて何日かするとすぐにしなびてくる。学生のころは店で売っている量が一人暮しの身には多いんで、買ってきてすぐ使う分以外は刻んで冷凍保存をするようになった。今でも基本的にはそうしているんだけど、冷凍ネギというのは風味が落ちる。刻みたてのネギを10とすると5かそこらである。邪道であることは百も承知ではあるけれども、でも黄色くしなびてしまうのも忍びないので、すぐ使う分以外は冷凍する。

鍋物なんかに多用する白ネギはそんなに早く傷まないから、そんなに気をつかうこともないけど、薬味としては青ネギに軍配があがるから、ぜひとも青ネギを常備しておきたいところである。

先日、いつものように青ネギを刻んでいざ冷凍庫にしまおうとしたら、まだ使い切ってない分がだいぶとあって、狭い冷凍室に入らなくなってしまった。で、刻んだまま台所に置いておいたわけだけども、好きな食べ物を見てほっとけないのが人間である。夕飯の残り物の煮物の中にどばっと入れて夜食にした。翌朝も納豆にふだんの倍ほど入れた。んもう、うまいっ! やっぱり冷凍ネギはいかんなあとしみじみ。

刻んだあとの根っこは土に埋めとくとまた生えてくる。刻んで食う。うまいっ。

よくスーパーなんかで片手一杯分ぐらいの刻みネギをパックに入れて百円程度で売っている。ああいう用意周到なものが手元にあれば、ぼくには納豆にどばっと入れて二・三回分の量である。ネギの原価もしれているだろう。商売をするならぼくはそういう割のいいおいしい商いがいい。二十円か三十円のものを刻んで店に並べるだけで百円になる。これは百円玉を十円玉に両替すると二十円か三十円しか渡さないようなものである。うむ、そう考えれば、銀行が両替に金をとりたくなるのもしかたないのかもしれない。割のいい商売はやめられない。

ネギを刻んで炊き立てのご飯にたっぷりとのせてしょうゆをかけて食う。これが実にうまい。ただし大人の味である。こういうのを子どもがうまいうまいといって食べていたら、ませたガキである。

それにしても、みなさん、店で売られているネギは量が少し多いと思いませんか。もうちょっと「一束」を減らして単価を安くしてくれたらいいとぼくは思います。冷蔵庫のない頃は余ったぶんをどうしてたんだろうね。

|

2007年5月25日 (金)

諧謔過剰なハシカ

Top_blue_27大学生にハシカが流行しているそうですね。もうすぐ、そう、あした二十六日に誕生日を迎えめでたく四十になるぼくぐらいの世代までは、ハシカというのは子どものころにどっかで拾ってきたものだ。

かつて若者がマルクス主義だ、実存主義だなんだかんだとかぶれてしまうのは、世の大人からは「ハシカみたいなものだ」なんて言われていたそうな。要は、子どものころに一度はかかるもの、そうやってみんな大人になっていくものだ、と。学校を卒業して社会に出るとそんなこともすっかり忘れて体制化してしまうことへの皮肉や、逆に、そんなものは子どもの考えだなんて意味もあったんだろうけど、若いころのある種の純真さは社会のゆがんだ姿に敏感に反応するというのは至極当然のことだ。

ぼく自身は大学の時分に真っ赤っかな思想に染まって、大人になっても治らず、いつのまにやら「ハシカ」が慢性化してしまい、いまだに赤い発疹が出つづけているわけですけども、当時周囲を見渡してみても「ハシカのように」そんな思想にかぶれる人なんてあんまり見当たらない時代でした、もうすでに。

そんなぼくの学生時代の話でさえ今は昔。それから十五年、二十年たって、いまやホンモノのハシカがはやるなんて、なんかすごいですね。ハシカで全学休講って、おお、バリストみたい。

大学生のことを「学生」ではなく「生徒」と呼ぶ世の風潮について、学生が高校生化しているからこれまた仕方なしのことか、なんて以前このブログでぼやいてみたけれども、この前もどっかのテレビの情報番組で局アナが大学生のことを「生徒」と言っていて、それをまわりの誰も注意も訂正もせず、そのままスルーする場面を見かけた。局アナがだよ。なんともはや。

大学生に尊敬する人物を聞くと圧倒的に「親」という答えが多いのだと、大学の教授の嘆きを先日耳にした。だろうなあ。今の若者に社会性を求めるのは無理あるもんなあ(若者だけではないけどね)。「親以外で尊敬できる人物は?」という質問なら、サンタンたることになるんだろうね。

にしても、いくら学生が高校生化どころか子ども化しているといっても、ほんとのハシカがはやることないではないか。イヤミにもほどがあるぞ、ハシカ菌。

|

2007年5月20日 (日)

富士山の高さ何個分

Top_blue_17 「その莫大な金額、一万円札にして積んだとすると富士山の約2倍」なんて言いかたがされる。一万円札を富士の高さまで積むというその雄大な発想、すてきですね。積めるほどのお金のおこぼれにレンガ一個分でいいからあずかりたいものだ。

それはそれとして、この場合、富士山の標高「ミナナロク」、つまりは3776メートルの高さが基準となるわけである。で、標高というのは海面からの高さなわけだけど、ふつう富士山に登る場合、静岡なりどこぞのしかるべき海辺から富士山の頂上を目指すなんてことはないわけで、何合目かまでは車なりなんなりで行って、そこから山登りを始めるものだろう。となると、「実際の富士山の高さ」というのは3776メートルではない。

先ほど《富士山 ゼロ合目》で検索してみたところ、浅間神社がそれだとかいろいろあったけど、標高900メートル辺りのところを「ゼロ合目」にする説が有力と見受けた。つまり山の高さとしては2876メートルということらしい。

中には「本州全体が富士の裾野である」というぼく好みの意見もあった。「どこぞのしかるべき海辺」を田子の浦であると主張して、そこから富士登山をはじめる酔狂な人もいるらしい。あははは。

冒頭の「一万円札にして積んだとしたらウンヌン」というのはある量をわかりやすくイメージさせるためのたとえである。で、この場合、ゼロ合目からの山の大きさがそのイメージに浮かぶのであって、決して海からの高さじゃない。新幹線なんかの車窓から、「あっ富士山!富士山! でっかいなあ」なんて見ているのも、海辺からの高さに感心しているわけじゃないから、まあそういうことでしょう。となると、例に出した「約2倍」でいうならば3776メートル×2=7552メートル。これを実感の富士山の大きさ2876メートルで割ると2.62586・・・となるわけで、「一万円札にして積んだとすると実感富士山の約2.6倍」となるわけである。まあ富士山の約2倍と約2.6倍とにいかほどのイメージ差があるかといわれても、どっちも「たっかいなあ」という感じでしかないから、どっちでもいい話にも思えるわけだけど。

太平洋の沖合いにある日本海溝の底(8020メートルだそうな)から富士山を見上げると一万メートルをはるかに超える。もうどえらい高さでぼくにはもうよくわからんちんどもとっちめちんなので、わかりやすくたとえていうと、ざっと富士山の3.1倍、実感富士山の約4.1倍である。わかった?

そうそう、冒頭の富士山の約2倍の一万円札って一体いくらなのかわかりません。自分で例に出しといてナニですけど、気になる人は何らかの方法で調べてください。

それと、同居人に「富士山の高さって『皆悩む』で覚えるんとちゃうの?」といわれた。ぼくは何の意味もないけど「ミナナロク」と覚えたわけだけど、「皆悩む」だと3,7786メートルと間違えはしまいか。エベレストもなんのその、世界一高い山である。ざっと富士山の10.007倍、実感富士山の約13.1倍。

そんなら「ミナナロク」も376メートルに間違えたとしたら、これは決して日本一の山ではなくなるね。人の覚えかたにからんでいる場合ではない。これだと富士山の約0.0996倍、実感富士山の約0.13倍。

もうええか。

|

2007年5月15日 (火)

かばんを反対がけ

Top_blue_2ぼくは肩かけかばんを左肩からななめにかける。少なくとも中学生のときには通学かばんを左肩からかけていた記憶がある。これをたまに右肩からかけると、逆にしただけなのに思った以上に違和感がある。利き手や利き足と逆の手足を使うのは、事と次第によっては違和感をこえて「こりゃムリだ」になるだろうけど、かばんをふだんと逆にかける程度のことだと、なにも変わらない日々の暮らしの中で、ちょっと新鮮です。

かばんをいつも同じ肩にかけているのは体のゆがみが影響していたりするんだろうなあ。ぼくの場合、自分の立ち姿がうつった写真を見ると、背すじをのばしていたつもりなのに右肩が少し下がっている。そんなことも関係しているんだろうかね。

そうそう、数珠(ジュズ)というのは合掌するとき以外は左手首にかけておくものだけど、これをたまに右手にかけてみるととても違和感を感じる。これはあくまでも慣れの問題だけども、なんかの加減でお経を読んでいる最中に数珠が右手にかかると、スキを見つけてモゾモゾとかけ直す。

と、こんな話をちょこちょこ入れては、ぼくがお坊さんだということをみんなに思いだしてもらいますよ。ナム~。

違和感といえば、少しおかしな箸の持ちかただったのを矯正して二年くらいたつ。最初はとてもヘンな感じだった。そりゃそうだね、三十数年やってきたことを変えるわけだし。けど、もうすっかり慣れた。

で、箸というのは毎日毎食使うものだからみなさん気づいてないだろうけど、いかに手の筋肉を使っているか、ぼくは矯正する中で知った。「正しい箸使い」を始めたころは手の平の小指側の筋肉がとても疲れた。ときどき、以前のおかしな持ちかたで箸を使ってみると、今度は親指側の筋肉が疲れる。「箸より重いものを持ったことがない」という言葉があるように、箸を使うのに筋肉もへったくれもなかろうがと思うかもしれないけど、結構使っているものなんですよ、筋肉。

利き手や利き足とかクセみたいなものは、ホントなんの気もなしにやっていたりするものだけど、これをたまに逆にすると、だれにも気づかれず極私的にこっそり違和感が楽しめる。「引き裂かれた自己」なんて大げさな話ではないけど、肉体と精神とはベツモノであることを軽く再確認。

|

2007年5月10日 (木)

論理の飛躍こそ独自の思想

Top_blue_23 論理の飛躍にこそ、その人独自の思想が含まれている。

論理は誰でも追いかけることが可能だし、きっちりと整合性がとれているなら、場合によってはその論理の展開を先読みすることも可能だ。いわば人と共有可能な思想を展開しているわけである。

が、論理の飛躍はまさに飛躍しているがゆえに、他人には予測不可能。明示的に表現された文章の展開の中にではなく、むしろ論理の飛躍という隠された論理の展開にこそ、その人にしか生み出せない独自の思想が含まれている。

もちろん独自の思想も他人に理解されなければ意味のないことだから、論理の飛躍もできることなら埋め合わせしていかなければならないことだが、字数が限られている場合などはそういうわけにいかないこともある。そんなときにこそ「論理の飛躍=独自の思想」は大きく顔を出してきて、よりその人らしい文章になるのではないかと思う次第なのである。

以上。今日はここまで。

|

2007年4月30日 (月)

二人がけ、三人がけで声をかけ

Top_blue_16 なんやかやと新幹線にたびたび乗る。新幹線の座席は真ん中の通路をはさんで二人がけと三人がけになっている。

もっぱら自由席車両に乗るわけだけど、ガラガラならいざ知らず、ある程度の乗車率だと空いている席の横には誰かがいるもので、そんな時は「ここ空いてますか?」とひと声かけてから座るものだ。その人の連れ合いがトイレかなんかで席をはずしているだけかもしれないからね。でも考えようによっては空いていれば黙って座ればいいとも言える。だって空いてるんだし。それでもひと声かけるのは、「はい、すみませんよ」というあいさつみたいなもので、かけられたほうも「どうぞ」ってなものですね。

でもでも、よくよく考えると、「ここ空いてますか?」と声をかけられたとき、「さっきまでいた隣の人、別に知り合いでもなんでもないんだけど、上着は網棚にのせたまま、かな? いかにもトイレ風情で席をはずしただけだと思うんだけど、でももしかして降りたの、かな? よくわからん」なんて状態だったりすると、「どうぞ」と気軽には言えないし、そうかといって、「い、いると思、います、よ・・」といるほうに重点を置くのも、混み始めてきた車内の様子からすると「この人もしかして座れないかも」な思いが交錯して、「あわ、わ、わわ」と結構しどろもどろの返事になるはずだ。

さっきまで隣に座っていた人がいかにも降りていった風情だったとしても、座席の前の網かごに雑誌が入っていたりすると、さらに「あわ、わ、わわ」度はアップ。

その人がヤクザ風情の人だとしたら、万が一にも帰ってきて「ワレ、ここに雑誌がはいっとるのが見えんのんけえ。わしの席じゃあ」なんてことになったりするのを想像してしまえば、「あわ、わ、わわ」度はさらにアップアップである。

巷間よく言われているような、ギスギスした世の中、これがさらに進んだら、「こういう声かけもなくなってしまうんだろうか」と、ふと思う。声かけせずに腰かけてみたところで、たとえそれでなにがしかの問題が起きたとしても別におおごとになるわけでもないだろうけど(ヤクザ風情がらみはおいといて)、こういうビミョウな緊張感というのが世の中からなくなってしまうのは楽なようでいて、なにかいけないことのような気がする。

小心者のくせに偉そうなことを思う今日のぼく。それにぼくが乗るのはもっぱら名古屋と京都のあいだ。つまりのぞみならノンストップ、途中で人が乗ってくることもないから声をかけられることはほとんどなく、かけるばっかり。小心者のうえになんか身勝手。

|

2007年4月25日 (水)

権威のお坊さん

Top_yellow_17もうかなり飽きてきた法然上人の法語集の現代語訳。

法然上人の死後に弟子が集めた手紙や、「法然上人はこんなことをおっしゃっていた」と弟子が書き残したものがたくさんあって、ざっと千ページの本になっている。日常勤行の中で法然上人の教えのエッセンスをごにょごにょと読むために、そうした言葉の中からかいつまんで一日一話、二ヶ月分、都合六十二話にまとめて法語集になっている。もちろん古文なんで、ウチの寺の檀家さんに気楽に読んでもらおうとせっせかと現代語に訳しているわけである。

始めてからもう二ヶ月か三ヶ月かのんびりとやりながら、だんだんと飽きてきながらも、だいぶと目鼻がついてきた。で、今は最後の見直しに入っているんだけど、いまだにどうしようか悩ましい部分がある。

たとえばある法語は、「左様な空言をたくみて申し候うらん人をば かえりて哀れむべきなり」と、いきなり始まる。「左様な」が指しているソラゴトの内容はおおもとの原典を見れば直前部分に書いてあるからもちろんわかるけど、それを取っ払ってのいきなりの始まりなんで、この法語集を読む人にはチンプンカンプンの出だしなわけである。

またたとえば。念仏の際に大切な三つの心構え「三心」のうちの一つ「回向発願心」を説いた法語では、「カクカクシカジカでもってウンヌンカンヌン。これを回向発願心と名づく。この三心を具しぬればかならず往生する也。」なんていう具合で、「おいおい。一つしか書いてないぞ。あとの二つは?」などと、ひとりツッコミを入れることとあいなる。「回向発願心」のことを書くんだったら他のとこからでも引っ張ってこれるだろうによ。

これ以外にも「なんじゃ、ここは」というところはいろいろあって、はやい話が要するに、いい加減なんである、抜粋のしかたが。

訳するにあたってなめるように読んでいると、この法語集が作られたのは江戸時代なのか明治なのかよく知らないけど、いずれにしろお坊さんがまだまだ権威を持っている時代、その権威にあぐらをかいて「わけわからんけど、なんかありがてゃーこと言っとりゃーすぜ」で事がすんでいた時代背景というのが透けて見えてくるわけである。こういう法語を読みあげてそれでよしとできたのも、お坊さんに権威があればこそのオウヨウとしたのんびりな時代のたまものである。

今もまだその権威は完全には失墜していないところがあるから、ぼくもごにょごにょとやってすましてしまうことがなきにしもあらずだけど、いざこうして「わかりやすく」ということをめざしてやってみると、なんか一昔前の人ってぼくなんかよりもずっといい加減な人だったんだなあ、なんて思ってしまうのである。

あっ、あっ、あっ、こういうの「慢心」だといって法語で諌められていました。対治慢心。なむあみだぶ、なむあみだぶ。

寺の経済的基盤は、長らく檀家制度や荘園制以来の地主制度をうまく利用してお布施をいただく「装置」にしてやってきたと考えればよろしい。おかげであまり「稼ぎ」を気にすることもなくのんびりと「権威」を持ってやってこれた。けども、農地解放以来六十年、檀家制度も怪しくなってきた今日、お坊さんが「権威」によりかかってやっていられるのもこの先そんなに長くない。

仏法を聞く「だけ」でお布施をする奇特な人はめったにいないだろうし、かといって葬式に精を出せば「葬式仏教」だなんだかんだと非難されて、お寺も受難の時代である。

「権威のお坊さん」という僧侶イメージから僧侶は解放されなくてはいけない、ぼくはそう考えているわけである。

他宗派の人はいざ知らず。お坊さんにも人それぞれスタイルというのがあるから、どのお坊さんもそうなるべきだとも思わない。ほんとの意味での宗教的権威までいらないとも言わない(誰もが身につけられるもんじゃないけど)。

けども、「愚者の自覚」とか「ともに凡夫」、「智者のふるまいをせずして」などと浄土の教えを説くなら、そこからもっとも遠い「権威のお坊さん」にいつまでもしがみつていてはやっぱりだめでしょう。時代にあった新たな「装置」もなしに「権威」でやっていられるのは、檀家制度や地主制度が残存しているその分だけ「権威」が保たれているに過ぎない。

Photo_10

「権威のお坊さん」のイメージを持っているのはお坊さん以外の人も強く持っているだろう。「お坊さんって肉食べていいの?」なんて会話は数知れず。ああ、そんなことを聞いてくる人には、浄土の教えを説くことでイメージを解くしかない・・・。

なんてシャレてみたりして。

・・・・・・・・・。

坊さんだって、肉を食べる。坊さんだからって、子どもを亡くした親の悲しみを消し去る魔法の言葉を持っているわけじゃない。それはみんなと同じことです。

 

「坊主たるものかくあるべし」と縛られて一番キツイのがまずもってお坊さん自身だったりするものだから、ぼくはお坊さんとお坊さんな話をしていてもあまり面白くないと思うことが少なくないわけである。

 

なむあみだぶ、なむあみだぶ。

|

2007年4月20日 (金)

三日間くらい食わんでも死なんけど

Top_blue_22最近またプクプク太ってきたんで、ダイエットを始めた。ぼくのダイエットはまず三日間メシを抜くことから始まる。医学的にどうとかなんて知ったこっちゃないけど、そうして胃を小さくしてからその後のことを考えるわけである。

断食中の三日間の空腹のつらさは、「三日くらい食わんでも死なん」と自分に言い聞かせることでなんとかするわけである。思い込みの強いぼくにはこのぐらいのことはワケないのである。気分はプチ力石徹なのだ。♪行け~、荒野を。おいら~、ボクサー。

が、メシを食わぬというのは空腹のしんどさもさることながら、こう、なんていうんですか、なんか生活の中でリズムがとれない。「そろそろメシの時間だな」というのもなければ、実際に食べることもないわけだから、「ふう、おなかポンポン。ごちそうさまでした。さあ○○をしよう」ということがない。ティータイムないしはコーヒーブレイク、もしくはタバコで一服というのも、そうすることでうまいこと生活のリズムをとっているわけであるけれども、食事というのはそれよりももっと大きな生活のリズムをとっているのだなあとしみじみ感じるのである。

この感じをたとえていうなら、そう、ボットン便所で用をたしたのと似ている。事を終えても水を流さないと、なんとも「終わった感」がないあの感じ。最近ではボットンなんてほとんどないけど、たまーにそういうとこで用をたすと、なんか忘れ物をしているように感じてしまう。事を終えた時点で本体業務は終わっているけれど、最後にちゃんと水をジャーッと流すことで「完了しました」というのを無意識的に感じているんだね、ぼくたち現代人。Photo_8

で、食事をしないで一日を過ごすのは、この忘れ物をしてきた感覚と似ていると思うのである。

食事と水洗便所のこの意外な共通点。だからなんだと言われても、まあ、ただそれだけのことなんですけど。

ナッチの話題はどこへ。あー、おなかへった。

|

2007年4月15日 (日)

温故知新 バイ マイセルフ

Top_blue_21 以前友だちと二人でやっていたブログを久々に見てみた。仮にその友達の名前を「エロキ」としよう。エロキは当時外国に住んでいてメールでやりとりをするうちに、それがいつのまにやら二人でカワリベンタンで記事を書いていくブログへと発展したわけである。

都合一年ちょっと、今と同様実名でやっていたんだけど、ぼくのだんだん過激になっていく記事が帰国してきたエロキに迷惑をかける可能性がなきにしもあらずということになってきたんで、五千万読者の惜しむ声に後ろ髪を引かれながらも、やめることにした。ぐすん。

で、読み返していて思ったこと。

Photo_7それは、今と違って自分の記事を必ず読む具体的な相手がいるから、それを意識した書きかたになっていて、それが文章にとてもいい緊張感を与えているのである。このブログでも日に百万のヒット数をかせいでいるのだから常に人目にさらされているわけだけど、「相方」もしくは「編集長」とでもいうべき内部から目を光らせている人間がいるということは文章に締まりが出てくるものであるものだなあと感じた。

それが今やかなりダラケてますわなあ。この甘い姿勢は、多分、一人でやっているブログのほとんどで同じことが言えると思う。

あと、エロキからの要請で「記事はできるだけ短く」ということもあって、ちょうどこの段落で終わるぐらいの記事も少なくなかったことである。『徒ら草』では百万読者のみなさまに冒頭の「記事の長さ表示マーク」を表示しているけれど、それでいうなら以前のブログのほとんどは青マーク(短いの)である。それでいて、足りないわけでもない、言いっ放しでもないちょうどいい加減で書いているわけなんですよ。

ところがいまや一人舞台の『徒ら草』では、ほらこの通り、段落が変わってもまだ終わる気配なく書かれているでしょ? 長さにかかわりなく一つの記事にかけている時間は以前も同じぐらいだったから相当に推敲していたわけですね。

内容は、この画面の左横『編集中記』を本文記事にまで発展させたようなものもあったけど、エロキがこれまた人をちょうらかす(=おだてて調子にのせる イン名古屋弁)のがうまいものだから、ぼくもその気になって、ちゃんとそれを本記事として読めるようになるまで引き上げていたのである。偉いぞ、おれ。と、エロキ。

と、温故知新、といっても自分の書いてきた記事によってであるけど(どこまでもアイラブミー)、気分も新たになったところで、次回はまず手始めに、『編集中記』で今いち押しの「ナッチ」ことNHKの首藤奈知子アナウンサーをネタに記事を書いてみますか。

いや待て。書きためた記事がまだちょっとある。国民投票法のことだって書かんといかん。ふざけるな、バカボン総理! 有権者がもうちょっとだけ賢明な判断ができれば、絶対こんな人間は政治の中心になんかおれんのになあ。もったいないよなあ、参政権。

まあボチボチとやっていきますよ。

|

2007年4月 5日 (木)

『徒ら草』はごとーび刊です

Photo_5 『徒ら草』はごとーび刊ですが、いやあ、一日間違えて、今日記事を出すつもりが昨日に出してしまいました。ということで、昨日の記事が今日の分です。

四月一日付けの突発的季節物記事と連続したんで、読者に誤解を与えぬよう、いわゆる訂正記事というやつですか、それをしてみました。昨日も今日もわからんくなってきたわ。アハハハ。

ちなみにぼくは、何年前だったかのこと、一月二日に「今日は何日?」と聞いたことがある者です。そういう風でよろしくお願いいたします。

|

2007年4月 4日 (水)

花冷えびえ

Top_blue_20 今年の冬は結局、本格的な寒さがほとんどないまま終わった。二月があったかいかと思ったら、三月は少し冷えたものの、お彼岸のころにはすっかり春で、どこかのお天気おねえさんは、「冬物の衣類はもうクリーニングに出してもいいと思いますよっ」と言っていた。コタツをしまうのがまだしばらく先になりそうな我が家からすると、ずいぶん思いきったことを言うなあと思ったものだけど、さすがに若い娘さんである、おしゃれ関係にはよく気が回る。

と思っていたら、昨日、今日と少し冷える。京都では最低気温二度、最高気温十一度だそうな。これだけ冷えると花冷えなんてのではないね。これでは、春物でさっそうと決めてお出かけすると、さすがに寒いよね。

以前、天気予報の人が、「天気予報で雨は大丈夫と言ったのに、翌日雨が降った時には傘をささずに濡れて家に帰る」なんてことを言っていたのをテレビで見たことがある。つまりは、それが天気予報をやっている者のケジメである、ということですね。いやはや、みあげたものである。こういうのを高い職業意識とでもいうのであろう。

それを見ながらぼくは、この人にはぜひとももっと高い職業意識を持ってもらうために、「明日は雨です」と予報したのに雨が降らなかった時には傘をさして家路についていただきたいものであると思ったものである。

雨が降っている中を濡れて帰るのは、どうかすれば風邪をひいてしまうかもしれないから、天気予報の人みんなにやってもらうにはちょっと酷な話である。一方、曇り空の下、傘をさして帰れば、すれ違う人から冷たい視線が突き刺さるだろうけども、テレビに出ている人なわけだから「あっ、天気予報の人!」と気づかれ、「そうそう、昨日は確かこの人、雨が降ると言っていたねえ」なんてことを思い出されて、その変人を見る視線はだんだんと責任感の強い人を見る目に変わるに違いない。近所の人からも、「あの人、律儀よねえ」とすっかり評判になるはずである。風邪をひくなどという実害もないし、ぜひともそうしていただきたいものである。

と、この話でいけば、先の「冬物をクリーニングに出してもいいですよ」と言ったお天気おねえさんには、この何日間かはヤセ我慢をしてもらうことになるわけであるけれども、お天気おねえさんにもっと責任感を持ってもらうためにも、ぜひともそうしていただきたいものである。

けど、風邪はひかないでね。

|

2007年4月 1日 (日)

せっかくなので

Top_blue_19 先日ブログの初代女王、真鍋かをりからメールが来ました! 

「いつも楽しく読んでますよ(^0^)」

と。同じココログつながりだからか? 読んでいたのか・・・。

と思っていたら、新ブログの女王、しょこたんからもメールが来ました!

今度BSでやるブログ紹介の番組で、
この『徒ら草』を取り上げさせて
くださらニャーすけ\(^o^)/
〓しょうこ〓

と。このブログは知らぬまに業界で評判になっているのか?

 

今日は「ごとーび」でもないのに、記事を書いてしまいました。

ああ、今日は四月一日。

|

2007年3月30日 (金)

鼻づまりは一人暮らしのもと

Top_blue_18 同居人がインフルエンザにかかって、ぼくにもうつるかと心配していたけど、幸いそんなことにならずにすんだ。ぶんじょうけんパワーであろう(エンガチョとかギッチョとかとも言うらしいが)。ぶんじょうけん、あなどれない。

同居人はインフルエンザの重篤な症状は治ったものの、いまだに鼻づまりがなおらず、のどが痛いと言っている。39度の熱を出したのが生まれて初めてのことだったらしく、そんな、頑丈なだけが、健康なだけが、他に何もなくても病気になったことがないということただそれだけが、ただただそれだけがとりえだった同居人にしてみれば(ああ…)、インフルエンザにかかったショックもさることながら、長期の鼻づまりはたいそう不愉快らしい。鼻のかみすぎで鼻の下を赤くしている。

先日買い物に行った折、ティッシュのコーナーを見ていたら、「5個298円」の横に、1個250円もするティッシュがあったんで、裏の能書きをみると実に高級品であることを訴えている。多分、この季節、花粉症の人向けなんだろうけど、箱も銀色の柄があしらわれていて、いかにも「高級品ですよ」な風情である。で、一つ買ってきた。

帰ってきて、「ティッシュ買ってきたよー。高級品だよー」と申し伝えると、同居人はさっそく封を開け鼻をかんだ。

「ブーッ。あらまっ! ほんと痛くない。ブーッ、ブーッ」と、たいそうご機嫌である。ブーブー言っているのは文句ではなく、鼻をかんだ音である、念のため。

「ちょっとかんでみ」と、ぼくにも使えという。ぼくは鼻がスースーなんだけど。と言っていても始まらないし、せっかくなんでかんでみた。「シューッ」。全然よさがわからない。「シューッ、シューッ」・・・。

ほうほう、ヒゲか。ぼくには立派なヒゲが生えているから、高級品と普通のティッシュの良し悪しがまったくわからないわけである。

そこでみなさん、風邪をひいたりして鼻をかむ機会が増えそうだなと思ったら、鼻の下痛い痛い予防のために十日ほど前からヒゲをのばしておくことをおすすめします。花粉症の人にもきっとおすすめです。子どもは仕方ないけど、女性のかたは、そうだなあ・・・、どうにかしてがんばってみてください。

そうそう、高級ティッシュを買えばいいんだよね。風邪をひいてからでは買いに行くのもしんどいだろうから、買い置きをお忘れなく。

さて、さらに。先日酔っ払って帰ってきて、「おなか減ったよー。なんか食う!」と台所に行ったら、ぼくの大好物「UFO」があった。お湯をそそいで待つこと三分。お湯をきってソースをまぜまぜしてフーフーして、ふと隣にいる同居人を見ると、「一口あたしにもー」な目で見られているのが常のことなのだが、今日は目がちがう。

「どうしたん?」と聞くと、「匂わん。全然匂わん」と言って、くやしそうにコタツにもぐりこんでしまった。

ほうほう、鼻がつまっているから匂わんのね。フフフ、今日はゆっくりUFOを一人じめできるのね。

そこでみなさん、もし一人じめしたいオヤツがあったなら、同居人が鼻づまりのときに食べることをおすすめします。自分が食べたいだけなのに二つ買う必要もなく、その二つ分をなんと自分の分にまわすことも可能なわけです。一人暮らしの人にはそんな苦労はありませんが・・・。

そうかあ、一人暮らしか。一人暮らし、いいなあ。

ああ、一人暮らししたい。

|

2007年3月25日 (日)

勉強をしようと思ったわけであるが

Top_blue_15 マイブームである法然上人の法語の現代語訳の勢いをかって、法然や浄土教、仏教関連の本をいろいろと読んでいる。そういったものを読みながら思ったことなぞは、おいおいこのブログでも書いてみようと心の中で算段しているけれども、今日はそのことよりも、そのちょっと以前、言ってみれば今のぼくのように大人になってからの勉強についての話である。

今は仏教の勉強というより、直接には古文(一部漢文)の現代語訳をやっているわけで、高校時代そういうのが嫌いだったわけじゃないけれども、それほど得意というわけでもなかったんで、あらためてちょっと復習がてら参考書にもなりそうな本を手に入れようと、「なんかいい古文や漢文の入門書はないかいなあ」と、このまえ本屋に行ったさい探してみた。といっても、どこを探せばいい? やっぱり学習参考書のコーナーかなあと思いながら、遠目でそちらのコーナーを見ると、いかにも「受験対策!」な雰囲気だ。

そういうところにはあまり近づきたくないので、まずは源氏物語や奥の細道がおいてある古典文学のコーナーのすみっこやら、古語辞典周辺を見てみた。けど、案の定というべきか、なかった。

こうなればしかたない、受験とは関係ない「学習参考書」というものが学習参考書のコーナーのすみっこにでもあるだろうと、こんなとこに来たのはもう何年ぶりになるのか、「古文」「漢文」のコーナーに行ってみた。

当然ほとんどのものは受験対策もしくは学校の授業の補習教材めいたものばっかり。学習参考書コーナーというのは皆さんも思い出していただければわかると思うけど、同じ本がズラーッと並んでいるから、他の書棚とは雰囲気が違う。そうそうこんな感じだったねえ、と、受験生だったころの重~い気分がよみがえってきた。

そうした中から「イカニモ」なものでないのを何冊か手にとってみた。けれど、結局は、「これ一冊で受験がどうのこうの・・・」だとか、「高校生、受験生諸君の学習の助けになるべく編集をうんぬんかんぬん・・・」だとかである。もちろんそうした参考書でも、うまくまとめてあるやつはぼくの望みにかなうのがあるんだろうけど、前書き能書き緒言を読んでいると、なんか自分が子ども扱いされているようで、なめられた感じがしてきて、結局その日は買わんと帰ってきた。

結局、生涯学習なんてのは押し花・ドライフラワー教室だとかパソコン教室だとか写経教室みたいな「文化教室」、もしくは「資格講座」のタグイのことであって、学校の授業でやるようなことは、点数に直結する参考書しか世の中にはないのかあ、なんてしみじみ思った次第。

世で受験勉強といわれているのは、勉強とは名がついているけれど、ぼくに言わせればしょせん受験技術。重なるところは少なくないけれども、大人になってあらためてこの手の本を手にとってみると、いかに学校教育が受験に毒されているかがよくわかる。

|

2007年3月10日 (土)

御法語を訳すその途中で

Top_yellow_15誰もがそうだろうけど、ぼくは、人に点数をつけられるようなことが嫌いだ。ぼくが最後に人からつけられた点数は、大学を出てすぐに取りにいった自動車免許の時だと思う。

この前書いた『熱しやすく冷めやすく』という記事。あそこではぼくの凝り性っぷりと飽きっぽい性格のことをつらつらと書いたわけなんだけども、今は、あたかもお坊さんのように法然の法語の現代語訳に熱中しているわけである。この前は、「その手の分野の学部の学生が三回生の夏休みの宿題でやる程度のこと」などと書いたけど、なめてました。

大学の宿題なら、読み手は仏教や浄土宗の基礎知識はある程度もっていると想定して書けばいい。けどぼくの場合、ふつうの檀家さんが相手である。興味を持って読んでもらうかどうか、内容に関しては法然の言葉にしたがうまででぼく一人でどうかなるわけでもないからいいとして、毎月配っている寺報の手ごたえからいって、手にとってページをくってもらうには、仏教用語はなるべく使わないことにしないとダメ。漢字が多くてもダメであろう。でないと、手にとって「漢字多いなあ、難しいこと書いてありそうだなあ」でちょんであろう。

ところが、というべきか、当然のことながらというべきか、原文は用語バリバリ、用語は漢字オンリーである、法語というのは。それを仮名多め、用語少なめの現代語に訳すと決めたのである。そしてやり始めて気づいたのであるが、この編集方針はめちゃくちゃハードルが高い。

原文にせっかくある和語も言い回しが古く(あたりまえだ)、現代語とのあいだにビミョウな意味のズレがあってそのままでは訳文に使えぬ。原文の意味はぼく自身はわかっているのに(いちおうお坊さんですし)、いざ訳文を書きだそうとするとフリーズすることしきりなんである。

詳細に原文を読み込むと、古文にありがちな、明示されてない主語や目的語がくるくると入れ替わり、誰の何のことを言っているのかわからない言い回しも頻出。ひとまずはある程度の逐語訳をしてみないと、そこからの「意訳」もできないから、基本的な言葉の用法もめんどくさがらずにあっちこっちの辞書にあたりまくり、時には読み下し文で書かれてあるものを漢文に戻してにらめっこの末なんとか訳出、などというありさまである。

参考にしようとしていたネット上の現代語訳付き法語は、それなりに勉強をした人がやっているようで、宗学を専門に学んでないぼくのどえらい勘違いな読み間違いを気づかせてくれて、大いに参考になっている(誤訳がないわけではないけど)。けどよく読むと、訳しづらくて一番参考にしたい部分がどばっとハショって訳してあったりして、そのままいただくには「うーむ」という感じである。

一方、仏教書専門店で仕込んできたアンチョコになりうるその手の本は、全六十二話分そろわなかったのがタマにキズではあるものの、原文だけではつながりがわかりにくくて誤解していたようなところまでよくわかる訳文である(誤訳がないわけではないけど)。「おっ、これはいただきか?」と思うものの、いかんせん、ぼくが訳文には使わないと決めた用語だらけ。なるべく簡単にという編集方針が頭をよぎって、丸写ししようとする悪い子ちゃんのお手々は固まってしまう。なむあみだぶ、なむあみだぶ。

古文を現代語訳にしたものを、さらに一般向けの「ほんとうの現代語」に訳すのってメチャクチャ大変。なむあみだぶ、なむあみだぶ。

口では説明ができても文字だけだと誤解しやすい響きになったり、補助的にたとえを入れようとするとあれよあれよと原意から遠く離れていったりして、字に残すかと思うとあんまり適当なことも書けない。「念仏以外の修行は愚かなわたしたちにはハードルが高い」などとカタカナ語を使うのもよろしくない。「はげます」という言葉が「気分をシャキッとさせて」という意味で使われていた部分では、「プチハッスルして」がぴったりなんだけど、これももちろんダメである。うごーっ、うがーっと、誰のためにか、何のためにか、一人悩んでいるわけである。ちょうど今の自分にぴったりなんだけどね、プチハッスル。

懸案だった「ルビ付き縦書き三段組み」の装丁も、本屋でしかるべきハウツー本を買ってきてあれやこれやといじくっているうちに、「一太郎」を買わずともなんとかなりそうになってきた。それにしても「ワード」っちゅうのは、わざと使いにくくしてあるのかと思うほどに不親切な設計。迷路のなかに宝物が埋めこんであるという感じか。たとえ地図があっても迷路は迷路、歩きにくくてしかたがない。

  

そんなこんなをしながらふと思う。もしこの現代語訳作業を他人とくらべられて点数をつけられるんだとしたら、ぼくは多分、作業を始めて三日後には「もうやーめた」になっていたんでないかと。ぼくの人生、思い返せばそういうふうで赤点もらっても平気だったんで、落第なんかノープロブレムである。「アカ」といわれることも平気だし。って、関係ないか。

で、ぼくがこれまで熱しやすく冷めやすくやってきたことも、誰からも点数をつけられることなんかないところのものがほとんどなんではないかと思い返してみたりするわけである。点数をつけられるかと思うと熱する前に冷めてしまう。というか、そもそも熱しない。

おお、だからか、点数になるような勉強にほとんど関心を示さなかったのは。おお、だからか、大学を二浪もしてしまったのは・・・。

ただ、中学、高校の「古文」の時間は、『徒然草』なんかがおもしろくてあまり苦痛を覚えることもなく勉強していた。おかげで古文への苦手意識はあんまりない(エフェクター作りのさいに感じた「電気」への苦手意識とはちょっと違う)。「受験技術」にしかすぎないものを「勉強」といって平気な顔をしている「偏差値教育」の中で生きてきたぼくにとって、点数がつく勉強はそれだけで「けっ」とケツをまくりたくなるシロモノであるけど、「古文」に関しては今回の現代語訳で大いに役立っている。中高程度の「古文」「漢文」の知識でも、法然上人の言葉ならある程度はなんとかなるものぞ(誤訳しないわけがないけど)。とりあえず辞書の引きかたがわかっているだけでも全然ちがう。というか、「辞書の引きかた」「資料のあたりかた」が、独学じゃあなかなか身につかんところなんだわなあ。若人よ、勉強しときたまえよ。好きなことを勝手に勉強しときたまえ。

さて、この現代語訳の作業を終わらせるためには、いやがおうにも浄土教の勉強をすることになる。といっても、しょせん独学、中途半端なものになるだろうし、そもそもこれまでほとんどそれらしいことをやってこなかったんだから、しょせん大したものではないにちがいない。資料をあたるのにもすごく遠回りをしてしまって、時間の割に空回りばっかりでどえらい疲れる。

だいたいからして何ヶ月もこんなことに熱中しているとは思えない・・・。

いかん、いかん。飽きる前に早いとこ目鼻つけとくぞっ、俺! おうっ!

 

と、最後に。ここまで読んでいただいたみなさまに、今日の言葉の豆知識。

物が壊れてパーになることを「お釈迦になる」といいますね。それは、ハンダづけのさいに火が強いと失敗をする。「火が強かった」をお釈迦さんの誕生日の「四月八日(しがつようか)」としゃれたんだそうな。

角川書店の『類語国語辞典』(この辞書は抜群に便利)の語句説明のとこで脱線気味に書いてあった。著者もこの小ネタを言いたくてしかたなかったんだろうね。で、それを読んだぼくも言いたくなったの。

|

2007年3月 5日 (月)

お風呂で思うこと

Top_yellow_14この前ライブをした日は、前日に友だちがウチに泊りにきて朝までしゃべっていたもんだから、昼すぎに起きたら二日酔いと寝不足であった。

これはまことによろしくない。「よし、そうだ、今日はリハーサルをした後に、ライブハウスの近所を探して風呂屋に行こう。体調を整えなくてはこりゃ今日はもたん」と、ふやけた頭で考えもって、いざ、ギターケースのポケットに手ぬぐいを入れて、「半オエ~ッ」状態で家を出た。

リハーサルが終わる頃にはだいぶんと調子も戻ってきたけど、やっぱりこのままでは本番を乗り切れそうにもない。風呂屋も幸い表通りに出ると道の向かい側にあることを来る時に確認したんで(めっちゃ近いやん)、さっそく手ぬぐいを持って銭湯に向かった。細い路地を入っていくところに案内板が出ていて、「タオル貸します(二本)。せっけん貸します。シャンプー・リンス貸します。手ぶらで来てください。」と書いてある。なんかサービスええなあ。路地を抜けるとお風呂屋さん。番台でお金を払ったら、「タオル持ってはりますか」と聞いてきた。ほんまサービスええなあ。せっけんだけ借りた。

浴場に向かうと、「手ぶらで来てください」な流れ客相手というよりは、こじんまりとした地元密着スタイルとみた。銭湯なんてのはどこでもそうだといってしまえばそうなんだけど、周囲の下町かげんといい、番台のおばちゃんといい、特にそんな感じ。浴場の片すみにある四人も入ったら満員御礼になる小さいサウナにはテレビもあって、ちょうど「笑点」をやっていた。今日も歌丸と楽太郎はいがみあってるな、などと結局番組が終わるまで出られずかなりしんどい思いをしたわけであるけれども、のんびりゆっくりできたおかげで体調は見事に復活。さらには、帰りにラーメン屋にも寄って「並、こってり」をハフハフすすって完全復活。

ラーメン屋を出て、日も暮れた中、手ぬぐいを頭に巻いてぶらぶらしていると、ライブをしに来たというよりはすっかり地元の人の夕方の散歩状態であった。

この日のライブは他のメンバーやお客さんがどう思ったかは知らぬが、自分としては、ソロをブリブリ弾いている最中に一瞬クラ様(ぼくのアイドル、エリック・クラプトンね)やロリー・ギャラガーが舞い降りてきたりもしたんで、とても気持ちよく楽しめたのでありました。ロック最高! これもお風呂屋さんのおかげです。ありがとうお風呂屋さん、今度もまた行くね。

さて、お風呂屋さんの話をしたのでついでといってはなんですが、もう一つお風呂の話。このお風呂屋さんはウチの近所の風呂屋と違って張り紙とか注意書きが少なかった。ウチの近所の銭湯はあちこちに張り紙やら注意書きがしてある。だいたい風呂につかっているときというのはボーッとしているんで、字が書いてあってもボーっとしか見えてないんだけど、ちょっと調子が悪い文章だとかえって頭の中で妙に引っかかってしまって、「なんかもう少し書きかたを換えられんものか」と添削先生の気分で見てしまうものである。なんて話を前にやっていたブログで書いたことがありました、そういえば。

で、今回は風呂屋での話ではなくて、実家のお風呂のことなんだけど、湯沸しのリモコンのパネルのとこにシールが張ってあって、そこの注意書きがなんか調子が悪いのである。いわく、

「ご注意」
リモコン表面の拭き掃除の
時は湿った布を使用してく
ださい。乾いた布は液晶表
示が乱れます。その時は放
置すると正常にもどり、器
具の動作には異常ありませ
ん。

ね、なんか引っかかるでしょ? 言いたいことはよくわかるし、書くべきことも過不足なく書いてあるんだけど、なんかなんか調子が悪い。湯船につかるとちょうど目が行くとこに張ってあるもんだから、風呂に入るたんびに気になってしょうがない。もし、今これを読んでも調子の悪さにピンと来ない読者のかたがおられるなら、みなさんこれから毎日風呂に入る前にこのページを開いて上の文章を読んでみてください。もしくはプリントアウトしてお風呂の壁に張って毎日ながめてみてください。特に後半部分、急にせっかちになっていく展開に落ち着きのなさを感じてくるはずです。

で、お湯につかりながら考えることは、字数を増やさず他にいい書き換えはできないものかと、頭の中でリモコンの拭き掃除に際しての行動のシュミレーションなぞをしつつ、添削先生になってしまうのである。

とりあえずこの注意書きはリモコンの拭き掃除についての注意だから、湿った布を使ってほしいことをまずもって伝えなくてはならぬ。しかし現代においては常に「それはなぜか」という問いが出されるものであるから、乾いた布だと液晶の表示が乱れてしまうからなのだと明記せねばなるまい。そして心配性な消費者に対しては乱れた表示も放置をすれば正常な表示に戻ることをいっておかねばなるまいし、さらには「表示の乱れは誤動作を誘発するのではあるまいか」という懸念も早急に払拭せねばなるまいから、そんなことはないという旨も表記せねばなるまい、ああ、限定されたスペースなのにあれもこれも書かねばなるまい、という担当部署の人の苦悩が思い浮かぶようではあるまいか。

この注意書きは、「表示が乱れても放置すればもどる」ことと「表示が乱れても器具の動作には異常ない」こととを表現しようとするのに、同じ「表示の乱れ」についていおうとしているからだろう、「その時は」で受けてしまってまずいことになってしまった。それぞれの述語は「もどる」と「異常ない」であって、それぞれは「いずれもどる」と「今も異常ない」ということなので、同じ「その時」に起こることではない。想定される消費者の行動とそれにともなう疑問を単純に時系列で並べ、しかも中途半端に指示代名詞を使ったもんだから、全体がわちゃーになってしまったのだなあ、などと、まあこのようなことを湯船につかりながら考えてしまうのである。

今日の記事ではじめてこの注意書きをみた読者のみなさまに、今この文章の解析話が関心もって読まれると思っちゃないけど、お風呂という文字の少ない場所での文章というのは、ここまでつつかれるほどにくりかえしくりかえしくりかえし読まれるのである。

かくいうぼくも、書きたいことを一気に詰め込みすぎてしまって、修飾語、修飾節だらけの読みにくいことこの上なしな文章をよく書いているわけで、こういう文章というのはむしろ親しみがわくというのか、同情することしきりになるのである。注意書きという無味乾燥なものに妙な人間臭さがにじみでてきて、なんか最後はやっつけで「エイヤッ」になってしまった担当の人の気分が伝わってくるようで、むしろ味わい深さまである気がしてくるわけだけど、でもね、そんなガス器具会社の担当者の心の機微などをお風呂では考えたくないのである、毎度毎度。お風呂では体とともに頭も休めたいのに、それでも頭を使えというなら笑点を見ているぐらいがちょうどいいんである。

解決策としては、このシールをひっぺがすことでほぼ完了となってしまうけれども、そういう身もフタもない、今日の記事がまるで意味のなくなるようなことを言っちゃダメ。だからぼくはちゃんと考えました。

「ご注意」
リモコン表面の拭き掃除の
時は湿った布を使用してく
ださい。乾いた布は液晶表
示が乱れます。その時は放
置すると正常にもどり、器
具の動作には異常ありませ
ん。

     ↓↓↓↓↓↓

「ご注意」(改稿案)
リモコン表面を乾いた布で
拭き掃除をすると液晶表示
が乱れるので湿った布でし
てください。表示が乱れて
もしばらくすれば正常にも
どります。器具の動作にも
異常ありません。

こんなんでどうでしょうか。字数はちょびっと増えたけど、行数は増えていないからよしとしよう。なんか「掃除をしろ」といわれているようで、説教臭さが増した気がしないでもないけど、でももうこの際しかたがないのである。で、これを上からマジックで書けばよろしいんではないんでしょうかと思うんですけどどうでしょうか。

って、そんなことしたらもっと目につく注意書きになってさらにイライラ度が高まりそうだね。だいたいウチの風呂なんだし、もうわかっとるっちゅうねん。お母ちゃんに言ってやっぱりシールはがすか・・・。

|

2007年2月25日 (日)

おしゃれ関係

Top_blue_11 三十歳になった頃から、時折、ひざや足さきが激烈な痛みに突然襲われるようになった。痛いなんてものではなく、布団がちょんとさわったり、寝返りをするだけで激痛が走るんで、眠ることもままならなかった。なにもしてなくても、ねんざしたところを誰かにギュウーッと握られつづけているような感じ。まともに寝ることすらできない。

激痛の最高潮のときには、痛さで医者にも行けぬ。痛みの峠がすぎてから、はうようにして玄関まで行き、わざわざ細い路地を入って家の前にまでつけてもらったタクシーにエッチラオッチラと十分ほどかけて乗りこみ、医者に行ってとりあえず膝にたまった水を抜いてもらってヒトゴコチつく。

これが痛風発作である。と、わかったのは三、四年前のことで、それがそうとわかるまでずっと原因がわからなかった。今では尿酸値をコントロールする薬を飲んでいるので、以降、痛風発作に襲われてないけど、その頃は、「ちょっと運動っぽいことをすると普段の運動不足がたたって関節を痛めるのか? なんてヤワな体なんだ」と、日々戦々恐々に過ごしていたもんだから、サポーターやテーピングテープを買いこんでは、しかるべき時にしかるべき対処を施していた。

ときどき、日曜大工というには大げさだけど、工作をする。そうでなくても、ふだんからなにかといえば道具箱を引っぱり出してきては、壊れたり不具合になってきたものの修繕をしている。そんな際、不器用なぼくは、刃物で指を切ったり、ムダな力加減でよくケガをする。で、バンソーコーでは済まないようなちょっと大きめの傷口には、ガーゼを当ててサージカルテープを貼って、痛いの痛いの飛んでいけー、とあいなるわけである。

このサージカルテープというのは、たいがい白だ。だから指先のケガなんかだととても目立つ。

サポーターも白色のものが多い。サポーターの場合、服の下の見えない部分につけることが多いから、目立つことは少ないけど、白だと、裾なんかからチラリと見えたときに目立ちやすい。肌色だったらもっと目立たなくていいのにと思う。最近はサポータにも肌色のものが増えてきたけど、基本はやっぱり白で、肌色のものは少し高め。

包帯も白がほとんど。ネット式の包帯も白ばかりだ。

病院に行くと医者や看護婦、もとい看護士は白衣だ(ちなみにぼくはまだ看護夫をみたことがない)。汚れが目立つように白なんだろう。包帯も医療つながりということで、白なんだろうか。肌色にする染料が傷口にはよろしくないということもあるのかもしれないけど、もしそうなら、傷に直接触れるガーゼが白なだけで充分だと思う。

スポーツをする際、露出した肌に貼ることが多いテーピングテープは、白よりもかえって肌色のものが多い。身近なバンソーコーも肌色のほうが多いし、子ども用にはキャラクター物まであったりする。包帯やサージカルテープも、つけることになると四六時中つけることになるから、目立つような白でなくて肌色のほうがいい。せめてキナリのままにしとけばいいのになあ。わざわざ漂白までして鮮明な白にすることなんかないのに。

子どものときは、骨折をしたりした友だちの包帯姿をものめずらしげに、「なんかちょっとうらやましいなあ」という筋ちがいな羨望のまなざしで見ていた覚えがある。「ケガをしているから、今日のドッチボールはちょっと・・・」な態度が、遠慮を知っている大人に見えたりしたものだ。クレヨンしんちゃんでもそういう話ををネタにしていたぐらいだから、みんなもきっとそうだったでしょ? 

だけど、ぼくはもう大人だもん。そんな小道具はもう必要ないもん。今ではかえってそんなものが目立つと、若さの足を引っぱってよろしくないんだよう。

この季節になると、花粉症の人なんだろうけど、マスクをしている人をよく見かけるようになる。これも白が多い。これだけ花粉症の人が増えてきているんだから、もう少ししゃれっ気のあるマスクがあってもいいんじゃなかろうかとぼくなんかは思うんだけど、どうなんでしょう。ぼくは花粉症じゃないんであんまり注目してないけど、もしかしたらそういうのは薬屋に行ったらあるんかいな。

今日は、体いたわり系のものにやけに通じてしまった不健康人間のおしゃれ意見でした。

|

2007年2月20日 (火)

熱しやすく冷めやすく

Top_blue_10 熱しやすく冷めやすいという言いかたがある。

子どもの頃から、おまえは凝り性なのにすぐ飽きるからドウノコウノといわれてきた。折り紙ばっかり折っていたかと思うと、鉛筆をナイフで削ることを覚えたら家じゅうの鉛筆がすべて削り直され、一部のものはドロボー削りまでされてしまい、すわ、恐竜博士になるのかと思っていたら、親の友だちに焼き物を焼いてもらえると聞いて粘土をこねだし「将来は陶芸家になるっ!」と心に決めたと思いきや、しばらくすると漫画家を志したりしていたものだ。

何かに熱中しているあいだは部屋じゅう散らかしてそればっかりしているくせにすぐに飽きてしまうものだから、親と買い物に行ったときなんかに「これはもういらないの?」と店先で聞かれても、次のものにすっかり興味が移っていて、「別にい」とあいなるわけである。親に流れている時間とぼくの興味のサイクルはかみあわず。

そんなわけだから、中学生の時にギターを始めようと親におねだりした時は、凝りだしたと思ったとたんどうせすぐやめるんだろうと鼻にもかけられぬ様子となり、なんとか取り入ろうと「ギターを買っても決しておぼれません」と誓約書を提出し買っていただいたものである。たしか当時は、なにかといえば誓約書を提出する「誓約書ブーム」でもあった。

Photo_3しかしながら、誓約書に誓われた内容は破棄され、すっかりおぼれてしまい、しかも「熱しやすく冷めやすい」ことからも遠くはなれ、ギターだけは大人になった今でも弾きつづけている。ハイロウズの歌に「いい年こいていつまでもロックで騒いでるやつだー」という歌詞があったけど、ぼくもそれね。かっこいいわ、マーシー。

でも、ギターも常に熱中していたわけではなく、やっぱり波があった。ギターを買って一生懸命に練習していても、不器用がたいそうなハンデとなってたいしてうまくならないもんだから、すーっと熱が冷めていく。ああ、こんなんではいつまでたってもいっこうにうまくなるわけがないよう、ああ、また「凝り性のくせにすぐ飽きる」とか言われるようと、「継続は力なり」と書かれた今月の一言付きカレンダーを、月が替わっても、壁に貼ってある誓約書の横にぶら下げっぱなしにして、それを見ながら日々の練習を重ね、今のぼくがこうしてここにあるということも付言しておかねばなるまい(とかいいつつ、実際の励みは「継続は力」なんて言葉より、ただロックが好きだということなんだけどね)。

でも、まさか大人になるまでこんなに続いたのはギターぐらいしかないんであって、その他のことは、熱中期間が週単位なのか月単位なのかの違いはあっても、熱しやすく冷めやすい性格がずっと続いているわけである。そんな話を同居人にすると、「子どもの頃を見てなくても、あんたの親の苦労がわかる」と言われてしまうザマなわけである。

ここ最近の話でいうと、去年の十二月頃はギターのエフェクター作りに夢中になったかと思うと、年明けあたりからしばらくは明けても暮れてもすり切れてきた服のつくろい物をしだしてこの冬を乗り切り、そして今は法然の法語の現代語訳にはまっている。

どんな分野でもそうだけど、こういうことは奥に行けば行くほど深みがあるもので、エフェクター作りなら電気の世界、つくろい物なら和裁や洋裁、法語の現代語訳なら仏教学や文献学と、それはそれは大変に奥行きがあるものだ。はまっている最中は、「ああ、こんな職人の世界にあこがれるなあ。やっぱり『継続は力なり』だなあ」とか思いながら夢中になっているわけなんだけど、それと同時に、「でも、この熱中度でもって本格的にそちらの世界の門を叩いたとしても、持って三ヶ月なんだろうなあ。半年後にはもう飽きてまってめちゃくちゃ後悔しとるんだろうなあ」と、飽きっぽい性格を先取りしながらの熱中気分で過ごしているわけである。

ぼくにとっての「継続は力なり」は「熱しやすく冷めやすい性格」それ自体がそうである。そしてこの言葉はこれまであまりほめられた言いかたがされてこなかったけれども、今では「マイブーム」という言葉の出現によって積極的な意味合いが付与されるようになった。

ありがとう、みうらじゅん。

Photo_14

そうだ、ついでに言っとこ。こうしたことはとてもマルクス的である。マルクスという言葉が持っている一般のイメージとは違うだろうけど、ぼくの読みでいうとそうなる。法然の言葉を現代語訳していて、あらためてそう思う。マルクスと法然では普通の人には「もうなにがなんだか」かもしれないけど、人がその時その時に持つ興味にしたがって、プロや職人の世界を素人に開放するというイメージ。そんな感じ。マルクスの思想はとても自由なのである。浄土の教えもまたしかり。・・・って、こういうことをこのブログでちゃんと書けっちゅう話だわね。

|

2007年2月15日 (木)

御法語を訳すその前に

Top_blue_8たまにはお坊さんめいた話をしましょう。

檀家さんの月参りでは、お経以外にも「御法語」、つまり宗祖法然上人の手紙やら、法然が「常に仰せられけること」を弟子が書きのこした文を読む。法然の言葉は全部集めればそれこそぶ厚い本一冊になるわけだけれども、普段読むために手頃に編集された、一日一つずつ三十一日分の法語集が上下巻、都合六十二話ある。月参りの際にその中から適当に拾い出して読んでいるんだけど、もちろん昔の文なんで、お経と違い和語とはいっても、古文独特の主語抜けや、仏教用語がそのままのところもあったりして、基礎的な知識がないと意味の通じないところが少なくない。わかりにくいところは適宜言葉をかえてなるべくわかりやすく読んではいるものの、それでもおのずと限界はありましょう。

毎月寺で出している寺報にその法語集から一話ずつウチの兄が「御法語独解」を書き始めた。大学では西洋哲学を専攻し(兄弟ともどもなわけであるが)、仏教や宗学を専門にしたわけではないから、「読解」ではなくて「独解」だそうな。

で、そんなんだったらせっかくだし、これを機に法語集の現代語訳を作ってみようと、この私、浅学ながら志願したわけである。その現代語訳を原文と合わせて小冊子にし、檀家さんにお配りしようと。ね、お坊さんみたいでしょ?

現代語訳の作業は、思うに、その手の分野を専門とする大学生が三回生のころ夏休みの宿題でやる程度かな? 今回は、専門的な知識を必要とするようなしゃっちょこばった「御法語の研究」じゃなくて、むしろ檀家さんに気軽に読んでもらうための現代語訳なわけだから、ちょっとした仏教辞典と高校の古文の知識があればできましょう。あ、あと表現をこなれたものにするために類語辞典もね。肩ひじはらずにやってみよう! おう!

で、何か参考になるものはあるまいかと、早速ネットをカチャカチャとやってみたら、あったあった、もうすでにそういうことをしているかたはおりました。ナイス。読んでみるとその訳文は、仏教の知識はそこそこあっても古文が苦手といった、いってみれば普通の僧侶向け、もしくは、仏教や宗教に興味がある人向けとお見受けした。ぼくの場合、ネットや本でわざわざ仏教のことや浄土宗のことを見てみようとするような人ではなく、古文や難しい仏教語を敬遠するであろう、ある程度具体的に顔が浮かぶ檀家さんが相手である。このままではちょっとウチの檀家さんには難しくて敬遠されること間違いなし。今次の現代語訳作業では、檀家さんにさらさらと読める程度にしなくてはなりませぬ。大きな訳し間違いはこれがあればしなくてすむけど、そうかあ、やっぱり自分でやらんといかんか。やっぱり、手を抜こうにもできんもんだね。

で、まあ訳のほうはどうあれこうあれなんとかするものの、問題はそれをパソコンでカタカタする作業のほうである。原文と訳文をあっちこっち行ったり来たりしないですむように、書式の設定を縦書きの三段に組んで、上から「原文、現代語訳、注」とある程度場所を合わせて書いていくつもりであるわけなんだけども、一ページのチラシを作るならわけない作業も、数十ページになるだろう小冊子づくりをするとなると、ウインドウズ内蔵のワープロソフト「ワード」では、もうどうにもこうにも、どうしようもないのである。色々とやってみても、「なんじゃ、この動作のしかたはあっ!」とわけのわからぬ動きと、不十分な編集機能を相手にウップンだけがたまっていく。そんなに難しい装丁とは思えんのだけどなあ。

で、他のワープロソフトはどんなもんかいなと、「ワープロソフト フリーソフト」で検索。「ふむふむ、これがよいのではないか」と、評判よさげなナントカというワープロソフトをダウンロード。インストール後、ちょっと作業をしてみる。

う~~~む。

「ワード」にしてもナントカというのにしても、ページをまたがってすすむ段組み構成やルビふりが、パソコン初心者がひと皮むけた程度では、ナントモハヤ、面倒なことになってくるんである。そりゃあ一ページ物ならできるんだから、細かくいちいちやっていけば絶対にできんていうことはないんだろうけどさあ。なんていうの、壁に絵を描こうとペンキとハケを用意したら、タイルを貼ってモザイクにしてねといわれたような感覚、もしくは、大きな布切れを用意してカバンを作ろうと思っていたら、パッチワークで作ってねといわれたような気分とでもいうんですか。書式を決めたら、だあーっと打ち込んでいこうとしていたつもりが、これではチマチマ作業に大変身ではないの。

法語の現代語訳をきっかけに高僧になろうとしていたぼくの目論見は、本作業である現代語訳がまだ二話分しかやってないのに、同時進行でパソコン修行も始めねばならぬ模様。かくしてぼくの仏道修行は、「ワード」の能力の限界点の研究とともに、「一太郎」の使い具合の評判をネットで調べる作業へと展開するのであった。

たしか浄土の教えでは、念仏さえ称えていればそれでよい、だったと思うんだけど。あー、なむあみだぶ、なむあみだぶ・・・。

|

2007年2月10日 (土)

ムダな時間

Top_blue_6 ぼくの生活にもIT革命が起こってからしばらくたつ。おかげで、いろんな場面でのムダな時間や面倒が減った。

携帯電話やパソコンは、決して安くない金を払って機械を買い契約しているんだから、これで便利でなくては理不尽というもんだ。電話が嫌いなぼくからすると、やりとりの多くがメールになったことはとてもありがたい。飲み会の約束や他人との待ち合わせでも、なにかと気を使うことが減った。携帯のメールはただ便利だというだけでなく、日常的な通信手段を手に入れた耳の聞こえない人たちにとっては、まさに「通信の革命」だったと聞く。

インターネットの検索機能もすばらしい。たまに条文を確認したくていつか買おうと思っていた六法全書はもういらない。

「あしげく」なんて言い間違いをしているアホタレさんはぼくだけでなかろうと検索してみると、チャチャのチャで相当な検索結果数があって、「ほら、おれだけでない。ひと安心」と、ワケのわからぬ安堵を得たりするわけである。

と、かくのごとく、パソコンなんかを使っているとムダや面倒が省けるものの、その一方で「人生にはムダも必要だ」という人がいる。この意見にもぼくは一票。「必要なムダならホントのムダではないではないか」という小賢しい理屈はさておき、ムダのない人生を否定されることは、すなわち、ぼくの人生の九割九分八厘程度を否定されることになる。それはさすがに勘弁願いたいところだもんね。

さて、「ムダな時間削減委員会」のかたがたが推し進めていそうなITな暮らしを送っていても、時々、ムダな時間がたっぷりとれる機会がやってくる。

まず、以前にも書いたけれど、「応答がありません」のメッセージとともに画面が固まってしまい、どうにもこうにも困ってしまうことがある。壊れたのならいざ知らず、なんじゃらほいとこれを復旧している時間は、パソコンでしか遭遇できぬなかなか味わい深いムダな時間である。

それ以外にも、使っているソフトが、「アップデートしませんか? ねえ、しましょうよ。セキュリティにも必要ですよ」などと聞いてくる。ITモノにトンと疎いぼくには、「しっかりしてないと、あなたが他人に迷惑をかける元凶になりますよ。自己責任だけでは話が済みませんよ。さあさあ、はやくアップデートしてくださいよ!」という脅迫に聞こえるんで、基本的に従うことにしているんだけど、気軽に「アップデートする」のところをクリックすると、ダウンロードからインストールへと一連の作業中、通信速度が遅いのか、パソコンがノロマなのかは知らぬが、「しばらくお待ちください」などと表示されっぱなしになることがある。

十分待てども、「しばらくお待ちください・・・」。子どもの時にはテレビの放送事故で時々こんなのあったなあ。

それからさらにしばらく待っていても、「しばらくお待ちください・・・」。なめとるね。

お茶を入れたり新聞を読み始めたりトイレに行ったりして画面から目を離しているスキに今度は、「再起動してください。後でしますか、今しますか。さあさあ!」などと表示が変わっている。はいはい、しますよしますよと、「今再起動する」をクリックすると、トロトロと電源が切れてトロトロと再起動するわけだけど、「ちゃっちゃっと動かんか、このクソタワケ!」と、さすがにぼくもこの辺でキレだして、「これをネタにブログ書くもんっ!」と、今日のこの記事の構想を考え始めるわけである。

で、アップデートしたがためにどこがどうなったのかよくわからぬままパソコンを使っていると、微妙なところが使いにくくなっていることもあったりして、それがために「システムの復元」などという作業をしたりして、まったくもってトホホな話ではにゃーか。

思わぬところでやってくるこのムダな時間が、ぼくの人生にナニガシカの有用な意味を持つとはあまり思えないけど、まあ、脅迫まがいの指示に従っていると痛い目に会う、という教訓にはなっていそうな気もする。

とかなんとかいいつつ、ぼくの場合、このブログを筆頭に、パソコンを使ってやっていることの多くがムダなことなわけで、なにがどうあってもムダな時間ばっかりなんだけどね。あはははは。

あーあ。

|

2007年1月30日 (火)

まずいお酒で焼き鳥を

Top_blue_9 前の記事では日本酒のことをグチャラグチャラと愚痴ってばかり、野暮な話だったんで、今日の記事ではまずいお酒に光をあててやりましょう。

以前、学生時代の先輩が始めた焼き鳥屋でバイトをしていたことがある。ぼくはおそらく一番好きなお肉は鳥肉ではないかと思う。食べかたも、唐揚げとかより焼き鳥、焼き鳥であっても塩焼きよりも濃厚なたれ味が最高だと思う。そう確信するにいたったのは、この焼き鳥屋で頻繁に焼き鳥を食べたからである。幸せでした。

そこでは日本酒は「地酒」を出すことにしていたんだけども、一つだけ、メジャーなメーカーの主力製品がおいてあった。ある時、一升瓶にちょっと余ったんで、それをマイコップについで飲んでみたら、まずいんだなあ、これが。他のよりも安いことは安いんだけど、どうにもおいしくないんで、「なんでこんなの置いとくんですか。売れるんですか」と聞いたら、「こういう味こそが日本酒の味だという年配のお客さんがおるんや」ということだった。ある時その酒ばかりを頼む客がいたんで、見てみると六十を過ぎたあたりの年配のおじさん客だ。そういえば親父もこんな酒で晩酌しとったなあ。戦後の物不足が味覚にまで影響を与えてしまったのかと、しみじみ感じ入ってしまったものだ。

学生のころ、所属していた軽音楽部の打ち上げでは、今思い出してもとんでもない飲みかたをしていたんで、一時は、ビールを飲むと飲んだときのノドごしよりも胃からのノドごしのほうの味がして、ビールが飲めない時期があったりもした。でも金のない学生に日々そんな豪快さんな飲みかたばかりができるわけもなく、普段は戦後の物がない時代と同様、「まずくてもいいから安いお酒をたっぷりと」な飲みかたをしていたものだ。焼酎はそのころはまだ飲みつけず、学校近くの焼き鳥屋ではそんなにおいしくもない日本酒とともに焼き鳥を食べるというのがぼくのひとつの定番であった。さっきのおじさん客の若いころときっとほぼ同じ飲みかたである。

ちょうど今のこの寒い季節なんかは特にだけど、焼き鳥屋の前を通りかかると、無性に焼き鳥を食べたくなることがある。すっかり日も暮れた駅前でタレの匂いと赤ちょうちんの嗅覚視覚両面攻撃にさらされると、体が冷え切った無力なぼくにはもうどうしようもない。この店には地酒なんて小じゃれたものがないことを知っていても、「ええい、かまわん」とノレンをくぐってしまう。買い物帰りでお金ないのに。

おもむろに酒を二合と焼き鳥を注文する。まずは付き出しと酒が運ばれてくる。とりあえずは酒を一口。ううむ、甘ったるーい味が口に広がる。飲み干すと体がブルルッと震える。やがて焼き鳥が運ばれてきて一串いただく。うまいなあ、焼き鳥。体がようやくほんわかしてくる。そして一口酒を飲む。ブルルッ。

そうそう、これこれ、このウママズい組みあわせ、これが欲しかったんだがね。焼き鳥でほんわか、お酒でブルルッ。ほんわか。ブルルッ。ほんわか。ブルルッ・・・。

なにも好きこのんでまずい酒を飲むことはないのに、やだね、体にしみついた若いころの記憶。また来ようなあ。

|

2007年1月25日 (木)

お酒は大人になってから

Top_yellow_12 お茶といえば普通は緑茶のことだけど、「お茶でも行こか」といえば「喫茶店でコーヒーでも飲もか」ということで、緑茶以外にもいろんなお茶を指す。ごはんやめしも、白飯であるとともに食事のことも指す。

これと同様、酒というと日本酒であるとともに酒類全体を指す。焼酎だって日本の酒なんだから日本酒というべきかもしれないけども、日本酒といえば普通は清酒ということになる。「サケ」でよその国でも通じるんだから「日本酒」なんていう必要はホントはないんだけど、世の中これだけいろいろなお酒があるんだから、まあしゃあないか。

今でこそ日本酒を好んで飲むけども、もともとぼくは日本酒が嫌いであった。子どものころは、実家のお寺では日曜日によく檀家さんが法事や法要のあとに食事をしていたもので、そのときに供されていた燗酒のにおいがぼくの日本酒との出会いだった。燗のにおいというのがどうにもこうにも甘ったるくて、よくこんなものを口にするなあと思っていたものだ。実際にちょっと口に含んでみても、「うはっ、まっずー」と思ったのは、ぼくが大人の味のわからぬ小学生だったからというだけではなかろう。

というのも、以前日本酒の本を読んだら、そのころの酒というのは戦後の物がない時代の手抜き製法がまだまだ尾を引いていたらしくて、結構ひどい造りだったらしい。戦後の「とにかくお酒を」という需要にあわせていたら、物不足が解消して以降も、手抜き酒のお気楽さに酒蔵が堕落してしまったとのこと。

いわゆる地酒なんかではそういうこともだいぶと解消されているようだけども、お手ごろ価格のよく耳にする銘柄では、今でも手抜き酒の堕落を引きずっているらしい。何を買ったらいいかよくわからない人に選ばれる機会も多く、酒を飲み始める年ごろに出会うことの多いお手ごろ酒がそんなふうだから、少なくない人に「日本酒は苦手」と思わせることになって、日本酒市場のジリ貧傾向になかなか歯止めがかからんのだそうな。酒の置いてある店でビールのないところはないけども、日本酒のない飲み屋さんは特段めずらしいことでない。これは、店の雰囲気にそぐわないとかのおしゃれ感覚の問題だけでなく、多分に、まずい酒を造りつづけている日本酒業界の自業自得でもあるんだろうね。

飲み手のほうにも問題があるようで、ちゃんとした酒を造るには、その手間ひまから見て、工業生産品のようなビールや発泡酒と同じ原価では到底無理なんだそうな。それでも、消費者は酒にビールと対等の値ごろ感を望むものだから、酒蔵のほうも安い手抜き酒をやめるわけにはいかない、と。学生時代にお酒各種をアルコール度数換算した値段一覧表を作っていたぼくには耳が痛い。

日本酒なら純米で造るのは当たり前の話だとぼくは思っているのだけれど、結構値の張る吟醸酒でもアルコール添加は決してめずらしいことではない。吟醸酒の場合、味の調整のために使うこともあるらしいけど、アルコール添加の酒はぼくにはキレがあるというよりアルコール臭さが鼻につく。高級酒として名の通った酒でも本醸造のものは、ぼくにとっては値段が高いだけ、名前だけのハッタリ酒にしか過ぎない。こうした酒を飲まないわけではないけど、好んでは飲まない。同じ金を出すなら、他の純米酒を選んで飲む。造りかたを気にせず、値段だけで選んだ安酒を飲んでいると、日本酒が嫌いと言う人の気持ちがよくわかる。さしてグルメでもなく、他の酒ではそんな細かいことはわかりもしないのに、日本酒だけにそれがよくわかるのは、もともと日本酒が嫌いだったからなわけである。

安い手抜き酒を好んで飲むのは、単にアルコールが好きなだけか、お金がないか、お酒に対して何か誤解しているのか、無頼派を気どってカストリを飲みたい気分なのか、「酔っ払ってもうなんでもいいや」になっているのか、そんな気がする。

おいしい日本酒があることは、金のない学生時代にちょっと背伸びをしながら知るようになったことだけど、そういうのをあまり無理することなく飲めるようになったのはもう少し大人になってからだ。最近は学生時代ほどにはたくさん飲めなくなってきているんで、「ちょっと値が張ってもおいしいお酒を」という飲みかたをしても財布はそんなに痛まない。酔って舌がわからなくなる前にちゃんと味わおうと、いいお酒から注文するようになった。おっとなー。

お酒は大人になってから。いいお酒はもう少し大人になってから。

|

2007年1月20日 (土)

ふろしきとかに思うこと

Top_yellow_9ふろしきは今では、環境にやさしいだの、和の心だの、ロハスだのと持ち上げられていますね。

小学校のときの音楽の先生は、とってもきれいな若い女の先生だった。ぼくは先生に気にかけてもらおうと、音楽の時間にいたずらをしては怒られたりする、漫画のようにわかりやすいとても快活な子どもだった。

六年生の修学旅行のとき、たしかクラスの副担任だったのかな、その音楽の先生もいっしょに行くことになった。学校では用意周到なことに、旅行の前の日に持ち物検査をした。なにも、たばこや酒を持ってこないように、とかの意味ではなく、忘れ物がないようにという親心のことだよね。管理教育がどうとかじゃないよね。

ぼくは母に手伝ってもらって、着替えやらナンヤラをリュックに詰めて学校に持っていった。で、そのとき、ぼくはリュックの中身をふろしきで仕分けしていったわけである。それを体育館で先生にチェックしていただくことになったわけだけども、腑分けされたぼくの荷物を見て音楽の先生は、「まあ、さとみくん、ふろしきで包んできたの」と言った。先生にはふろしきで包むというのが、ちょっと子どもっぽくないというのか、きっとそんな風に見えたんだろうね。先生にしてみれば「えらいねえ」みたいな感じのことだったんだろうけども、ぼくは、なんかとても恥ずかしい気持ちになったことを今でもよく覚えている。

友だちがどういう風に荷物を持ってきていたか覚えちゃないけど、当時なら仮面ライダーとかゴレンジャーの袋にでも仕分けしていれば、それはとても男の子らしいことだったはずだ。でもぼくがしたことは、母に言われた通りそのへんにあった適当なふろしきで荷物をキュキュキュッとくるんで仕分けして持っていったわけで、ウチの親にしてみれば、それはそれで普通のことだった。

当時にはもうすでに、ふろしきに限らず「和の物」というのはすたれていくような古くさい感じがあった。うちは寺だから、ふろしきとか着物というものに子どものころからごく普通に接してきたけれど、ふろしきとか着物とか寺とかに対して古くさい感じを世の中が持っていることに全然気づかないほど鈍感な子どもでもなかった。好きな音楽の先生に「まあ」と言われて、そうした一切合財を子ども心になんとなく感じてしまったぼくは、なんだか恥ずかしい気持ちになってしまった。大人になって思えば、先生が笑ったわけではないことぐらいわかっちゃいるけど、子どもというのは変なところが繊細にできているものなんだよね。

そしてその日は家に帰ってから、泣きながら荷物を全部ほどいて大暴れした。なんてことはないですよ。そのままワクワクしながら修学旅行に行きましたよ。恥ずかしい思いをしたとはいえ、音楽の先生にほめられて目立ったんだから、それでいいのだ。子どもというのは結構軽いものでもあるんだよね。

ふろしきにはそんな思い出があるもんだから、ふろしきとか手ぬぐいだとかの今の「静かなブーム」にはなんともいえない違和感がある。ことさらに「環境」とか「和」とかまで持ちだして売りこむのもなんかなあ。イメージで道具のありようが変わるなら、だれも苦労しないだろうに、軽薄と言おうか、素直に過ぎると言おうか。

ぼくは今でもふろしきを便利なものとして普通に使うし、普段あまり使わない手ぬぐいにしても、銭湯ではタオルよりもむしろ手ぬぐいのほうがかさばりもせず便利だということがわかったんで、手ぬぐいを持っていく。なにもブームとかそういうもんじゃない。だいたいからして、ふろしきも修学旅行の時には仕分けに使っただけで、荷物を運ぶ道具としてはリュックのほうが圧倒的に便利なわけである。不便なものはすたれる。便利なものは使う。そんなものなんではないの、道具というのは。

日々の暮らしで使う道具や、ひいては文化というものは、ブームでどうこうするものではない。ブームというのは、つまりは、それが主流の文化でないことを、基礎的な生活文化でないことをあらわしている。そういえば、「バンドブーム」というのがかつてあったけど、バンドが「ブーム」だなんて、世間でのバンドや音楽の扱いはやっぱりその程度なんだよねと、当時ロック少年だったぼくは感じ入ったものである。

かつては、反物の余りを手ぬぐいなんかにしていたんであって、そこにはモノがなかった時代の生活の智恵というやつが存分に生きていた。ところが、経済成長率三%だか四%だかを至上命題として消費を煽っている産業社会では、こういったものもそれ用に染めた布でわざわざあつらえているわけである。そんな上っ面なことで環境がどうとか言われても、ねえ。「和の心」にしたって、戦争の反省もロクにできてないこの国でそんなことを軽薄に言い出せば、ハタ迷惑な民族主義に落ち込みかねない危うさがいつもつきまとう。差別や貧困を内包して初めて成立しえた「和の心」であったことを心のどこかに留めておきたいものだ。

 

とかなんとかメンドくさいことを言ってはいるけれど、個人的には、ふろしきも手ぬぐいもハヤっていれば種類が色々あっていいんだけどね。

Photo_2

|

2007年1月15日 (月)

たばこに火をつけて

Top_blue_3たばこの楽しみは、煙をおいしく吸うことだけではない。火をつけるのもこれまた楽しみの一つだ。

今ではオール電化とかで、仏壇もなく、家族がたばこを吸わない家庭だと、家で裸火を見ることがまったくないところもあると聞く。火とともにあったような人類の歴史で、これはなんだかすごいことになってきている。

それはそれとして、たばこに火をつけるのにマッチを使う人、百円ライターでつける人、お気に入りのライターで火をつける人と、まあそれぞれなわけだけども、ぼくは「お気に入りのライターでつける」派だ。マッチは手軽さに欠けるものの、味わいがあってなかなかによろしい。百円ライターは手軽ではあるけども、やっぱりちょっと味わいがないかな。でもつきつめて、百円ライターを工業製品の究極として、産業社会のもと、日々の暮らしにおける着火道具の到達点だと仰々しく考えると、これはこれで歴史の重みを感じる奥深さがあったりする。

お気に入りのライターといっても、ぼくの場合千円ぐらいのものから高くても四、五千円程度のもので、ウン万円もするやつはショーケースの外から見ているだけだ。

最近のお気に入りはずっとオイル式のライターばかりで、ガスライターのよさもいずれあらためて気づくことだろうけど、まあひとつのマイブームというやつですな。オイルライターというとジッポーが代表格ということになるけども、ジッポーってそのあまりのオーラに、火をつけるというよりは、火をつけさせられているという感じがする。ぼくもジッポーを持っているけども、ライター屋ではそれ以外のオイルライターを好んで見ている。

で、この前なかなかにいいものを見つけたんで買ってきた。そのライター屋はちょっと口うるさいじいさんが一人でやっていて、十年ほど前キセルに凝っていた頃、飾ってある上等なキセルを見せてもらったら、いかにも「お客さんみたいな人にはもったいないどす」と言わんばかりの雰囲気をかもし出され、 その後えんえんと三十分ぐらい説教めいたウンチク話を聞かされた。まあ、聞いているぼくもぼくだけど、そういう頑固じいさんにはどこか愛嬌があって面白いものなのである。

Jiisan で、この前は、「それ見せてください」と言ったライターが、他に居並ぶウン万円のものではなく、二千五百円のものだったからか、幸い説教めいた雰囲気にはならなかった。聞くとご主人はもう八十才だそうで、軍隊の頃に覚えたたばこがウンヌンカンヌンだとか、今時はたばこに火をつけるのも百円ライターばっかりで、それもさることながらたばこ自体が紙巻ばっかりで手軽になりすぎだとか、昔はそんなに酒を飲む機会も多なかったどすけど今は多おすやろ、お酒をいただきながらのたばこは吸いすぎてしまってホンマよろしいことおまへんなあとか、歩きたばこはよろしいことおまへんわなあ、もう少し落ちついて味わいながら吸いなはれとか、うぬぬ、だんだんと小言幸兵衛になってきた話を二十分ほど聞いて、ようようライターを売っていただけることとなった。

Lighter

たばこを一服するにも、お気に入りのライターで火をつけると、フウーッ、さらにおいしいね、と、店を出てさっそく道端で一服してしまいました。

|

2007年1月10日 (水)

まだ松の内だから

Top_yellow_10 文章を書くのはもともと嫌いじゃなかったんで今やブログがちょっとした手慰みになっているけど、考えてみると、ぼくはひとのブログをあんまり見ない。友だちのブログは時々見にいったりするものの、検索でひっかっかったブログなんかは、「『ネットの情報は玉石混淆』とはよく言ったものだ」と、ほぼ石ころ扱い。ひとのよりも自分のブログを読み返すほうのがよっぽど楽しい。

記事のほとんどがニュースかなんかの引用で、それにちょっと一言コメントしているだけのブログなんかを見ると、この人はいったい何をしたいんだろうか、わけがわからない。自分のためのメモ代わり? きっとそんな感じの気分なんだろうけど、こんなのが許されるのはネットの世界だけだろうなあ。

ぼくは記事を公開すると、記事の見栄えやどんな広告がついているのかを確認をするために自分のブログを開くわけなんだけど、以前書いたものもそのまま読み続けていって、「ほうほう、うまいこというなあ、このブログ。おれのツボをついてくるなあ」などと、自分で自分をベタぼめしているおおバカものである。

そういえばケータイを使い始めた時も、もらったメールは一度読んだきりなのに、自分が送信した長文メールばかりを読み返しては、「うまいこというなあ、面白いなあ」と思っていたものである。そうそう、最初に買ったケータイは、「受信メールボックス」がいっぱいになっても勝手に消えず、「受信メールボックスがいっぱいになりました。不要なものを消去してください」とわざわざ聞いてきた。逆に、「送信メールボックス」はいっぱいになった先から勝手に消えていく。Satomi_vs_satomi 自分の送信メールこそをずっと残しておきたいぼくからすると、「設定が逆なんじゃないの?」と一人憤慨していたんだけど、どうにもこうにも「サトミマイラブ」な性格で困ったものだ。

今年の正月一日の記事では、「正月休みの間にバックナンバーを読み返すのは、きっとぼくだけ」なんて書いたけど、実はぼくは、全ての記事を去年末にすでに読み返していたんで、正月休みには読み返しませんでした。で、年末に読み返した時というのは、ちょうど教育基本法の改悪をうけてお怒りモードで記事を書いてばかりだったわけで、けどバックナンバーを読み返してみると、靴底が接着剤売り場の前でいきなりめくれただとか、紅ショウガを一キログラムも買って困っただとか、相撲の本場所をやっている期間中は半ドンにせよだとか、アホなことばっかり書いていて、「そうそう、こういうのも書かんといかんがね」と思い直し、まあそんなこんなで、今日はこのような記事となっている次第であります。気分は少し大逆事件に遭遇した永井荷風でもあるわけなんだけど、防衛庁が防衛省になったことを忘れているわけじゃありません。

バルバラ・吉田=クラフトという文芸批評家の言葉を引いて言う加藤周一の言葉に「西洋の『エッセー』が思想の分析を目的とするのに対し、日本の『随筆』はある事象に対する感情的反応を叙述する。思想の構造や一貫性は『エッセー』にあって『随筆』にない。しかし、複雑な感情的反応の叙述はしばしば精緻を極める」というのがあった('06.12.25.朝日新聞『夕陽妄語』)。『徒ら草』が目指すべきは「エッセー」と「随筆」の真ん中あたりか。いやいや、そんなだいそれた話は畏れ多いことです。せいぜいがんばってみても、駄文、雑文、戯言の域を出るもんじゃなかろうもん。

以前ほどにはケータイで長文メールを送ることもなくなり、今ではこのブログがぼくの文章欲を満足させてくれている。そんな「サトミマイラブ」なブログは今後ともあんまり向上することなく、他の「石ころブログ」同様、独りよがり全開で突き進むことになるんだろうなあ。

さて、ここで突然ですが、「初明かり」をお題に一句詠ませていただきます。先日、NHK教育でこれをお題に俳句の番組をしていて、「初明かり」というのは初日の出の前の明るくなった空のことだそうな。もちろん新春の季語。では、僭越ながら、年明けの朝を思い浮かべつつ。

今日もまた
朝帰りして
初明かり

日記を歌で詠む男。失礼いたしました。

|

2007年1月 1日 (月)

年のはじめ

Top_blue_5正月は休むのが、これ常識。ごとーび刊ブログ『徒ら草』も正月休み。

その間にバックナンバーを読み返す酔狂な人間は、きっとぼくだけ。誰よりも自分を愛する男。

次回掲載日は十日。

|

2006年12月30日 (土)

年の瀬

Top_blue_4 今年ももうすぐ終わる。こういう時は一年をふりかえって締めくくりの記事を書くとカッコウもつくんだろうけど、なんかそんなのめんどくさい。

とかいいながら、今年は、私事になってしまうけども、夏に父が亡くなったことが一番大きなことでした。とか言うとそれっぽいんだろうなあ。もちろん、父親が死んだのは大したことではあったけども、ぼくの場合、なんかちょっと違う。「生老病死」でいうなら、親父は僧侶、教員であり、組合活動や平和運動に積極的にたずさわっていたにもかかわらず、ここ十三、四年、病を得て年をとっても、病人になりきれず老人にもなりきれなかった。そのことでぼくは考えさせられることが多かったから、死を受けてナニゴトかを書くという気にあまりなれない。それに、父のことを知らぬ人間に父の追悼めいたことをここで書いてもしょうがない。まあ、父の生き方を否定する気はないし、「固有名詞が消えたとき、それは普遍になる」という感じで、今後は縁起の中で生きていってもらい、これからのぼくの文章に名も出さず顔を出してくる、というふうでどうでしょうか。

で、この件はそういうことにしておいて、年の瀬についてもなにも書かないのはナニだから、ちょっと書く。

先日二十五日に、京都の年末の風物詩、北野天満宮のその年最後の縁日、終(シマ)い天神に行ってきた。今日三十日にある同窓会に着物を着ていくのに黒い足袋を履いていこうと思って、天神さんに探しにいったんだけど、いつもより人出も心なし多かったかなあ。さすが、終い天神。

で、人ごみの中、露店をフラフラしながら見ていると、包丁売りのおじさんがいつもと変わりなく威勢よく包丁を売っていた。「一本千円やでえー。こうてってー」と、板切れを包丁でガツガツ切り刻む。「なんでも切れるでー。古くからのもんは一番確かなもんなんや」。そうだろうかなあ、でもまあ売り文句やしなあ、そういうことにしとくかなあ、などと思いながら、ぼくは先へ先へと露店を見てまわった。

足袋は、結局ちょうどいい大きさのが見つからず、他に食指の動くような物も安物のキセルを買っただけで、再び人ごみの中をフラフラしながら来た道を戻ってきた。

すると、包丁売りのおじさんは、さっきよりも威勢よく、「もうドーンとまけとくでー。二本で千円や。こうてってー」といきなりの半額セールになっている。で、さらに、「今日は別れた女房の誕生日や。まけとくでー」とかけ声がつづく。そのとたん、隣の露店のおねえさんが小声で、「あれ、先月も言うとったなあ」とツッコミを入れた。さらにその隣の店のおばさんが、笑いながらぼくのほうを見て、「ほんなことまで気にせんでもええやないか。なあ」と声をかけてきた。包丁売りのおじさんには別れた女房が、毎月分、十二人いてはるはずやな、きっと。おじさんも、女房だけは古いのがイヤだったみたい。

まあこんな落語のような毎日を過ごせたら、さぞかし楽しい暮らしなわけなんだけど、実際は世の中に目をむければイヤなことがずっと続いている。

大体からして、今回の天神さんでも、足袋以外に、着物にあいそうなカバンとかも見ていたんだけど、その手のものは女物ばっかりで男物がほとんどない。天神さんみたいないかにもジャパンな市でもだよ。帰りに寄ったデパートでも、決して広くない着物売り場で目につくのはほとんど女物ばっかりで、男物は少ないうえに、ようやく見つけても高い。高すぎる。

なんともはや、日本の伝統文化は探すのに手間がかかるうえに、手に入れるのも金がいるもんだなあ。まったくもって、伝統文化は金持ちの趣味なんですかいのう。と、かくして、実はその日はかなり腹をたてて帰ってきたのである。プンプンッ。日本の文化よ、どこへ行く。「古くからのもんは一番確かなもんなんや」。包丁を二本千円で売るおじさんの声が頭の中で鳴り響く。

ぼくは縁日に行っても、日本文化がどうとか文句を言いつつ帰ってくるぐらいだから、こういうのは習い性とでもいうんだろうけど、こんなことは年が明けたからといって生まれ変わるわけでもなかろう。

そういうわけで、全世界五百万人の『徒ら草』読者のみなみなさまがたには、来年もぼくのウダウダ与太話におつきあいしていただくことになると思います。今年はありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

|

2006年12月15日 (金)

デジタルよ

Top_yellow_5 パソコンをつかっていると、ときどき画面がかたまって、うんともすんともいわなくなる。つかいはじめてしばらくたったからもうだいぶ慣れたけど、最初のころは、「なんじゃこれは。これが時代の最先端をいくパソコンというものなのか」とびっくらこいたものだ。

こういうのはふつうの家電だったらまちがいなく不良品の動作である。それでも、パソコンだけは「そういうもの」と思ってかからなくてはならぬ。そう思えば心の平安はたもたれる。画面がかたまったり、「応答がありません」などというメッセージを前に、どのキーを押しても「わしゃ知らん」などというパソコンを相手にしている時間というのは、最近のスキのない世の中において、貴重なムダな時間である。ありがたい話である。

かつては、頭のめぐりが遅い人なんかを「蛍光灯みたいな人」なんて言いかたをしたものだけど、いまや蛍光灯なんてスイッチを入れたらパッである。スイッチを入れたらパッ。ところがパソコンの場合、スイッチを入れたらまずお茶を入れ、おもむろにたばこに火をつけ、なんだったら新聞を持ってトイレにも行き、そうこうしてなにもしない前からひと心地ついた頃にようやくたちあがってくる。パソコンを買ってきてはじめてスイッチを入れたとき、これで世間はデジタルデバイドだのなんだのといっていたのかと思うと、まったくもってパソコン業界というのは、ふつうの世界とは異質な価値観で動いているんだなあ、と思ったものだ。

Washashiran_returns

秋のころにIP電話が一斉にダウンして大変なことになったというのはニュースで知っていた。その「事故」に関する検証記事を読んでいたら、NTT東の関係者の話が載っていて、いわく、「電話は切れてはならないと思われているが、パソコンは止まって当たり前。IP電話の技術は、むしろパソコンに近いんだ」 。

この発言が実際ではどういう文脈でされたのかよくわからないけども、少なくとも、この業界のひとたちは、まじめにコツコツとモノをつくりあげてきたこれまでの職人のような世界とはかなりちがうところで仕事をしているんだろうなあということはわかる。

なんか最近のコンピューター関連では、バグが出ることがあたりまえでモノをつくっているとのことだし、最近も、マイクロソフトが売り出して十年もたってないウインドウズの98とMEのサポートをやめたりしている。こういう商品の売りかたをゆるす感性や、しかもそれでいて、自分たちが時代の先端にいると思える感覚は、ぼくには一生わからないことなんだろうけども、しかし、「切れてはならない」通信業界の人までもが、そういう感覚に慣れてほしくないなあと思うわけです。NTT西の社長も、「予想がつかないことが起きた。人知を超えることだと考えている」と謝罪会見で言ったそうだけど、まるで、焼き上がりは神のみぞ知る瀬戸物をつくっている陶芸家のようなことを言わっしゃる。 芸術家肌の社長なんだろうなあ。

とかなんとか言いながら、ぼくもパソコンの恩恵には当然あずかっているわけで、最近、これまで録りためてきた自分の演奏の音源をCD-Rに焼いた。これは、パソコンをつかってはいないけど、パソコンを録音向けに特化したような機械、デジタルのMTR(=マルチトラックレコーダー)があればこそできたことである。デジタル万歳。

で、そのCD-Rをみんなに配るに際して、裸のままというわけにもいかないんで、ジャケットをつくったんだけども、パソコンはこちらのほうで大活躍であった。これまでも、CDをたくさん買う兄から、個人で楽しむ範囲でたくさん借りてきてコピーしたCDを、そのジャケットのほうもスキャナーでとりこんでコピーしていた。生CD-R代だけで音については本物と変わることのないものが手にはいるなら、ジャケットの刷りが多少わるくても、これでじゅうぶんだ。なんか、カセットテープでウォークマン用にダビングしたりベストテープをつくったりした青春時代を思うと、隔世の感にしみじみする。デジタルってすごい。

そして今回、自分のCDのジャケットをつくるに際して、このパソコンのすばらしい能力をつかわない手はありますまい。デジカメでとった写真や、スキャナーでとりこんだ絵を元にジャケットをデザインする。パソコン画面に映るジャケットを見れば、うーむ、完璧だ。ただしそれも、この画面に映っているままに刷りあがってくれればの話なんだけど。

けども、そんな胸おどる期待をまえに、ここでまたパソコンの不具合で、うまいこと刷ってくれない。どっかしらなんかのかげんで「はがきサイズ」の大きさまでしか印刷せず、どうにもこうにもイライラしてくる。その原因をさぐるうちに、どうやらプリンターのなんぞの設定が、いつのまにやら「はがきサイズ」になっていたということがわかった。それも、これまで開けたことのないフォルダーをえいやっと勇気一番開けてみて判明したことであって、そのぐらいにはなんとなく勘がはたらくようになってきたから今回はなんとかなったものの、そうでなかったらまちがいなく「同居人よう。これ、壊けたに」になっていたことでしょう。そしてこの解明作業もこれまたひどく時間のかかることであって、せっかくの「隔世の感」もぶっとぶ効率性のわるさになるのである。

で、ようようA4の紙に刷り上ってきたジャケットをみる。ほんと、これで紙とプリンターがもっといいやつだったらまさにプロ級だわっ、な感じだ。デジタル君、アリガトウ。

そしてつぎに、それを一枚一枚カッターナイフで切りぬく作業をする。これがまた、デジタルな時代とはちがう手づくり感いっぱいの作業である。シャーッ、シャーッと、定規をあてて紙を切っていると「ひとり家内制手工業」という感じがしてくる。何枚か切ると、だんだん手際がよくなり要領をえてくる。そして気分は一気に、クラスのみんなで文集をつくったあのころへ。

そこでぼくはふと思うわけです。

世の中、「効率、効率」とうるさいけども、効率なんてのは、クラスの文集を手ばやく要領よくやるていどのもんでもういいんじゃないかなあ、と。必要以上に効率を求めるばっかりに、いつのまにやらブラックボックス化した身のタケにあわないシステムを前にして、効率そのものが足もとから崩れ落ちていく・・・。

そんなことを考えていたら、定規を押さえた親指の皮をカッターナイフでうすーく削ぎ切ってしまった。まったやってしまった。お針仕事をしていて針を指に刺さないことはないし、小刀をつかって調子よく木を切っていればどっかかんかにケガをする。

そんな不器用さと高機能なパソコンのあわせワザで、構想からはや二年、オリジナルCDがようやく完成しました。

|

2006年11月30日 (木)

まじぇて食べる

Topmini_30ぼくは白ごはんが好きである。なにもぼくに限らず、多くの人は白ごはんが好きなはずである。おいしそうなものを見ると、「白いめし持ってこい!」な気分になる。

一度に炊く量も二人暮しで五合ばかりを炊くのだけど、人にいわせるとそれは多いらしい。もちろん五合を一度で食べるわけはなく、後日ごはんを炊くのが面倒な日のために、冷凍保存にする分にもまわすけども、しばしばその日のうちに解凍したりして、こんなんだったら、ふつうに「保温」にしとくのとさしてかわりがない。

学生の一人暮らしの頃は一日三合半でちょうどいいころかげんだったけども、その頃にくらべるとさすがに食べる量は減ったと思う。二、三年ほど前、はけるズボンがあと二本しかない!となった際、「今日からおれは食の細い人である」という思い込みダイエットにより、ひと月で五キロばかりやせた。今も心の中では「食の細い人」なんで、おかげさまでいちおうその体重をキープしているわけだけど、その頃から食が特に減った感じではある。それでも、ごはんを炊く量は一回五合だけどね。

さて、ごはんにあうといえば、世間の相場はカレーと決まっている。もちろんその他もろもろおいしいものは世の中にあるんで、みなさんもそれぞれ好きなものがおありでしょうが、「ごはんにカレーはあわんなあ」という人はいませんでしょう。

その日の夕飯がカレーだったときの夜食というのは、もちろんカレーになるわけだけども、ぼくの場合、中高生の頃から、夜食で食べるカレーというのは、あたためなおさず、さめたままのカレーをあたたかいごはんにかけて食べることになっている。さめたカレーとあたたかいごはんとがまざったほどよいぬくもりかげんが、よろしい。それをグチャグチャとまぜて一気に流しこむように食べる。おなかのすいた夜中に、胃にしみわたるカレーがひときわうまい。

かつてのデブ芸人、ウガンダはカレーの早食いをもちネタにしていたけれど、彼いわく「カレーは飲みもの」だそうである。最近のデブ芸人も同じようなことを言っていたような気がするけど、『おれたち ひょうきん族』でこの言葉を聞いて、ぼくはヒザをたたいて納得したものである。

夕飯がカレーのときは、ごはんはいつもより多めに六合炊く。カレールウは大きいほうの「目安9皿分」のやつを一箱半つかってカレーをつくるんだけど、この量なら一日で食べきってしまう。カレーだとふだん以上によく食べる。「ウチの子、カレーだといつもよりたくさん食べますのよ」と親に言われている子どもとさしてかわらぬ大人である。

それが、最近、ウチの同居人がカレーをつくるときは、カレールウを二箱つかうようになってきた。いわく「三日目のカレーを食べたい」と。彼女の家では、三日目のカレーはカレーうどんと決まっていたそうである。言われてみれば、たしかに、ついぞ三日目のカレーというものを食べたことがない。カレーうどんにたどりつく前に完食だもんなあ。

よく、二日目のカレーはおいしいといわれる。それをぜひ一日目から食べてみようと、学生時代、カレーをつくって、一晩がまんしてから食べたことがある。「うむ、確かに二日目の味がする」と、きわめてあたりまえなことに感心したわけなんだけども、その時の二日目のカレーは三日目のカレーの味がして、「あのいつもの二日目のカレーの味じゃないっ!」と、いったいぼくはなににイカッているのか、損したような得したような気分になったんで、それ以来そんなタワケたことはやってない。つくったらすなおにすぐ食べる!

NHKの『ためしてガッテン』でやっていたことだけども、「二日目のカレー」というのは、なにも一日待つことがポイントではないらしく、いったん完全にさめることに意味があるんだそうな。だから、できあがったカレーをさましてからあたためなおせば、その日のうちに「二日目のカレー」ができるんだそうな。ふーん、そうなのか。でも、ぼくは上記のようなわけで、これはやってない。

さて、これまた学生時代の話になるけれども、ぼくは、「好きなものは三食つづいても文句はない」と思っていたので、それがただ思っているだけのことなのか、ほんとうにそうなのかどうかをためしてみたことがある。当然、そこでえらばれた食材はカレーライスである。今日の話の都合上、ほんとうはそれがカレーでなくても、カレーでためしたことになってしまうわけだけど、そんなことはこの際どうでもよろしい。カレーライスを三日三晩食べよう、と決めたのである(ほんとうに)。カレーをうどんやスパゲッティにからめたり、なんやかやと小ざかしいことをしてはいけない。カレーライスといったらカレーライスなのである。シンプルに単純にプレーンなカレーライスである。いざ、やってみた。そしてその結果、三日三晩、合計九食、みごとにおいしくいただけたのである。うまいものはどれだけ食べてもうまい。

さらに、大好きな焼きそばでもやってみた。これはまず、こてしらべで、日清のUFOとふつうにつくった焼きそばとの食べくらべをしてみた。その結果、夜食に食べるとあれだけおいしいUFOも、本物の焼きそばの前には、まるでかたなしであることを確認した。考えてみれば、UFOのことを日清は焼きそばと言っているけれども、あれはお湯に浸しているだけで、全然炒めてないではないか。あれは「焼きそば」ではなく、ソース味の「煮そば」じゃないのか。これは、緑なのに黒板というがごとし、みたいなことなのか。ちょっとちがうか・・・。うーむ・・・。なにも、キリンビールといってもキリンの肉が入っているわけじゃなし、タイガーの魔法ビンといってもトラが魔法をかけてお湯を保温しているわけでなし、このていどのことなら許容の範囲内なんであろうか、公正取引委員会的にも。

そんなことはさておき、それから何日か日をおいて、焼きそば3デイズをしてみたわけなんだけど、こちらはなんとも無念、二日目の昼に焼きそばを食べ終わったとき、「うー、次の夕飯にはもういらん」と、あいなった。これは、プレーンな焼きそばにこだわって、黄金の組みあわせ「焼きそば定食(つまりは、白ごはんつき)」にしなかったのが敗因かもしれない。が、この時、ぼくは焼きそばが大好きだけども、カレーライスはもっと大好きであることを確認しつつ、好きなものでも、三食では文句がなくても、三日もつづくと文句をいう場合がありうることを体で確認した。

と、そんなこんなを走馬灯のように思いだしながら、さっき、夜食の半冷やしカレーライスをグチャグチャとまぜてサッサカサアと飲み干した。おいしかったわあ。

|

2006年11月25日 (土)

あれもしたい これもしたい

Topmini_29 このブログは「ごとーび刊」をうたっているので、5と0がつく日には記事を更新していくことになっているわけだけど、これまでも何度か書いてきたように、夏すぎから諸般の事情で予定通りにいっていない。

別段、諸般の事情のために言いたいことがなくなったわけではない。むしろ、諸般の事情以降、右翼政治家が首相になったりして、ぼくの普段のボヤキはいっそうひどくなっている。わが同居人は「日本こたつ党」の活動をしながら、ぼくのボヤキにつきあってくれている。このブログはぼくのボヤキが基本線のひとつになっているわけだから、書きたいことは山のようにある。

けど、ボヤキもさることながら、ぼくには他にもやりたいことがあるわけで、たとえば今はエフェクター作りにはまっている。楽器をしない人のために言っておくと、エフェクターというのは、エレキギターなんかの電気楽器につないで、音をギャーンとひずませたり、シュワシュワ~とゆらしたりする電気の小箱である。これを足もとに置いておいて、しかるべきときにスイッチをガチャッと踏んで、音に表情をつけるわけだ。

エフェクターにはおんなじようなものがまさに百花繚乱、さまざまあるわけで、聴いている人にほとんど差がわかるわけではないものの、弾いている本人にはいろいろとこだわりがあって、楽器屋に行くたびにあれもこれもほしくなり、知らぬ間に数がどんどん増えていく。他人にはなにがどう違うのかわからんけども、カメラ好きな人があれもこれもとほしくなるのとおんなじようなもんだ。そうした無限の欲望のなかで、何年かまえから、自作エフェクターへの道を歩むようになってしまった。

三十数年間文系で生きてきた人間が、中学生か高一程度にあるかどうかも怪しい知識でもって、電気のこまごまとした世界に手をつっこむわけで、しかも、独学であーでもにゃーこーでもにゃーとやっているもんだから、いったんはじめると、あちらの世界にすっかりハマりこんでしまって、なかなかこちらの世界に帰ってこれない。

で、そのエフェクターの構想が、諸般の事情と前後して、またいろいろと頭に浮かんできていた。そこで、今回つくっているのは、ディストーションのさらなるひずみ量アップと音量アップのためのブースターを二つ組み込んだライブ仕様な「ツインブースター」と、ギターマガジンの製作記事を参考にした「トレモロ」の二つ。書けばこのようにたった二、三行のことだけど、素人が同時進行で二つの物をつくるんで、製作に費やす作業は結構な日数がかかる。

そうしたこともあって、ブログを書くひまがあまりない。このブログの夏休みおよび秋休みをいただいたときに、「出校日のようにスポット出稿します。でも始業式のときには、グレて髪の毛を染めてくるかもしれません」みたいなことを書いたけど、鏡を見て気づいたのは、ぼくには染める髪の毛がなく、ろくにグレることもできないことであった。そのかわりというわけではないけども、エフェクターづくりに気合いが入りすぎで、夏休みの宿題を九月になってもまだやっているような気分である。まあ、どちらにしてもデキのいい生徒ではない。

ということで、このブログも、ムリムリな記事がしばらく続くだろうとは思いますが、ようやくそろりそろりとごとーびで再開していく所存でございます。

Photo_10

そうそう、エフェクターを作りながら、ウチの録画担当秘書官が録っておいた映画『父と暮らせば』を見た。ぼくは小学生の時に見た『ガラスのうさぎ』以降、戦争物は悲しすぎてやりきれなくなるんで、なるべく見ないようにしているんだけども、秘書官が勝手に再生をはじめてしまったもんだから、横にいるぼくも一緒に見ることとあいなった。

見はじめてからしばらくすると作業の手は止まってしまったけれども、この映画は、広島で被爆しながらも生き残った人の葛藤―――生き残ってしまった罪悪感と、生き残ったからには死んだ人の分までしっかり生きていかなければならないという思いとのはざまで苦しむ姿を描いた作品だ。

こうした苦悩は、原爆だけに限らず、通常兵器での戦争でも当然あるわけだし、交通事故や自然災害、親しい人との死に別れ等々、いろんなところで起こりうることだ。けれども、核兵器はそのありようにおいて、これらとは違う、なにか決定的に異質な存在だと思う。一瞬にして何万もの人が即死するなどというのは、言葉ではわかったつもりになっても、その実は、人間の想像をはるかに超えている。しかもそれを人間が人間に対して作為的に行なうという愚挙。

その核兵器の被害がしっかりと刻印された「唯一の被爆国」であるこの日本で、「核武装の論議をしよう」などと言う政治家は、どうしようもなくアホである。まともな感性があるとはとても思えない。考えを変えろといっても、彼らもあの年になって今さら変わるとも思えない。彼らが世界の平和のためにできることは、政治の世界からさっさと足を洗って、本業のヤクザな世界に帰ってもらい、すみのほうでこっそりと生きていただくことである。ぜひそうしていただきたいものである。

|

2006年11月15日 (水)

消し忘れ注意

Topmini_27ぼくの同居人は日本こたつ党の党首である。ちょっとでも寒い日があると、すぐにこたつを引っぱりだしてくる。

今年も二週間ぐらい前からでーんと居間に構えている。ぼくも末端の党員としてそのことをうれしく思っているんだけど、党首はさすがに党首である。こたつが出されると、布団で寝ることがめっきり減るのである。夜、テレビを見ながらそのまま居眠りしはじめ、ついには朝まで寝てしまう。ぼくも見習わなくてはならない。

さて、ぼくは年をとったというにはまだ早いけど、以前に比べて物覚えが悪くなってきて、物忘れも増えてきた。一度会った程度では人の顔をなかなか覚えられないし、名前はいつまでたっても覚えられない。玄関の鍵をかけ忘れて出かけてしまい、帰ってきてから、先に帰宅していた党首に怒られることもしばしばである。

人の話を聞いていて、アハハハと大いに盛り上がったところで、ふと、「んっ? この話、前にも聞いたことがあるような・・・。まあいっかあ、楽しいし」みたいなことは常日頃だし、逆に、こちらが気分よく話をしていると、相手の目が何かとても優しい目になってきて、「また聞いてあげてますよ」な雰囲気が伝わってくることも少なくない。

こういうのを「老人力がついた」とか言うらしいけど、まあぼくの場合、物覚えが悪くなって、よかったと思うことなど、まだあまり経験していない。

けど、そのよかったと思うことの数少ないひとつが、家を出る際にこたつを消し忘れてしまうことである。帰ってきてこたつに足を入れたとき、その思わぬほかほか具合で、気分がほわ~んとする。

子どもの時ぼくはいわゆる鍵っ子で、ぼくが鍵をかけて学校に行っていたんだけど、こたつだけはちゃんと消していくように親から強く言われて育ってきた。確かに何があるかわからない。万が一にも、それが元で火を出した日には泣くに泣けんもんね。そもそも電気がもったいないし。

そんな風に育ってきたもんだから、こたつの消し忘れには今でも注意しているんだけども、時々やってしまう。そして、消し忘れのこたつに足を入れたときは、そんなことも忘れて、気分がほわ~んである。

で、しばらくしてひとごこちつくと、にわかに、「党首がまだ帰ってきてなくてよかった」と、親に隠れていたずらをしてバレなかった時の悪い子ちゃん気分がよみがえってくるのである。

|

2006年10月28日 (土)

いわゆるひま人

Top_mini_z_2 しょぼしょぼと自滅していくようにドラゴンズが負け続けてしまったんで、ファイターズが日本一を決めてしまった。新庄人気のためか、テレビもキャアキャアとうるさい。ぼくは好きでも嫌いでもないけど、新庄がなんでここまで人気があるのかよくわからん。どっちゃにせよ、日本シリーズ期間中は名古屋におればよかった。そしたら「大本営発表」で、負けた試合も勝ったかのように思えたかもしれんね。

そんなこんなで、ファイターズが日本一を決めてからその日の晩はニュースとかを見ないでいたわけなんだけども、その間に、ぼくが名古屋に帰っている間に関西地区で深夜に再放送していたアメリカのドラマ『24』をウチの録画担当秘書官が録りだめしといてくれたんで、それを見た。

『24』を「トゥエンティーフォー」と英語で読むのはいかがなものかと思うけど、今日はそんな話ではない。ご存知の方も多いだろうけど、このドラマは、「事件はリアルタイムで起こっている」をうたい文句にして、事件を追っかけて一日二十四時間の間に起きたドタバタを主役ジャック・バウワーがきったはったの大活躍で解決していくのを、一回一時間、計二十四回やるというもの。ほなアホなな筋立てもなんのその、「うわあ、やられたあ」とズタボロになったはずなのに、あまりの濃厚な話の展開に、わずか二時間後にはピンシャンとして敵を倒しているのも良しとしてしまうような、まあ能天気きわまりないお話である。ぼく、こういうの大好き。

Jack_2 で、これをファイターズ優勝のニュースを見るのを避けるために見始めたわけなんだけども、ふと気づくともう朝ではないか。このドラマをぼくはいつも深夜の放送で見ていて、大体一晩に二話ずつやることが多いんだけども、いつもいつも「あーん、はやく続きが見たーい」とツタヤに行きたくなる。これまでなら、それを録画担当秘書官に「まあまあ」となだめられていたわけなんだけど、今回は同秘書官の働きによりずーっと先までの話が手元にあるんで、「あーん、はやく続きが見たーい」の欲求がそのままかなえられて、気分のおもむくまま四、五話、一気に見てしまった。

で、そのまま朝の連ドラを見て、それからまた『24』の続きを見始めた。ふと気づくと、あれま、もう昼ではないか。で、そうこうするうちに、途中、うとうとしかけてきたけども、アメリカ合州国を守るためにジャック・バウワーが命をかけてがんばっているのに、見ているだけのぼくが眠くなっている場合ではない。とか思っていたら、あれれ、もう夕方? あちゃー、もう夜だあ、と結局二十四時間分を一気に見てしまった。

一話をきっちり一時間やるわけでもないんで、見るのに二十四時間かかったわけではないけど、これはさすがにしんどい。

このドラマ、DVDとかそういうので一気に見るのは気をつけたほうがいい。二十四時間ぶっ通しで体を張り続けて事件を解決していく画面の中のジャック・バウワーの超人的なパワーはよくわかるけど、その日一日がとんでしまうよ。

|

2006年10月23日 (月)

いわゆるひまネタ

Topmini_24ただいま、ドラゴンズファンは熱い。名古屋の実家は、ナゴヤドームに程近く、ドームの屋根がよく見えるところだ。

先日、名古屋に帰っていたおり、大曽根をぶらついた。大曽根は、かつては、闇市から発展したアーケード商店街があった味のあるところで、子どもの時は日曜日になると家族で出かけて、買い物をしたり食事をしたりしたものだ。高校への自転車通学の通り道でもあった。レコード屋の脇に少しだけ置いてあった楽器コーナーで、しばしばギターの弦を買って帰ってきたりしたなあ。

それが今や、何がどうなるとこうなるのか、という変貌ぶりで、ナゴヤドームへのJRの最寄駅であるにもかかわらず、クソ面白くもないところになってしまった。

たとえ名古屋の人間であっても、かつての大曽根を知らない人間には、その都市計画のなさによる変貌ぶりは、なかなか理解できないと思う。名古屋のしょうもなさの象徴といってもいい。そのことをかつての大曽根を知らない人にもわかってもらうほどの力量が、残念ながら、ぼくにはない。無念。

この話をしだすと、このネタだけで、ブログをひとつ新設したくなるぐらいの怒りと失望があるんで、ここでは深く立ち入らない。千種もぼくにとって青春の町だけど、大曽根は、それ以上に、小さい時からのぼくの町だったのになあ・・・。

で、まあそれはそれとして、大曽根駅周辺は現在なんやかやと工事をしている。ずーーーーーーっとしているんで、いつごろから何の工事をしているのか、もうまったくワケわからんのだけど、そんな工事現場をすり抜けて歩いていたら、こんな看板を発見。

Semaide

好きだに、名古屋。愛しとるでね。北海道の人には悪いけど、日本一はドラゴンズのものだでね。

|

2006年10月17日 (火)

言いたいことはたくさんあれど

Topmini_23 すっかり秋である。布団を思いっきり蹴っ飛ばす寝相の悪い子ちゃんのぼくは、寒くて目を覚ますようになった今日この頃である。

まとめて時間をとって亡父の部屋の片づけを始めたんだけど、まあ終わらん。兄は、この際だからとトイレなどの水まわりの改装をくわだて、ついでに、これまた片づけの苦手な母の部屋に手をつけ出したもんだから、まあ終わらん。いつまで続くか、名古屋と京都との行ったり来たり。

そうこうするうちにも、秋は深まる。

「自虐史観だ」と歴史教科書やNHKにたっぷりとケチをつけていた小物な「大物政治家」安倍晋三が首相となったと思いきや「歴史について、政治家は判断を控えるべき」などとほざき、天皇家には世継ぎが生まれ、北朝鮮が核実験をやらかしてタカ派はさらに調子づき、飲酒運転がにわかにあらためて社会問題化し、学校では教育基本法改悪の先取り状態が続き、年寄りや障害者、病人など社会的弱者の生活はさらに苦しめられるようになっていくなか、数少ないよかったことといえば、ドラゴンズがセ・リーグで優勝を決めたことぐらいか(あ、東京地裁の「日の丸、君が代の強制は違憲」という判決は、当然の内容とはいえ、今の世の中を考えれば画期的だったことも忘れちゃいかん)。

そのプロ野球とて、ドラゴンズが優勝を決めた試合は、テレビではBSのみで地上波の放送はなし。来年からセ・リーグでも導入されるという上位三チームによるプレーオフでの日本シリーズ出場権決定方法といい、まさに斜陽産業の名にふさわしいサンタンたる状況だもんなあ。とほほ。

言いたいことはたくさんある。「ごとーび刊」でもおそらくおっつかないだろうに、ぼくにはまったくもって似つかわしくない忙しい今の状態。スポット出稿ではとてもでないけど、言いたいことは書ききれない。

それでもひとつ、これだけは書いておこう。

先日ちょっとしたパーティーがあって、その時の出し物でぼくは初めてプロの手品を目の前で見た。金属の輪っかを使ったありがちな手品でも、目の前でじーっと見ているのに、どうなっているのかもう全然わからない。アシスタントのきれいなおねえさんに目を奪われてはならない、注目を集めさせている右手を見てはならぬ、逆の左手に注目だっ!と目を皿のようにしても、まったくもって不思議な現象が目の前でくり広げられていく。

そしてネタが進むうちに、ぼくは以前からそうではないかと思っていたことを確信するにいたった。

彼らは手品師ではない。彼らは手品師を騙った超能力者である。「超能力」と言えば「超能力なんてものは存在しないっ! あれは手品だ」と世の科学者たちがヤイノヤイノうるさくてかなわいと思っているであろう彼らは、自身を手品師と称することで、安心してその特殊な能力を使って人を喜ばせることができるというもんだ。

時々、ネタばらしをやってみたりするのも、あれは手品師であるとこれ見よがしに思わせているだけにすぎない。手品師のフリをしている超能力者にだまされてはいけない。超能力は存在する。

「手品師」と称している超能力者よ。第二次世界大戦当時、ヨーロッパの魔女たちはひとところに集まり、その呪いの力によって、ナチスドイツを負けさせ、ヒトラーを自殺に追い込んだという。今こそあなたがたのその能力でもって、この世界から争いをなくし、平和な暮らしを我らに与えたまえ。

|

2006年9月23日 (土)

さらに秋休みをいただきます

Topmini_22 さて、実家に帰って、親父の表葬(本葬)をしてきた。

「葬式はいらん」と言っていた人間の葬儀とはとても言えぬほどの、それはそれは立派な葬儀になってしまった。同居人にも京都から参列いただいたが、「あんなに坊さんを見たの初めてやわ」と言っていた。ハハハ、あんな人数のお坊さんをウチの寺で見たのは、拙僧も初めてだよ。住職が死ぬと、こうか。こうなのか・・・。

葬儀の前に、親父の部屋を掃除したんだけど、出るわ出るわ、書類の山。片づけの苦手な父だったから大半はゴミなわけなんだけど、その中に必要(そう)なものが混ざったりしているんで、一応すべてにざっと目を通さなくてはならない。

その際、書いたと聞いていた親父の遺言を見つけた。生前、「葬儀はいらん。身内以外に知らせることもない。風の便りでお参りに来てくれた人には、書いておいた『遺言』をコピーして本堂に置いといて、それを持ってってもらえばいい」なんてことを言っていたわけで、この遺言は「ごあいさつ」と題されて、ワープロでB4用紙にぎっしりと書いてある。こういうのが、その他大勢の書類の中から出てくるんで、油断がならない。

もちろん、片づけるのは書類だけではないから、もう、「うわ~っ」な気分である。ひとまず葬儀前に片づけ終えたのが、そうさのう、全体の四分の一といったあたりでしょうか。それで十日はかかっているんで、ひと通り終わるのはいつの頃になるんでしょうか。四分の一というのも、「多分そうだろうなあ。そうだったらいいのになあ」なわけで、終わってみるまでは、もうわからんちん。

ウチの寺では、B4用紙を半分折りにしたB5判四ページだての寺報を、二十年以上前から毎月出して、檀家さんなんかに配っている。父は教員もしていたから、月参りに行ってもゆっくり話をする時間があまりなく、それで檀家向けに思いつくところを書き始めたのが、この寺報の始まり。当初は父一人で書いていたけど、しばらくして母が一ページ受け持ち、何年か前からは兄が一ページ書き、最近は兄嫁やぼくも時々書くようになっていた。かくのごとく手分けしながら、せっせと、仏教ネタ、時事ネタで四ページ分のマス目を埋めているわけなんだけど、とうとう今月号は、兄と母とぼくから住職への追悼号とあいなった。

で、この追悼号の寺報と「ごあいさつ」とを葬儀の参列者に配ることにした。さらに、「ごあいさつ」には葬式をしない旨が書いてあるんで、葬儀をやることになった言い訳文「『ごあいさつ』解題」をA4用紙にびっしり書いて、「ごあいさつ」の裏にコピーした。

「『ごあいさつ』解題」は、葬儀の二、三日前にぼくが書いたわけなんだけど、書き終わって、ぼくはワープロの前で一人ふと思ったわけです。「こんな立派な追悼文を書かれて、親父はほんとに幸せな人生を・・・」などという殊勝なことではもちろんなく、「どれだけ読み物がある葬式なんじゃ」と。それぞれの文章の内容がどうこうではなく、文字ばっかりの文章が、ざっとB4用紙のおもてうらにたっぷり二枚分でっせ。遺族のみならず、死んだ本人までもが出てきて、とても「おしゃべり」な葬儀になってしまい、ぼかあ、なんだかおかしくなってしまったよ。きっと、参列していただいた人も、おなかいっぱいになったことだろうと思います。

「暑い、暑い」と言っていたら、いつの間にやら、境内にはもう彼岸花が咲いていた。

Higanbana  

月末に京都で用事があるんで、いったん帰ってきたわけなんだけど、それが終わったらまた名古屋です。掃除です。あと推定四分の三です。「ごとーび刊ブログ」は、もうしばらくの間は無理です。この際、秋休みをいただきます。片づけが終わるまで、夏休みの出校日のようにスポットで書きます。「始業式」の日には、グレてしまって、髪の毛を染めて登校してくるかもしれません。

|

2006年8月26日 (土)

夏休みを延長します

Topmini_21お盆の一連の行事も終わって、一息ついたところでブログも再開、といきたいところだけど、そうもいかなくなった。

というのも、お盆参りの直前の八月六日にウチの親父が亡くなった。日程的にどうしようもなく、身内だけで密葬を済ませた。のはいいんだけど、そのままで済ますわけにもいかず、日を改めて九月に表葬(本葬)をすることになった。

本人は生前、「葬式はいらん」などと言っていた。まあ、それはそれでよしとしよう。けど、葬式をやらないのは、死んでから三ヶ月ばかりは弔問客がだらだらと来て、かえって遺族が迷惑である。こじんまりとではあるけどやることはやる、なんて話をしていた。なのに、よりにもよって、お盆にからんで死んだばっかりに、密葬は確かにこじんまりとしたものではあったけども、棚経に行った先々で「住職が先日亡くなりました。本葬はいついつです」とふれて回ることになったわけで、表葬のほうはもうどうなることかわからない。お盆の最中にもう一軒、檀家さんの葬儀も重なったものだから、「(住職が亡くなって)悲しいことですね」と檀家に言われても、「悲しむヒマもありません」と答えていたのは、本当に本当のことなのである。ただでさえしんどいお盆も、檀家さんとの話が長引いて、三倍増しに疲れることとあいなった。

まったく、寺の住職を長年やってきたのに、この時期に死ぬとはなんたることか。といいつつも、この春過ぎから療養をかねて入院をしていたわけなんだけど、自分がお参りに行くわけでもないのに、おそらく体にしみこんだお盆の季節の緊張感で、血のめぐりがいつにも増してよくなり、それで脳の血管が持たずに、あっけない幕切れになったのかな、とも思う。八月六日、広島への原爆投下の日に亡くなり、九日、長崎の原爆の日に荼毘にふされたのも、教員を退職後、寺に専念するかと思いきや、「俺はこれから平和運動をするで」と言って、兄に法務のことを任せることが多くなった人間らしいといえば、らしい。

というわけで、九月もひと月ばかりブログを書く暇がない。小泉の靖国参拝や加藤紘一宅への放火などなど、書くネタにはまったく困らない状況だけども、『徒ら草』の夏休みを九月いっぱいまで延長します。

|

2006年8月 5日 (土)

お盆です

Topmini_19 今年の夏は暑い。というより、いつも夏は暑い。暑いの嫌い。

と、そんなこんなで今年もお盆の季節がやってくる。なんの因果か、お寺に生れ落ち、小学六年生から父について檀家をまわり、中学二年生から一人立ちして以降、お盆というのは忙しいのである。

何年か前からは、檀家まわりも父は戦力外、兄と二人だけでやるようになったんで、ウチでは、前倒しして八日からお盆のお経にまわっている。十三、十四、十五日の三日間のメインのお盆期間中よりも、前倒し分のほうが五日間と長くなっている。しめて八日間。とほほ。

この季節、檀家の人と永遠回帰のように繰り返される会話。「まあひゃあお盆の季節だねえ。暑いのに大変だねえ」「ほんと、お盆が秋だったら、檀家さんの所をお参りするのも、もっと楽なんですけどねえ」。二百や三百で